〈地続き〉と「切断」――日本の人類学の理論的到達から(1)
このところ、日記や読書ノートで、沖縄やサバルタンや「慰安婦」問題といったトピックが続きましたが、そういった問題を論じるときのさまざまな争点やアポリアもすこし明らかになったと思います。その際の争点やアポリアを解決するには、じつは日本の人類学者の行なっている議論がとても役にたつのですが、一般的にはあまり知られていないので、紹介しておきたいと思います*1。
1980年代頃までのポストコロニアリズムやカルチュラル・スタディーズやフェミニズムの議論は、オリエンタリズムや人種主義やナショナリズムや性差別主義に対して、オリエントや人種や性といったカテゴリーが社会的に創られたものだという「反本質主義」ないしは構築主義の立場を採っていればすむというようなところがありました。日本人というアイデンティティは私を構成するさまざまなアイデンティティの一部に過ぎず、他の何者にもなれるという複合的アイデンティティ論もそのひとつです。
けれども、そのような構築主義は被抑圧者や弱者のアイデンティティ・ポリティクスを邪魔するものだという主張がなされるようになり、被抑圧者や弱者の「本質主義的ナショナリズム」などの本質主義的な主張に対して、どう応答するのかという問題などに直面するようになります。具体的には、日本人というアイデンティティは私を構成するさまざまなアイデンティティの一部に過ぎず、その他の「女性である」といったアイデンティティにおいて、日本が抑圧している他民族と連帯しようとしても、当の相手から支配的で抑圧的な「日本人」というアイデンティティにおいて応答することを要求されるという場面*2 に現れています。また、強者の側が、「民族」にアイデンティティを強く求める弱者に、「なぜ民族的アイデンティティにこだわるのだ、こっちは気にしていないのに」と語ることも、強者の言い分であると批判されるでしょう。というのも、強者のほうはその社会で支配的なアイデンティティをすでに認められているゆえにそれにこだわる必要はないのですが、弱者のほうは、自分たちが差別され抑圧されている理由ともされるカテゴリーの「本質」やそれによるアイデンティティによってはじめて団結できるという構図が現実に作られてあるのに、そのような支配の構図を作っている側が、そんな「本質」は構築されたものだからこだわってはいけないなどと言うことは、その抵抗のための団結やアイデンティティ・ポリティクスをやめよというに等しいからです。
弱者の本質主義は、それまでのカルチュラル・スタディーズやポストコロニアルの構築主義が余裕のある強者の特権や戯れにすぎないことを暴いたと言っていいでしょう。日本において1990年代に提起された「慰安婦」問題のときの争点である、韓国の支援団体やNGOの「本質主義的ナショナリズム」に対してどのような応答をするのかという問題は、その少し遅れてきたヴァリエーションであったわけです。
そして、そのような弱者の本質主義への対応の一つが、スピヴァクのいう「戦略的本質主義」でした。それは、支配者の側から押し付けられた本質主義的カテゴリーを、弱者が自分たちのものにして抵抗に用いることを指します。そこには、「弱者の武器」としての戦略本質主義と、オリエンタリズムのような支配のための本質主義(支配者が周縁的な弱者に「否定的な本質」を押し付けるもの)とは違うということが含意されていました。しかし、戦略的本質主義論においては、その違いについて、ポジションの違いという以上の違いを明らかにできませんでした。その結果、戦略的本質主義は、本質主義的なアイデンティティによるポジションを固定してしまい、他者との多面的な関係を一元化してしまう傾向をもつことになります。「慰安婦」問題のときの韓国の支援団体の「本質主義的ナショナリズム」と、それに対して批判することができなかった日本フェミニストや知識人たちの応答は、まさにそのようなものだったと言えるでしょう。ポジションを固定化してしまっているために、加害者側である日本人が被害者側である韓国の支援団体を批判することはできないというわけです。
