人類学

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磯野真穂『医療者が語る答えなき世界』を読む

磯野真穂『医療者が語る答えなき世界――「いのちの守り人」の人類学』筑摩書房(ちくま新書)2017年 ISBN978-4-480-06966-5 若手の人類学者の一般向けの本を読むシリーズの第二弾は、磯野真穂さんの2017年刊の本です。磯野さんはこの後も、がんで亡くなった哲…

松村圭一郎『うしろめたさの人類学』を読む

松村圭一郎『うしろめたさの人類学』ミシマ社、2017年 ISBN978-4-903908-98-4 ブログを休んでいる間に、1970年代後半生まれの若い人類学者で、学界向けだけでなく、一般向けに本を書いて出版賞を取ったり、一般雑誌や新聞などで発信したりする人たちが登場し…

宗教紛争と「客体化された宗教」

いま大学院の授業で、関根康正さんの『宗教紛争と差別の人類学』(世界思想社、2006年)を講読しています。この本のなかで、関根さんは、インドの今日の宗教紛争を招いているヒンドゥー・ナショナリズムとイスラーム主義双方の「コミュナリズム(宗教対立主…

再び女子割礼/女性器切除FGMについて

前々回のエントリーで、私が調査している西ケニアのクリア社会の女子割礼のことを取り上げました。人道的介入を訴えるFGM(女性器切除)廃絶論者と文化相対主義に立つ人類学者の断絶を少しでも埋めて対話がなりたつようにという意図もあって書いたのですが、…

西ケニアにおける「女子割礼」について

アフリカの女子割礼について話題になっているようです。私は、ケニア西南部とタンザニア西北部の国境をまたいだ地域に住んでいるクリアという民族について、西ケニア側で現地調査をしており、1990年代後半に、クリア社会の男子割礼と女子割礼の調査をしたこ…

大塚和夫さんのこと

前回のプログ更新から4カ月半以上たちました。長らく更新しなかったのは、怠け病のせいもありますが、最も大きな理由は、今年の4月29日に大塚和夫さんが亡くなられたことにあります。前回のエントリーは訃報を聞いた直後でしたけれども予定していた原稿を載…

「二重社会」の視点から内山節さんの著作を読む

「二重社会」ないしは「社会の二層性」という視点から、内山節さんの著作を読み直してみたいと思います。これは、二重社会論・社会の二層性論を明確にするための作業でもあります。 その前に、「二重社会」ないしは「社会の二層性」という視点について、ここ…

「卵と壁」と社会の二層性

話題となっていた村上春樹さんのエルサレム賞受賞講演について書こうと思っていながら、つい忙しさにかまけて時期を逸し、書きそびれてしまったなと思っていたら、きょうの毎日新聞の夕刊とサイトに講演の英文と日本語訳(夕刊は日本語訳だけですが)の前半…

正義と倫理のあいだについて

レヴィナスの話で好きなのが、裁きと顔の関係の話です。ポワリエとの対話の本、『暴力と聖性』(国文社、1991年)のなかで、レヴィナスは次のように言っています。 ある聖句は「裁きを下す者は個人の顔を見てはならない」とあります。つまり、裁き人は自分の…

近代を「再埋め込み」するということ

今回も人類学っぽい話になりますが、9月上旬に某大学院の集中講義があり、その準備運動をかねて、そろそろ人類学モードにしなければならないのと、前回のエントリーへのかいとばばさんのコメントに応えるとき、まだいろいろ補足しておかなければならないこ…

「客体化」論から「範型化」論へ――システムに抗して

前回のエントリーで、松田素二さんの「切断」という概念について紹介・解説しましたが*1、その際に「切断」と「範型化」との関係について説明が分かりにくかったかもしれません*2。この「範型化」は、ある意味では「切断」よりも重要な概念かもしれません。…

〈地続き〉と「切断」――日本の人類学の理論的到達から(1)

