〈地続き〉と「切断」――日本の人類学の理論的到達から(2)

 さて、つづきです。
 松田素二さんの「切断」という用語のほうから説明しましょう。松田さんは、『抵抗する都市』のなかでは、本質主義的な語りを「均質化」の語り、構築主義的な語りを「異質化」の語りと呼んでいます。松田さんは、「抑圧者・被抑圧者を一元的に表象する定型的語りを脱ぎ捨て」て、構築主義的な「異質化」を行ってきた近年のニュー・ヒストリーやカルチュラル・スタディーズの植民地文化研究について、つぎのように言っています。

異質化を進めていくと、一人一人の思いと振舞いへと歴史の語りはシフトしていく。そこでは、生まれながらの弾圧者も、首尾一貫した抵抗の英雄も存在しない。頑固と日和見、良心と悪意を往来しながら生きる「当たり前の人間」が浮かび上がるはずだ。そこには抑圧する側とされる側の境界は消滅するか、ごく低い垣根に変わっている。こうした異質化された「人間像」の提示で、逆に見えなくなるものがある。それが暴力の問題である。[『抵抗する都市』145頁]

つまり、弱者も私たちと同じ「当たり前の人間」であると描くことは、現実の暴力的な「構造的強者と弱者の厳然たる区分」を見えなくしてしまい、「歴史的現実からの逃避と暴力支配の正当化」につながってしまうというわけです。それは「元『慰安婦』たちも私たちと同じ普通の人間」だと描くことや、「『慰安婦』たちもなかにはささいな楽しみを見つけけっこう明るく過ごしていた者もいた」という事実を述べるような「異質化の語り」にも当てはまります。しかし、だからといって単純に本質主義的な「均質化」に戻るわけにはいきません。そこで、「均質化」を免れ、しかもこうした「異質化」の問題点を解決するにはどのような方策があるかという問いが生じてきます。スピヴァクの「戦略的本質主義」はその方策の一つでしたが、すでに前回で見てきたように、それには、「均質化」を免れる有効な手立てがともなっていませんでした。他方、松田さんの唱える方策は「ソフトレジスタンス」(「ソフトでミクロでヘテロな抵抗」)論ですが、そこにおいて「均質化」と「異質化」双方の問題点から逃れる手立てが「切断」なのです。
松田さんは、まず弱者が定型的な語りによって本質的な自己像を描くことの重要性を指摘します。そこまでは戦略的本質主義といっしょです。しかし、本質主義によって規定された「自己像」からはみだした「ハーフィー」たちにとってはその自己像とそれによる団結が自己疎外を生み出してしまうと述べて、この定型的な語りが「いかにして新たな抑圧の手段に堕することなく、変革の道具となりうるのか」という問いを立てます。そして、抑圧された人々が行なってきた、その出口を求めるための試行錯誤の実践のなかから、「切断」という抵抗の仕方を取り出してきます。それは、定型化した語りの背後で、流動的な現実の生活の場においては「融通無碍で柔軟な制度や観念の改変」という生活実践を行ないながら、そのあいだに弁証法的な止揚や統合の関係をつくろうとせず、互いに共約不可能のまま切断しておくというやり方を指しています。そして、切断の意義とは、「定型化された語りと裏腹に、『生活の都合』にあわせた現実の微修正が、論理を超越して自在に」行われることを可能にすることにあると、松田さんは言います[『抵抗する都市』第5章]。つまり、「定型化された本質主義的な語り」と、それとは「異なる」日常的な生活実践とが、互いに作用し合うことなく並存させる知恵が、この「切断」だというわけです。
そして、重要なことは、そのような切断が可能となるのは、「慣習に囚われた生活の場」においてだということです。それをレヴィ=ストロースのいう「真正な社会」と言い換えてもいいでしょう。「真正な社会」における「慣習」は、考えられてきた以上に柔軟で融通無碍なものです。そこでは、支配システムから押し付けられた「本質」も「近代的理念」も、自己を肯定するための「定型化され本質化された語り」も、融通無碍で柔軟で混沌とした「慣習」の中に、「範型化」(範列化・客体化・パッケージ化・脱文脈化・脱領土化・脱埋め込み化)された上で、「再領土化」され「再埋め込み化」されています。ふつう、「客体化・パッケージ化・脱文脈化・脱領土化・脱埋め込み化」といった用語は、近代化や商品化やグローバル化にともなって、ローカルな文脈から切り離され、普遍的な意味を付与することを意味しますが、生活の場での「範型化」は、むしろ逆方向のベクトルを指し、システム全体から意味づけられた「部分」、すなわち機能が一元化された「部品」を、そのシステムから切り離し、普遍的で一義的な意味を剥ぎ取ることを意味します。いいかえれば、それは、ブリコラージュのための「雑多な断片の残りもの」のなかに入れることを意味するのです*1
人類学は、そのような「切断」の仕方を、フィールドにおいて抑圧された人々から学ぶための営みでもあります。松田さんは、つぎのようにいっています。

