「客体化」論から「範型化」論へ――システムに抗して

前回のエントリーで、松田素二さんの「切断」という概念について紹介・解説しましたが*1、その際に「切断」と「範型化」との関係について説明が分かりにくかったかもしれません*2。この「範型化」は、ある意味では「切断」よりも重要な概念かもしれません。…

〈地続き〉と「切断」――日本の人類学の理論的到達から(1)

このところ、日記や読書ノートで、沖縄やサバルタンや「慰安婦」問題といったトピックが続きましたが、そういった問題を論じるときのさまざまな争点やアポリアもすこし明らかになったと思います。その際の争点やアポリアを解決するには、じつは日本の人類学…

〈地続き〉と「切断」――日本の人類学の理論的到達から(2)

さて、つづきです。 松田素二さんの「切断」という用語のほうから説明しましょう。松田さんは、『抵抗する都市』のなかでは、本質主義的な語りを「均質化」の語り、構築主義的な語りを「異質化」の語りと呼んでいます。松田さんは、「抑圧者・被抑圧者を一元…

大沼保昭『「慰安婦」問題とは何だったのか』を読む

戦時中に「慰安婦」にさせられた国外の被害者に対して、国民と政府によって償いを行なうために作られた「アジア女性基金」については、1995年の設立当時からほとんど批判しか聞かなかったような気がします。設立当時は、メディアにおいてのフェミニストや「…

沖縄の「スピヴァク不在のスピヴァク講演会」での本橋哲也さんの「妄言」

「討論の広場」というブログでのU君による「スピヴァク講演会」の連載記事も第14回となり、佳境にはいってきています。全部で16回ということですから、その完結を待ってコメントすべきかもしれませんが、今回の「スピヴァク講演会14」で紹介されている本橋哲…

スピヴァクによる剽窃疑惑?

きょう一日は家で過ごしました。きのうまでけっこう大学などに出かけていたので、ようやく夏休みが始まったという感じ。とはいっても、原稿の締切は過ぎているし、採点と成績付けがまだ終わっていないから、落ち着かない夏休み第1日目でした。学生より遅い…

「もてる」という基準と「かっこいい」という基準

きのう研究室に若手の人類学者のTさんが訪ねてきて、「人類学の失われた10年」についての話を聞きたいという。でも、話は、最近の若い研究者は、自分が評価されるときや人を評価するときの基準というか軸として、「もてる/もてない」という基準=軸しか考…

「疎外論」の落とし穴について

黄色い犬さん、養田さん、macbethさん、コメントありがとう。3人のコメント、とりわけmacbethさんのコメントを読んで、「感情労働とキレる客」以降の3回エントリの議論では、「疎外論」のもつ落とし穴について充分に留意をした書きかたになっていなかったか…

セネット『人格の腐食』あるいはネオリベラリズムによる「経験の喪失」

リチャード・セネットは、『それでも新資本主義についていくか』(ダイヤモンド社、1999年、原著は1998年刊行のThe Corrosion of Character,つまり『人格の腐食』というタイトルです)のなかで、新資本主義(ネオリベラリズム時代のグローバル化した市場原…

「感情マネジメント」についての再論

morutanさん、chinalocaさん、黄色い犬さん、コメントありがとう。このようにコメントをいただくとブログが続きますね。 さて、みなさん、前回のエントリには納得しかねるところがあるようです。とくに「キレる客」の部分についての疑問が多く出されています…

「感情労働」と「キレる」客

久しぶりのブログへの執筆です。忙しくて、自分でネタを考えて書く暇がありませんでした。これまでけっこう書くことができたのは、書き込んでもらったコメントをネタにして書いたりしていたからですが、こちらが書かないとコメントももちろん書き込んでもら…

近刊『呪術化するモダニティ:現代アフリカの宗教的実践から』(風響社)の紹介

飲み会がちょっと続いて、ブログの更新もご無沙汰でした。前回のエントリではコメントが読み応え的にも量的にも盛り上がって(書き込みしにくいコメント記入欄にもかかわらず)、黄色い犬さんがけしかけている(?)ように、コメントを受けて新しいエントリ…

中野麻美『労働ダンピング』を読む

中野麻美『労働ダンピング:雇用の多様化の果てに』岩波書店(岩波新書)、2006年 Isbn:4004310385 労働問題を扱う弁護士でNPOの「派遣労働ネットワーク」の代表をしている中野麻美さんは、まず、それまで労働基準法で違法とされていたけれども、1986年に施…

「真正性authenticity」という語について

Macbethさん、コメントありがとう。エントリとは関係のないコメントでも大歓迎です。このブログでは、コメントでの他の人のことばからものごとを考えていくことが多いので(良く言えば「対話」的思考ってことですが、「対話」というわりには、他人の言葉はた…

「自己の確立」と「共依存」について

Morutanさん、コメントありがとう。このところ忙しくて応答が遅れてすみませんでしたが、以下のような質問をいただいていましたね。 ところで質問なんですが、ぼくは「メタな位置をとることによって対話の可能性を排除してしまうことの損失は情報力が少なく…