このところ、日記や読書ノートで、沖縄やサバルタンや「慰安婦」問題といったトピックが続きましたが、そういった問題を論じるときのさまざまな争点やアポリアもすこし明らかになったと思います。その際の争点やアポリアを解決するには、じつは日本の人類学…

〈地続き〉と「切断」――日本の人類学の理論的到達から(2)

さて、つづきです。 松田素二さんの「切断」という用語のほうから説明しましょう。松田さんは、『抵抗する都市』のなかでは、本質主義的な語りを「均質化」の語り、構築主義的な語りを「異質化」の語りと呼んでいます。松田さんは、「抑圧者・被抑圧者を一元…

「疎外論」の落とし穴について

黄色い犬さん、養田さん、macbethさん、コメントありがとう。3人のコメント、とりわけmacbethさんのコメントを読んで、「感情労働とキレる客」以降の3回エントリの議論では、「疎外論」のもつ落とし穴について充分に留意をした書きかたになっていなかったか…

「感情労働」と「キレる」客

久しぶりのブログへの執筆です。忙しくて、自分でネタを考えて書く暇がありませんでした。これまでけっこう書くことができたのは、書き込んでもらったコメントをネタにして書いたりしていたからですが、こちらが書かないとコメントももちろん書き込んでもら…

なぜ帰宅後にすぐ手を洗うのか

大学でも新学期が始まりました。私が学生の頃は、授業が本格的に始まるのはゴールデンウィーク明けという感じでしたが、いまはそうもいきません(昔も学生が連休明けから行けばいいやと思っていただけで、授業はあったのでしょうが)。さて、文化人類学入門…

「トラウマと心理学主義」予告

Macbethさんは、前回の記事へのコメントの中で、 ところで、『個の代替不可能性』を掴んで(に掴まれて)生きる具体例として、私はPTSD症例を考えていました。ベトナム戦争以降の精神医学領域では、人の《受苦》体験を治療すべきPTSDの原因として(のみ)抽…

「ニューエイジ運動」との連続と不連続

現在のスピリチュアル・ブームについての文献というのは、まだあまりありませんね。当たり前ですけど、研究はかなり遅れてやってくるんですね。香山リカさんの本と信田さよ子さんの『論座』(2006年6月号)の論文くらいしかまだチェックしていませんが、両方…

千年紀資本主義とスピリチュアル・ブーム

人類学者のジーン・コマロフとジョン・L・コマロフが提起した「千年紀資本主義」論という議論があります。最もまとまった論考は、コマロフ夫妻が編集した『千年紀資本主義とネオ・リベラリズムの文化』(デューク大学出版、2001年)の「序論:千年紀資本主義…

戦略的本質主義を乗り越えるには(4)

さて、レヴィ=ストロースのいう「真正性の水準」について、戦略的本質主義もコミュニタリアンも見落としているということ、この「真正性の水準」において、「役割連関」(有機的連帯)による関係性が、それだけでは留まらず、根源的な社会的連帯(機械的連帯…

戦略的本質主義を乗り越えるには(3)

卒論面接やら修論面接やら書類作成やら入試業務やら学会の理事会やらが続き、きょうはなんと11日振りの休みです。もっとも明日には博士論文の口頭試問があり、その準備でゆっくりできない状況ですが。 さて、「戦略的本質主義を乗り越えるには(3)」を書こ…

戦略的本質主義を乗り越えるには(2)

少し思い出したので、「戦略的本質主義を乗り越えるには(1)」の続きの(2)を書きましょう。戦略的本質主義が「本質的アイデンティティ」を必要なものとしているのは、カテゴリーによって差別されたり周縁化されたりしている弱者が、差別している側であ…

戦略的本質主義を乗り越えるには(1)

きのうの夜は、センター試験の疲れ(受験したわけじゃないけど)と、他の仕事で、予告したコメントへのコメントを書けませんでした。改めて、養田さんと黄色い犬さんのお二人のコメントから、「本物の自分」をどこかに求める志向と本質主義的言説の関係を考…