大沼保昭『「慰安婦」問題とは何だったのか』を読む

 戦時中に「慰安婦」にさせられた国外の被害者に対して、国民と政府によって償いを行なうために作られた「アジア女性基金」については、1995年の設立当時からほとんど批判しか聞かなかったような気がします。設立当時は、メディアにおいてのフェミニストや「慰安婦」たちの支援活動をしていたNGOや左派からの「国家としての責任と国家賠償を回避するための隠れ蓑」という批判が目立っていました。そして、今年の3月にアジア女性基金は解散しましたが、そのときは、そもそも「慰安婦」などなく「公娼」にすぎないのだから償いなど必要ないという、歴史修正主義者や右派ナショナリストからの非難のほうが圧倒的に多かった印象があります(もっとも絶対数はそれほどなく、目立ってはいませんでしたが)。本書は、このように左右からともに批判・非難されたアジア女性基金の推進者であり前理事であった大沼さんが「失敗」と「達成」を総括した興味深い本です。
アジア女性基金をどのように評価するのか、前回のエントリまでの流れに即していえば、1991年にはじめて元「慰安婦」が名乗り出て以来、元「慰安婦」というサバルタンの声――〈顔〉をもとなった声、代弁された声、語られなかった声――に、どのように応答する途があったのか、そのことは、いまから考えてみるべき重要な問題ですが、本書は、この問題を考えるうえでの必読文献になるでしょう。

大沼保昭『「慰安婦」問題とは何だったのか:メディア・NGO・政府の功罪』中央公論新社中公新書1900)
Isbn:9784121019004

アジア女性基金ができたころ、私も、どこか胡散臭いなあと批判的でした。信頼に足る大沼さんのような知識人が積極的に推進することに違和感も持ちました。ただ、基金が日本政府に対して、被害者たちが基金の償いを受け入れたとしても、法的な解決を求める国家賠償請求訴訟は妨げられないことを保証するように折衝して、それを政府に認めさせたことを知ったとき、なぜ支援団体やNGOフェミニストたちは、償い金を受け取ると同時に、国家賠償請求の裁判闘争も続けるという途をも閉ざして反対しているのだろうという疑問を感じて、周りの「反基金」の研究者にも、お金を受け取って裁判闘争を同時にするのではなんでいけないのと聞いた覚えがあります。もっとも、このときもアジア女性基金それ自体を肯定するというわけではありませんでしたが、もっぱら一貫した「正しさ」を求める支援団体やフェミニストのやり方は、臨機応変なものとならざるをえない「弱者の戦術」としての途を否定してしまっていると感じていました。つまり、この疑問は、もはやフェミニストNGOは自分たちと自分たちが支援する人々を「弱者」として認識していないのだろうかという疑問でもありました。
この本を読むと、大沼さんをはじめとする基金の理事たちは、日本政府に法的責任を認めさせて国家賠償を勝ち取る闘争を「補完」するもの、つまり上に書いたような「弱者の戦術」の途をひらくものであったというように思えます。大沼さんは次のように書いています。

日本政府の責任を追及してきた支援団体やNGOも、道義的責任は法的責任より劣るという誤謬に固執することなく、総理のお詫びの手紙を含む償いの意義を素直に認め、法的責任は追及しつつ、他方でそうした償いを受け入れるよう、元「慰安婦」たちに助言すべきではなかったろうか。そうすれば、そうした人々の強い影響下にあった被害者のかなりの人たちは、法的責任を問う裁判は継続しつつも、アジア女性基金による償いを受け入れることによってそれなりの満足感を味わえたのではないか。すくなくとも、基金による償いを拒絶し、裁判を続け、特別立法に期待し、10年以上経ってそのどれも得られないという悲惨な状態に陥ることは避けられたのではないだろうか。多くの支援団体、NGO、弁護士たちにこうした柔軟な発想がなかったことは、かえすがえすも残念なことだった。
 ある元「慰安婦」は、一貫して基金の償いを拒否してきたが、あるとき総理のお詫びの手紙の内容を聞いてショックを受け、「日本の総理がそんな手紙を書くはずがない」と語ったという。「書くはずがない」と言った彼女のこれまでの人生がどのようなものであったか、それを考えると胸塞がれるものがある。しかし、なればこそ、彼女のまわりにいた人たちは、右[上]に述べた選択肢があることをくりかえし丁寧に語って、彼女の無限の不信感と猜疑心を解いてやるべきではなかったのか。あまりに無念なエピソードと言うほかない。
 日本政府とアジア女性基金が償いの理念と意義を十分な広報・説得活動を通じて伝えることができなかったこと、多くの支援団体やNGOがあまりにこわばった姿勢で基金による償いを拒否し続けたこと、そしてメディアが基金による償いの偽瞞性[ママ]というイメージを津々浦々に広めてしまったことが、被害者からそうした機会を奪ったのである。(193-194頁)

