近刊『呪術化するモダニティ:現代アフリカの宗教的実践から』(風響社)の紹介

 飲み会がちょっと続いて、ブログの更新もご無沙汰でした。前回のエントリではコメントが読み応え的にも量的にも盛り上がって(書き込みしにくいコメント記入欄にもかかわらず)、黄色い犬さんがけしかけている(?)ように、コメントを受けて新しいエントリを作ろうと思ったのですが、飲み会だけでなく、ここで紹介する本の校正にも追われて、そのうちまた関連する話題のエントリを作りますので、そのときによろしく。ただ、一言だけ記しておくと(なにか特定のコメントへのコメントではないのですが)、たとえば、ネオリベラリズムに対する対抗言説が必要だという人に向かって言うときと、対抗しようなんていうのは取り込まれるだけだという人に向かって言うときとは、語り方や書き方は当然違ってきます。顔を知っている直接的な相互関係でいうときには相手によって語り方を変えますが、ブログに書くときは、こっちの人が多いのかなと勝手に感じた人向けに語るということになっているようです。いいたいことは同じで、対抗言説が必要だっていう人に対しては、同じ土俵で正面から対抗するのではなく、相手の苦手なこっちの土俵で対抗すべきだと言っているだけだし、対抗しようとすることが取り込まれることになるという人には、対抗する必要はないよ、土俵が違うんだから、と言いたいだけなのですが。
さて、本題に入ります。6月に共編著の『呪術化するモダニティ:現代アフリカの宗教的実践から』が風響社から刊行される予定ですので、その本を紹介したいと思います。

阿部年晴/小田亮/近藤英俊編『呪術化するモダニティ:現代アフリカの宗教的実践から』風響社、近刊(6月刊行予定)
Isbn:9784894891197

全体の構成とまえがきが
http://www2.ttcn.ne.jp/~oda.makoto/page036.html
にアップしてあります。

この本は、モダニティと呪術の絡み合いを、現代アフリカの事例から考えようという論文集です。モダニティ、とりわけ後期近代は、「個人化」と「脱埋め込み」*1の全面的な進行として特徴づけられますが、呪術などの宗教的実践は、それ自身の特徴として部分的・一時的な「個人化」と「脱埋め込み」の装置として存在していました。つまり、呪術は、モダニティが「脱呪術化(脱魔術化)」を標榜していたにもかかわらず、もともとモダニティと親和性があったわけです。この論文集は、そのような特徴をもつ呪術や宗教的実践が、グローバルなものとローカルなものが交差する生活の場において、全面的な「個人化」と「脱埋め込み」が進行する後期近代のネオリベラリズム文化とどのように絡み合っているのかということを明らかにしようというものです。
 また出版されたら(しつこく)お知らせします。

*1:A・ギデンズの用語disembeddingの訳語で、社会関係や文化的要素が、直接的な相互関係からなるローカルな文脈から切り離されて、時空間の無限の拡がりのなかで再構築されることを指す。