弱者の戦略的本質主義におけるこのようなポジションの固定化、関係の一元化は、それまで「強者の特権、強者の戯れ」としての多元的・複合的アイデンティティを享受していた日本人に、ある種の抑圧感を与えたのではないかと思います。「バックラッシュ」としてのナショナリズムや、知識人の間のアイロニカルなナショナリズムは、戦略的本質主義への反応だともいえるでしょう。それだけではなく、弱者と連帯し弱者のエンパワメントに携わろうという人たちにも、強者の側からは何も言えないのではという気持ちを生じさせたという問題点もあります。
他方、この戦略的本質主義は、弱者の側にも抑圧を現実に生じさせます。周辺に位置づけられた地域の「ネイティヴ」や「マイノリティ」や「先住民」たちをエンパワメントと研究を一致させようとしてきた一部の(とりわけ英語圏の)人類学者たちは、彼らが一枚岩ではないこと、そして「ネイティヴ」のエリートや知識人たちの「本質主義」の「本質」の表象イメージに適合しないマイノリティたちが「弱者の内部」において抑圧されていることを見てきました。そこで、現地のエリートとサバルタンとを区別して、サバルタンの側に立とうという「戦略」を立てようともしていますが、そこには、けっきょくは研究者の側がサバルタンとは誰かを決める権威をもちつづけ、そのサバルタンと同一化することで自己を正当化しようという難点を免れ切れないという問題点があります。
戦略的本質主義には、抑圧された人びとや弱者の「普通の人間」としての生の複数性や多様性を無視せざるをえないというアポリアもありました。「普通の人間」としての弱者の生の全体を捉えることが、本質主義的な主張を邪魔してしまう恐れがあるために控えられるからです。たとえば、朴裕河さんが『和解のために』(岩波書店、2006年)のなかで指摘しているように、「慰安婦」の資料には、明るく微笑んでいる「慰安婦」たちの写真があったり、元日本兵や元「慰安婦」の回想には、特定の日本兵と「慰安婦」の間の感情の交流が表わされていたりします。しかし、それらのイメージは、「悲惨で無垢な被害者」としての「慰安婦」の一面的なイメージにとってノイズでしかないために、抑圧されます*3。ここには、朴裕河さんの言葉を借りれば、一方には、強制的に引っ張られて行った「無垢で悲惨な被害者」という定型的なイメージとは異なる「『慰安婦』の明るい笑顔」が、「そのまま『慰安婦は満足に暮らしていた』証拠としてみようとする日本の右派の試み」が存在し、他方には「定型的なイメージとは『異なる』『慰安婦』の存在」を否定してしまう運動体が存在しているわけです。
では、これらのアポリアをどのように解いていけばいいのか、それを日本の人類学者たちの議論から考えてみたいと思います。今回取り上げるのは、関根康正さんの〈地続き〉という議論*4と、松田素二さんの「切断」という議論*5という、一見すると相反する二つの視点です。この二つの議論が相反するように見えること、しかし、接合可能であることというのがミソなのですが、前置きだけで長くなってしまい、時間がなくなってきました。そこで、この続きはまた明日にでも書こうと思います。
*1:現代の日本では、文化人類学の議論が一般の人々や他の分野の研究者にあまり知られておらず、日本でのポストコロニアル研究やカルチュラル・スタディーズでも日本の文化人類学者たちの議論が参照されることはほとんどなく(海外では参照されることが普通だと思います)、海外の研究を紹介するばかりで、旧植民地の「ネイティヴ」や「サバルタン」たちと実際に〈顔〉を合わせている文化人類学者の議論に触れないのはどうしてなのでしょうかね。
*2:これは、すでに1985年にナイロビで開かれた世界女性会議で、アフリカの女性たちに、「同じ女性として」アフリカ人男性からの抑圧は理解できると連帯を呼びかけた欧米のフェミニストが、アフリカの女性たちから、アフリカ人は男女ともあなたたち白人の植民地主義の被害者であり、そちらの経験のほうがあなたたちより共有できるものだと言われたときに経験したものでした。
*3:「被抑圧者は悲惨でなければならない」という前提は、以前のアメリカのアフリカ系奴隷の研究にも見られたものですが、現在では批判されています。
*4:関根康正『ケガレの人類学』東京大学出版会、1995年。Isbn:4130501305
*5:松田素二『抵抗する都市』岩波書店、1999年。Isbn:4000263757