 もちろん、大沼さんは、いっぽうでは支援団体やNGOの成果も評価しています。2000年12月にVAWW-NETによって開催された「女性国際戦犯法廷」について、それが執行されない判決であったにせよ、「被害者に大きな高揚感と満足感」を与えたものと評価しつつ、「支援団体やNGOが元「慰安婦」たちに与え続けた「パン以外のもの」は、もっとも華々しい成果だった女性国際戦犯法廷以外にも、また裁判の遂行や目に見える支援以外にも多数あったに違いない」(221頁)と述べています。そして、「表面上は対立し、敵対的な関係にさえあった基金と支援団体、NGOは、それぞれが必死に被害者のために働くことによって、客観的には相互に補完的なかたちで、一人でも多くの被害者に、わずかではあれ、救いと、癒しと、満足感と、生活の安定を提供したともいえる」(223頁)と書いています。これらの言葉は、「敵対的な関係にさえあった」当事者としては、冷静で公平な総括といえるでしょう。もし、支援団体やNGOの側に「補完的」という認識があれば、基金に賛成はしなくても敵対する必要はなく、すくなくともその償いを受け入れようとする元「慰安婦」の妨げはしなくてもすんだでしょう。
 しかし、アジア女性基金は、韓国では結果としては被害者や支援団体の間に対立と紛糾を巻き起こしたのは事実です。本書で、大沼さんは、その責任は日本政府とアジア女性基金にもあったことを認めていますが、論調としては、その原因は支援団体やNGOの過剰な倫理主義による硬直した対応にあったというものになっています。それに対して、支援団体やフェミニストの側からアジア女性基金を総括している上野千鶴子さんは、その結果責任はもっぱらアジア女性基金にあったとしています。

国民基金*1の理事の一部には、韓国内の被害者支援団体に対して、その「狭量さ」を批判する人もいるが、批判を受けた側からすれば「先に殴ったのはそちらだ」という言い分があろう。国家による謝罪と補償を求めた被害者たちに対して、国民基金は当の被害者が求めるものとは違うものを差し出した。それを受けとらないからと言って、責める資格は国民基金の側にはない。求めるものと差し出すものとのあいだに最初にねじれをつくった責任は、国民基金の側にある。他方で、「償い金」を受けとった人々を窮地に追い込んだのは、たしかに運動体の側の「狭量さ」かもしれないが、被害者と支援団体とをそのような「苦渋の選択」へとおしやる初期条件をつくったのはほかならぬ国民基金の側である。[上野千鶴子『生き延びるための思想』岩波書店、2006年、222頁]

それに対して、大沼さんは、つぎのように述べています。

アジア女性基金の事業の結果、被害者のあいだの亀裂が深まったのは事実である。これには基金も責めを負うべきだろう。ただ、被害者はもともと多様であったし、「お金が欲しい」被害者は多数いたのである。そうした被害者の声が過剰に倫理主義的な支援団体、NGO、メディアによってつくられた世論によって抑圧されていたのである。アジア女性基金の活動は、「お金が欲しい」という彼女らの本心の一面――これはとても大切な一面である――を顕在化させたにすぎない。
「お金の問題ではない」というかたちでの「統一」や「団結」――こうしたことば自体が運動中心的である――なるものは、被害者のまわりで支援活動に携わった人たちの運動(体)中心の発想が生んだイデオロギーである。なによりも大切なのは、被害者一人ひとりのかけがえのない生のはずである。被害者の統一、ましてや運動の統一などといったものは、それに比べれば何物でもない。(90頁)

