近代を「再埋め込み」するということ

今回も人類学っぽい話になりますが、9月上旬に某大学院の集中講義があり、その準備運動をかねて、そろそろ人類学モードにしなければならないのと、前回のエントリーへのかいとばばさんのコメントに応えるとき、まだいろいろ補足しておかなければならないことがあるなあと思いましたので。まあ、講義ノートのためのメモってところでしょうか。
まず、「文化の客体化」(自分たちの文化の客体化ですが)という実践が、近代化、植民地化、グローバル化に対する対応(対抗)であり、近代システムに包摂された周辺諸社会が、近代に対して近代によって対抗するものであること(たとえ自分たちの「伝統文化」を防衛するという「反近代」主義の形を採っていても)を確認しておきましょう。
そのことを説明するには、D・アイケルマンの「イスラームの客体化」論を取り上げるのがいいかもしれません。それについては、大塚和夫さんによる紹介があります*1
 大塚さんは、アイケルマンのいう「客体化objectification」を、ハンドラーやトーマスらの「客体化」と区別するためか、「オブジェクト化」と訳しています。そして、「イスラームのオブジェクト化」とは、大塚さんによれば、教育の普及やマスメディアの発達、印刷出版物の配布等によって宗教的テクストの唯一の解釈者としてのウラマーの権威が低下するなどの「近代化」によってムスリムたちが他のさまざまな信仰・無信仰の形態を知り、それとの対照によって自分の信仰や周りの人びとの信仰を反省的に再認識する過程を指しています。イスラーム原理主義と呼ばれている「イスラーム主義」は、この「イスラームのオブジェクト化」の一種というわけです。もちろん、近代以前から、ムスリムたちは、異教徒やムスリムでも自分たちと異なる信仰をもつ人びとを知っていましたが、それについての関心は周縁的なものだったといいます。しかし、近代になり、非ムスリム(西欧)起源の諸制度に包摂されたイスラーム社会の近代的知識人たちの中には、西洋化・世俗化を選択する者がいる一方で、一種のアイデンティティ・ポリティクスとして、「イスラーム主義」を再帰的に選択する者が出てきました。つまり、この「客体化」は再帰的近代の産物なのです。
 それは他の「文化の客体化」についても言えることです。なるほど、ニコラス・トーマスは、論文「伝統の倒置」の中で、文化の客体化が植民地化以前にもあったとし、その例として、多くの交流があり文化的に類似したフィジーとトンガとサモアという三つの島のあいだで、たとえばフィジーで女が入れ墨をして男はしないという慣習が、トンガでの女ではなく男がする入れ墨の慣習の逆転として語られるように、「フィジーのやりかた」が「トンガのやりかた」や「サモアのやりかた」の対照物のように意識され、「客体化」されていたと述べています。けれども、その「フィジーのやりかた」は雑多な慣習の集まりであり、何かひとつの慣習が「フィジーのやりかた」全体を表象するわけではなかったようです。つまり、それぞれの慣習の対照が並列しているだけであって、提喩的な表象とはなっていなかったわけです。したがって、このような客体化と近代での植民地化以降のアイデンティティ・ポリティクスのための「対抗的客体化」とは連続していないというべきでしょう。
 そして、「客体化」論の特徴は、意識的操作によって新たな文化を創造するという主体性の強調とともに、近代システムに包摂された時点をゼロ・ポイントとするかのように、近代と前近代との文化の断絶を強調していることにあります。大塚和夫さんは、その断絶について、次のように言います。

[客体化論では]「復興した」とされるイスラームは、オブジェクト化の過程を通り、「近代」において新たに「発明」されたものだと述べた。しかし、それはまったくの無の状態から突如創作されたというのではない。イスラーム主義運動などは、1400年にならんとするイスラーム史を背景とし、特殊「近代」的な状況の中で形成されてきたものである。それは、「前近代」と「近代」の双方を見据えた、複眼的視点からこの現象を理解していかなければならないことを意味している。[『イスラーム的』、163頁]