これまで見てきた二分法的な象徴世界[定型化され本質化された語り]と、それに回収されない生活実践の世界の切断は、けっしてアフリカ社会だけに見られる特殊で例外的なものではなかった。それは私たち自身をとりまく現代世界の支配様式と密接に関連している。フィールドでの経験は、自分自身が快楽交じりに囚われている不可視の支配システムと対峙しときに抗う術を、指し示している。定型化された文化の語りの背後で、生活の便宜によって自在に豹変する実践の創造を止むことなくつづける、この生活思想こそが、フィールドと私たち自身とを繋ぐ土台であり、その活用こそが私たちの身体に血肉化している近代支配の永続システムに対する、ソフトレジスタンスを保証し導く原動力にもなるのである。[『抵抗する都市』218頁]

けれども、人類学者にとって、フィールドでそのような「切断」という「もののやりかた」を学んだとき、フィールドで出会った人々をどのように描くのかという問題は残ります。抑圧された人々の「本質化された語り」とその背後にある「融通無碍な生活実践」の両方を「切断」しながら描くことが、その人々の「定型化され本質化された語り」を邪魔しない途なのか、またそんなことがどのようにできるのか、ブリコラージュの実践をブリコラージュで描くことは無意味ではないのか、といった疑問です。人々が「切断」している2つの世界を、人類学者は、別の世界としつつ、自分たちとフィールドでの人々とが共有している生活思想(レヴィ=ストロースなら「野生の思考」と呼ぶでしょう)の中で、それぞれを位置づけながら関連させて描く必要があるのです。
そのためのヒントは、関根康正さんの〈地続き〉という用語にあります。関根さんは、インドのハリジャン(被差別民)の民族誌である『ケガレの人類学』の序で、つぎのように言っています。

……近代理性の立場にたってインドの被差別民の現実を悲惨として嘆き、社会改革の急を訴える「良心的」行為に対して、私はどうしてもひっかかりを持ってしまう。というのは、そういう行為が実にしばしば陥っているのが、「立派で完全な」個人という視点から人間を見下ろして裁断する傾向であり、それが何か人間にとっての本質的な存在論的問題を取りのがしていると、私には感知されるからである。
私の限られたインド体験からでも、不条理に差別されるハリジャンの悲惨を想い描き記述することはできる。しかし、インド体験が私にもたらしたのはそれだけではなかった。というのは、村のハリジャンのAさんBさんという具体的個人に実際に会い話しをしてみる経験を通して、私の中に起こった重大な変化があった。日本を発つ前には、無知ゆえに持ってしまっていた「絶望的に悲惨なハリジャン」というイメージが、自然な形で瓦解したように思えたのである。実に当たり前のこと、彼らも泣き、笑い、怒り、嘘もつき、……したたかに生きていることを眼前にし、私と変わらない不完全な人間がそこにいると実感できたことに何か救いを感じたのである。[『ケガレの人類学』2-3頁]