ここで私見を付け加えておけば、この責めを一番に負うべきは、日本政府でしょう。それは、税金を使ったにもかかわらず、アジア女性基金の活動についての広報・説得活動にまったく消極的であったというだけではなく、1990年に当時の労働省職業安定局の清水局長が日本政府の見解として、「『慰安婦』なるものに軍も国家も関与しなかった、民間の業者が勝手に連れ歩いていたものだ」という「見解」を出していました。つまり、強制したかどうか以前に、いまでは右派も認めている「関与」(関与があったから「公娼」としているわけです)そのものを否定していたわけです。その意味では(大沼さんの解釈とは別に)日本政府が「先に殴った」わけです。もし、支援団体も基金の理事たちも、紛糾も責めを負うべきはまず最初の対応を誤った日本政府だという認識を共有できていれば、「相互に補完的」だということを主観的にも思えたかも知れません。
 日本政府の「見解」の表明を受けて、1990年に尹貞玉さんたちが挺身隊問題対策協議会を作り、「日本軍の慰安婦であったことは恥だ」としていた韓国社会の見方を、「慰安婦は日本の戦争犯罪の被害者であり、責められるべきは加害者の日本国家だ」という見方へと転換させ、被害者に名乗り出るように働きかけます。そして、金学順さんが始めて名乗り出て、日本にもやってきて、その元「慰安婦」の顔の伴う「声」が大きな衝撃を与えたのです。このように、挺身隊問題対策協議会は、日本政府への不信感がそのスタートとしてあったわけで、元「慰安婦」の「声」に応答するとき、まず日本政府がその不信感を取り除く責任があったというべきでしょう。ところが、大沼さんも認めるように、日本政府はそれを怠り、基金も政府にその努力をさせることができませんでした。大沼さんのいう、「道義的責任は法的責任より劣るという誤謬」は一般論としては賛成しますが、日本政府が明らかに「法的責任を認めるより道義的責任を認めたほうが軽い」という態度で、しかもその根底にある不信感を取り除くどころか、政府高官や有力政治家が「慰安婦は公娼」などと言っていた状況にあっては、その「道義的責任」自体があやしいものだと取られても仕方がなかったでしょう。
また、尹貞玉さんたち韓国の知識人たちの努力なしには、金学順さんの「声」に日本の知識人たちが呼びかけられることもなかったという、この問題の日本での「始まり」が、その後、基金の償い金を受け取った被害者に対して「罪を認めない同情金を受け取れば、被害者は自ら志願して赴いた公娼になる」と発言した尹貞玉さんへの批判をしにくくしたということがあったのでしょう。そして、金学順さんを象徴とする「被害者の声」は、挺身隊問題対策協議会がその代弁を独占するかたちになっていきます。
それに対して、大沼さんは、被害者たちがもともと一枚岩ではなく多様であり、私たちの大多数が立派で勇気のある人間でないように、元「慰安婦」たちも「その多くはごく普通の人たちである」と指摘しながら、「被害者の声」、「被害者の視点」について、次のように言います。