オリエンタリズムと対話的自己について

黄色い犬さん、養田さんコメントありがとう。 前回の4月18日のエントリは、たしかに、人を怒らせてしまうだけの言い方になっていたかもしれませんね。その辺りは反省したいと思います(なかなか直りませんが)。本来ならば、内藤朝雄さんのブログで直接に表…

自分のアイデンティティのために他者を他者化することをオリエンタリズムという

私はインドの専門家ではないし、もう誰か取り上げて批判していると思うので、放置しておいてもいいかなとも思ったのですけど、「釣り」にしてもちょっとひどすぎる「他者」の利用の仕方なので、あまり気は進まないけど、社会学者の内藤朝雄さんの「伝統を大…

なぜ帰宅後にすぐ手を洗うのか

大学でも新学期が始まりました。私が学生の頃は、授業が本格的に始まるのはゴールデンウィーク明けという感じでしたが、いまはそうもいきません(昔も学生が連休明けから行けばいいやと思っていただけで、授業はあったのでしょうが)。さて、文化人類学入門…

東浩紀/北田暁大『東京から考える』を読む

久々の、そして2回目の「読書ノート」です。今回取り上げるのは、 東浩紀/北田暁大『東京から考える:格差・郊外・ナショナリズム』日本放送出版協会(NHKブックス)、2007年 isbn:9784140910740 です。刊行されてからまだ2ヶ月ちょっとなので、新しいと…

教科書検定についてもうひとつだけ

教科書検定での沖縄戦の「集団自決」の修正の話題は、日本ではそれほど盛り上がらずに終わりそうですね。東京都知事選では、「空疎な小皇帝」*1である石原慎太郎が優位だとか。小泉純一郎もそうでしたが、白でなければ黒という単純な二元論が受けているとし…

「ネオリベラリズムの文化」文献

明日は大学の入学式です。そろそろ授業の準備をしなくてはならない時期になってきました(本当はもっと早くしていなきゃいけないんだけど)。講義のひとつは、副題が「ネオリベラリズムの文化」です。まあ、コマロフ夫妻の『千年紀資本主義』の副題をパクっ…

沖縄戦の「歴史修正」からなにを学ぶのか

海とばばさんに続いて、黄色い犬さんとmacbethさんからもコメントいただき、ありがとうございました。海とばばさんの、「証言をできる人たちが世代的に減っている今、こんな歴史修正がおこなわれている。何のための『歴史』なんでしょう」という言葉を受けて…

沖縄戦での「集団自決」を日本軍が強制していないってことにはならないんだけど。

養田さん、久しぶりにコメントをありがとう。他にもいろいろコメントをもらいましたが、それに応える前に、きょうはやはり「教科書検定で沖縄戦集団自決に日本軍の強制はなかったという修正意見」というニュースに触れざるをえないでしょう(「記憶」と「ト…

沖縄の「集団自決」補遺

海とばばさんもお久しぶりですね。コメントありがとう。海とばばさんがおっしゃるように、筆の勢いで書いてしまって、文章のおかしなところや読みにくいところがありますね。そのうち修正しましょう。 まだいろいろ書き忘れていることがたくさんあるような気…

「コメントのコメント」というカテゴリーをやめました

このブログの「カテゴリー」から「コメントのコメント」というカテゴリーをなくしました。このままだとほとんどの記事が「コメントのコメント」になってしまうからです。「人類学」と「読書ノート」というカテゴリーは残しました。これらもほとんど無意味な…

「トラウマと心理学主義」予告

Macbethさんは、前回の記事へのコメントの中で、 ところで、『個の代替不可能性』を掴んで(に掴まれて)生きる具体例として、私はPTSD症例を考えていました。ベトナム戦争以降の精神医学領域では、人の《受苦》体験を治療すべきPTSDの原因として(のみ)抽…

「アダム・スミス問題」と真正性の水準

macbethさん、コメントありがとうございました。なるほど、macbethさんは「個の代替不可能性」と社会的連帯ということを受苦の場面から考察していたのですね。前回の記事は、macbethさんのコメントの趣旨を取り違えていたようです。そして、その趣旨のように…

黄色い犬さんとmacbethさんのやり取りで考えたこと

結局、私の思考は、人の言ったことを勝手につなげて働くようで、だから、コメントへのコメントとか本の読書ノートみたいなことを書くことになるようです。そこで、きょうも、黄色い犬さんとのやり取りとmacbethさんのコメントで考えたことを書きたいと思いま…

カテゴリーってどうすればいいんでしょうね

このブログで「コメントへのコメント」ってカテゴリーを設けていたのですが、これまでの30記事のうち、半分の15の記事がこのカテゴリーに入るものとなっています。ということは、皆さんがコメントを下さるからブログが続いているということで、コメント…

「選ぶこと」と「自己選択」のあいだ

黄色い犬さん、macbethさん、コメントありがとう。黄色い犬さんは、 ところで、と「拡散」(忠誠の)との違いがまだよくわかりません。っていうのは関係を断片化して、そのつど都合の良い断片を選択することですよね?これをレヴィ=ストロースのいう「エンジ…