教科書検定についてもうひとつだけ

 教科書検定での沖縄戦の「集団自決」の修正の話題は、日本ではそれほど盛り上がらずに終わりそうですね。東京都知事選では、「空疎な小皇帝」*1である石原慎太郎が優位だとか。小泉純一郎もそうでしたが、白でなければ黒という単純な二元論が受けているとしたら(これがもっとも分かりやすい図式ですからね)、人びとの間の不確実性や不安*2が、知性の価値下落を招いていることの証でしょうか。虚勢や単純な二元論は、たしかに不安を隠したり、よそに投影したりしてくれますが、それは不安をなくすことにはならずに、かえって不安を募らせるだけだと思うのですが。
ところで、教科書検定についての記事を集めていたら、中日新聞(3月31日朝刊)の記事で今回の定で修正された教科書の例のなかに、次のような世界史Aの教科書の「修正」を見つけました。

申請段階……「イスラームといえば、戦争やテロとの関連で報道されることが多いが、イスラームの基本的考え方を理解すれば、イスラームに対するイメージが意図的につくられたものであることがわかるだろう」
検定意見……「誤解するおそれがある」
修正後 …… 「イスラームといえば、戦争やテロとの関連で報道されることが多いが、イスラームの基本的考え方を知れば、イスラームに対する理解も深まるだろう」

修正前の記述はたぶんイスラーム研究者が書いたものでしょうけれど、なかなか良くできていますよね。「イメージが意図的につくられる」ということを、具体的な資料*3を用いて授業をすれば、メディア・リテラシーをも学べるいい機会になったのにと思いますが、残念ながら、修正後の記述は、「イスラームを知れば、イスラームに対する理解も深まる」っていう、アホみたいな文章になってしまいました(「知る」って「理解を深める」ってことじゃないの?)。どっちが「良い教科書」か、一目瞭然だと思うのですが、教科書調査官はそうは思わなかったようです。
検定意見の「誤解されるおそれがある」というのは、教科書検定ではよく使われるフレーズのようですが、「誤解されるおそれ」なんていうのはどんな記述にもいえるわけですから、これは「政治的にまずい」という意味なのでしょう。しかし、政治的にも、イラク復興を掲げている政府として、修正するほうがまずいと思いますが。イラクがごたごたしているのはイスラームだからだという、知性のかけらもない単純なレイベリングで済ませたいというのが政府の意向(を汲んだ教科書調査官の考え)なのでしょうか。

*1:by 斎藤貴男。この「小皇帝」という呼び方は、虚勢だけの「お子ちゃま」である石原慎太郎によく合っていますね。

*2:これが、漠然とした社会に対するものではなく、「個人化」によって生じている自分に対する不確実性や不安ですから、治安も悪くなっていないといった「事実」を並べたところでなくならないところが難しいところです。

*3:別にサイードの『イスラム報道』でなくとも、日本の報道でもいろいろありますからね。ついでに、第二次世界大戦のときのアメリカ合衆国での日本に関する報道と日本での英米に関する報道も、ジョン・W・ダワーの『容赦なき戦争』でも使って取り上げれば、報道によって他者化されるということも身近に感じられるでしょう。