そもそも被害者とはだれを指すのだろうか。「自分は元慰安婦だった」と名乗り出た勇気ある少数の被害者は、すべての、あるいは多数の被害者の声を代弁し、その境遇と願いと利益を代表しているのだろうか。また、しばしばメディアに「被害者の声」を伝えてきた有力な支援団体やNGOは本当に被害者自身の声や立場を代弁できるのだろうか。できるとすればそれはいかなる根拠にもとづいてできるのだろうか。
 こうした問題についてわたしが一貫して主張してきたことは、被害者の境遇も思いも多様であり、その主張も変化するのであって、ある元「慰安婦」がある時期に発したことばをもって「被害者の立場はかくかくのもの」と断定してはならない、ということである。これは、ひとつにはわたし自身が多様な元「慰安婦」と接し、その境遇や思いの多様性をみてきたことによる。と同時に、30年以上に及ぶサハリン残留朝鮮人の韓国永住帰還運動や在日韓国・朝鮮人の人権侵害の救済などへの取り組みを通じて、「被害者」もその多くはごく普通の人たちであり、社会にさまざまな人がいるように被害者も多様であり、その思いはしばしば変化する、ということを学んできたからでもある。(86-87頁)

 この大沼さんの言葉には、人類学者の多くが賛同するでしょう。ここ数十年、ネイティヴの土地回復運動や生活環境の保全運動を現地で支援する活動を行う人類学者たちは、ネイティヴが一枚岩ではないこと、現地のエリートや知識人たちとの齟齬だけではなく、サバルタンたち自身が多様であり、その主張が時期や状況に応じて臨機応変に変わることを経験してきたからです。そのサバルタンたちの声の代弁や代表や表象はだれもできないこと、人類学者にできることは、表象=代弁することではなく、その場の傍らにいてその多様な声を聴き取り、その隣接性において「自分にとって疎遠な力が決定した法によって編成された土地、他から押しつけられた土地のうえでなんとかやっていかざるをえない」弱者たちの「所有者の権力の監視のもとにおかれながら、なにかの情況が隙をあたえてくれたら、ここぞとばかり、すかさず利用する」という「もののやりかた」(セルトー)を学び、そこから理論を組み立てることだということを、人類学者たちは経験から学んできました(もちろん、このまとめ方に異を唱える人類学者も多いでしょうけれど)。
そして、それは、「有機的知識人」という用語の拡張をともなっていました。ネイティヴであっても、社会全体を見通す超越的立場にたちながらサバルタンを代弁し、システムとしての社会の改革こそ重要だと唱えるエリートや知識人たちは、サバルタンであるネイティヴたちを一枚岩に教化する役割を担い、サバルタンたちが多様であり普通の(俗っぽい)人間であることを抑圧・隠蔽してしまいがちです。そのような全体のシステムの改革こそ先だという思想は、多様で代替不可能な個々のサバルタンたちの生活から離れ、硬直していきます。挺身隊問題対策協議会や尹貞玉さんだけでなく、日本国内の支援団体やNGOの一部の知識人たちに見られたのは、そのような「硬直」だったように思います。グラムシの「有機的知識人」という用語は、「正しさ」や「真理」による改革を設計して自分を高みへと押しやろうとするのではなく、サバルタンの傍らにいて、一貫せずに矛盾するその「もののやりかた」を学び、それを自分の理論へと昇華する知識人を指す語として用いられ始めています(文学者や社会学者によるポストコロニアリズム研究では、まだネイティヴのエリート知識人を指す場合も見られますが)。
前にこのブログの[読書ノート]で紹介した『エルヴィスが社会を動かした:ロック・人種・公民権』(青土社、2002年)*2で、著者のマイケル・T・バートランドが、「黒人たちが生活の中から生み出した音楽をエルヴィスが盗用して自分だけが成功した」という神話を創ったアリス・ウォーカーらアフリカ系知識人たちを批判しつつ、エルヴィスを南部の白人と黒人の関係を変えてしまった「有機的知識人」と捉えています。そのような「有機的知識人」の捉えかたこそが重要になってくるでしょう。
 本書が提起している問題は、まだ多岐にわたっています。しかし、もう十分に長くなってしまいましたので、「慰安婦」問題についての他の論点は、また別の機会にしたいと思います。

*1:「反基金」の立場の人たちはアジア女性基金という略称ではなく「国民基金」という略称を使います。悪口をいうときに自分のつけたあだ名でということなのでしょうがこの略称では分かりにくくなるだけのように思います。

*2:isbn:4791759818