このように、関根さんのいう〈地続き〉とは、ひとまず、自分がフィールドで出会った〈顔〉のあるサバルタンを、「私と変わらない不完全な人間」、「普通の人間」、「当たり前の人間」と実感することを指しているということができます。しかし、これは、松田さんがいう、現実の強者と弱者の厳然たる区分を隠蔽し、暴力的支配の正当化につながってしまう「異質化」の語りであるように見えます。
それを検討するには、関根さんのいう〈地続き〉の地平に立つということが、どのような他者の描きかたを目指しているのかという目的を見ていく必要があります。その目的は、ひとつには、他者を自分たちとは異なったポジションにいる存在と見なし、たとえば、差別の現実を自分の社会とは異質のカースト社会に固有の不合理として批判するような「高み」の視点を放棄するという、オリエンタリズム批判以降の人類学の自己批判と共通した目的があります。こっちはポストコロニアリズム構築主義ないしは反本質主義と共通していると言っていいでしょう。ただし、ここには、システム全体の改革こそ重要だとする「良心的」社会改革派への批判も含まれています。しかし同時に、他者について思いを巡らすことが自分自身の生のあり方を考えることになる地平に立って、差別という他者の現実を我がこととして思考することという、ポストコロニアリズムが省みることのなかった、もうひとつの目的が含まれてもいます。
 関根さんは、〈地続き〉の地平に立ちながら、インド社会におけるケガレの解釈を二つのイデオロギーに分けています。一つは、世俗的な現実の秩序にとどまって、ケガレを生む境界領域を、外部にあって既存の秩序を破壊するものとして排除し、秩序の内外を区分しその永続に寄与する徴として秩序の周縁部に固定する「排除」の態度で、関根さんは、それによって固定されたケガレを「不浄」と呼びます。もう一つは、境界領域を自らの生活世界としそれを内部から見る「受容」の態度で、境界領域に参入してその出来事としてのケガレを受容することで創造的な力を享受しようとする態度だといいます。関根さんは、この受容の態度を導くイデオロギーを、排除の態度を導く「浄・不浄」イデオロギーと区別して、「ケガレ」イデオロギーと呼んでいます。そして、前者がトップダウンの視点であるのに対して、後者はボトムアップの視点だといいます。
関根さんは、このような「浄・不浄」イデオロギーと「ケガレ」イデオロギーを区別することによって、従来のハリジャン研究における「文化合意論」と「文化断絶論」の対立をのり超えていきます。文化断絶論は、ハリジャンが支配カーストとは異なる固有の文化を生きているとするもので、文化合意論は、ハリジャンも支配カーストも同一の支配イデオロギーを共有しているとする立場です。前者は、支配イデオロギーに完全に屈することなく、固有の文化に依拠しながら抵抗するハリジャンの主体性を認めますが、彼らが実際に支配文化を模倣・受容していることを説明できず、後者は、ハリジャンが支配文化を模倣することを合意と捉えて彼らの主体性を否定してしまいます。その2つに対して、関根さんの立場は、「ケガレ」イデオロギーと「浄・不浄」イデオロギーという異なる価値が並存している点では文化断絶論と似ていますが、彼らが支配文化からの圧迫のなかで、自己の利益のために支配文化を模倣するなどの戦略を用いて、それと折り合いをつけていることを積極的に認める点で、断絶論と異なっています。つまり、文化合意論を、支配イデオロギーの再生産につながるものとして退ける一方、村のハリジャンが支配イデオロギーを共有しているようにみえるのは、近代以降、支配文化としての「浄・不浄」イデオロギーの圧迫のなかで、日常的実践においては生産力や親族の価値と結びつく「ケガレ」イデオロギーを「生きられる文化」としながらも、自分たちの「自己拡張」のためであれば、ふだんは反発している「浄・不浄」イデオロギーを時には手段として用いたり模倣したりするという戦略的態度をとるからだとするのです。
 サバルタンである彼らと私とが〈地続き〉であるのは、「生きられた文化」としての核心を共有している限りにおいて、類似しているからです。この「生きられた文化」も「真正な社会」における「慣習」と言い換えられるでしょう。「浄・不浄」イデオロギーは、さまざまな地域のさまざまな慣習が統合されて一義的な意味が決められていますが、「生きられた文化」としての「ケガレ」イデオロギーは、多様で融通無碍な「慣習」のままです。つまり、内容的にはさまざまに異なっていますが、それが真正な社会での「慣習」=「生きられた文化」であるという点で、〈地続き〉になれるというわけです。
この真正な社会での慣習としての「生きられた文化」では、「浄・不浄のイデオロギー」をも、そのシステム全体から切り離して「範型化」して取り込むことができます。関根さんのいう「模倣」と、松田さんのいう(「再領土化」し「我がものにする」ための)「範型化」は別のことではないのです。そして、その「模倣」も「範型化」も、自分たちを支配するシステムやイデオロギーに対してこそなされる生活実践であり抵抗であるということが重要です。というのも、それゆえに、〈地続き〉の地平に立って「模倣」や「範型化」という「再領土化」し「我がものにする」ための実践を描くことが、けっして強者と弱者の厳然たる区分を隠蔽して暴力的支配の正当化につながることがないからです*2
このように、松田さんのいう「切断」と関根さんのいう〈地続き〉は、背反するように見えますが、「切断」が、「生きられた文化」としての「真正な社会」での「慣習」への再埋め込みのための戦術であること、そして〈地続き〉の地平ということが、「真正な社会」での「生きられた文化」における、支配的イデオロギーとの「合意」でも「断絶」でもない、「模倣的受容」という関係性を前提としていることを考慮すれば、人類学者がフィールドで人々から何を学び、人々をどのように描くかという問題に対する同じような応答の、別の表現であるともいえるでしょう。*3
そして、その応答は、日本のポストコロニアル研究やカルチュラル・スタディーズが直面している(あるいは直面しておろおろしている)アポリアを解きほぐそうとするとき、いや自分の問題とはしていない研究者たちは放っておいても、「沖縄」や「サバルタン」との問題を自分の問題として考え、語ろうとしている人々にとって、人類学者が実際のフィールドの経験から自分の問題としながら試行錯誤のなかから取り出してきた試みとして、参考になるでしょう。

*1:その意味では「脱システム化」というのが正確かもしれません。

*2:人類学者がそのような実践を描けるのは、フィールドにおいて、「真正な社会」の水準において(つまり〈顔〉のある関係において)他者と出会うからです。つまり、人類学者は、たいてい、フィールドで、「定型化され本質化された語り」も、それを語る人々のそれに少しも囚われない生活実践も、具体的な他者との関係の中で実際に経験します。人類学者はときには人々のそのような語りや態度に腹を立てたり戸惑ったりしながら、その重要性を、身をもって学んでいくわけです。

*3:戦略的本質主義について、ポジションの違いという以上の違いを明らかにできなかったために、「均質化」を免れる有効な手立てを持てなかったと述べましたが、ここで紹介した人類学の理論において重要なのは、ポジションの違いではなく(それは「定型化された語り」では重要ですが)、レヴィ=ストロースのいう「真正性の水準」の違いであり、その区別によってアポリアから逃れられているのだといえるでしょう。もっとも、関根さんも松田さんも「真正性の水準」という用語は使ってはいませんが。