 また、前川啓治さんも、客体化論が「現在……のために過去を用いるという人間集団の主観性重視の立場をとっている」ために、「過去との連続性は、現在生きる人々が意図的に創ったものである」としていると述べ、過去と現在との間に断絶があるとする客体化論は、現在のみを特権化している点で、「かえって時間性が存在しないという議論」となっていると批判しています*2
たしかに、「客体化」される慣習や文化的要素は無から創作されたものではなく、過去にも存在したものであることが多いでしょう。ただ、客体化論では、過去の文脈から切り離されて別の文脈に置かれたそれらの要素はまったく新しい意味を付与されていることから、「断絶」を強調しているわけです。その意味では、たんに過去から継続して存在した慣習だという指摘だけでは客体化論への有効な批判とならないでしょう。そこには、確かに「文化の断絶」があるのです。そして、保守的伝統主義者や共同体主義者が理解していないのも、この断絶です。つまり、彼らが近代化やグローバル化から防衛したいと思っている「伝統」や「共同体」は、「客体化」されたものであり、過去とは断絶した新しいものであるということを理解していないというわけです。
けれども、そのような「断絶」とともに、そこには客体化論者たちが理解できていない「連続」もあるのです。その意味では、大塚さんの言うように、「『前近代』と『近代』の双方を見据えた、複眼的視点」が必要とされるわけです。トーマスは、近代と伝統とを排他的な二分法によって実体的にとらえることを批判して、真正な伝統とされているものも、植民地的状況の下で、西洋とオセアニア、伝統と近代との「歴史的もつれあいhistorical entanglement」というひとつのプロセスのなかで、西洋や近代と同時的に創造されたものだと述べています。そして、そのような視点から、ホブズボウムらの「伝統の発明」論を批判しています。
ホブズボウムは、近代において「発明された伝統」と、いわゆる伝統社会における慣習(custom)とを区別し、慣習を「本物の伝統 genuine tradition」あるいは「生きた伝統」と呼びながら、「伝統の発明」と慣習のもつ強靭さや融通性とを混同してはならないと述べていました。そして、「本物の生きた伝統」としての「慣習」の例として、イギリスの農民たちが「慣習」によってある共有地が村のものだと主張する場合、その多くは歴史的事実というより、王侯貴族や他の村に対する絶え間ない闘争におけるバランスとして表明されているという事例や、英国の労働者が労働運動において昔からの「商慣習」であるとして労働者の権利を守ろうとする場合、それは実際には昔からの伝統ではなく、最近になって労働者が実践のなかで定着させ、拡張したものであるという事例を挙げながら、これらは、「伝統の発明」ではなく、融通性のある「慣習」、「本物の伝統」なのだというのです*3
 それに対して、トーマスら客体化論者は、ホブズボウムによる「発明された伝統」と「生きた本物の伝統」との区別を本質主義的なものだと批判しています。つまり、ホブズボウムのいう(「発明された伝統」と区別される)「本物の伝統」も、伝統と近代との「歴史的もつれあいhistorical entanglement」という、近代におけるひとつのプロセスのなかで同時に創られたものだというわけです。
 けれども、トーマスは、近代における肝心な「歴史的もつれあい」を見落としています。というのも、エリート知識人の言説においてではなく、生活の場においてもつれあっているのは、松田素二さんが示していたように、それぞれ客体化された「西洋と非西洋、近代と伝統」ではなく、ツリー状構造による「近代知」とリゾーム的な「生活知」だからです*4
 そして、「近代知と生活知との歴史的もつれあい」を視野に入れている「範型化」論は、「近代知」によるシステムに包摂されたという「断絶」と、生活の場での「生活知」の「連続」とを両方とも捉えることができる点で、近代にのみ閉じられている「客体化」論とは違って、大塚さんのいう「『前近代』と『近代』の双方を見据えた、複眼的視点」をもっているというわけです。
 前回のエントリーで書こうと思っていて忘れたことですが、生活知による「範型化」は、以下にみる二つの対比によって明確にできるかもしれません。ひとつは、教育学者のバジル・バーンスティンが現代社会で階層によって言語の使用の仕方が異なっていることを表わすために用いた、「限定コード」と「精密コード」との対比です。すなわち、「範型化」による「ワンパターン化された語り、定型化されたイディオムを多用する語り」は、バーンスティンのいう「限定コード」による語りに近いものだといえるでしょう。「限定コード」とは、話し手と聞き手が共有する限定された知識に依存しており、特定の文脈=状況においてのみ意味が通じる言語の使い方を指しています。これは、あまり精緻な説明を必要とせず、紋切り型の表現が多用されるもので、主に労働者階級の家庭で用いられる言語コードとされます。それに対して「精密コード」は、特定の文脈=状況を超えても通じるような、抽象的で論理的な言語の精密な使用の仕方を指し、主に中産階級の家庭で用いられる言語コードで、学校で用いる言語コードに近いものです。バーンスティンは、当初、現代社会の階級による違いにこの二つを割り振ったわけですが、日常生活では、中産階級でも「限定コード」による話しかたが見られると言っています。そして、この「精密コード」と「限定コード」という言語コードの対比は、「近代知」と「生活知」の対比にほとんど重なるといっていいでしょう。近代になって、「限定コード」と「生活知」のほうは、学校や裁判や役所といった近代システムの諸制度で使われる「精密コード」からは劣ったものとして周縁化されるという「断絶」を経ながら、ずっと連続して存在していて、生活における「意味化」されえない経験は、「限定コード」や「生活知」によって保持されているというわけです。そして、バーンスティンが指摘していない重要なことは、生活における言語使用をすべて「精密コード」にすることはできないけれども、「限定コード」による言語使用のなかに「精密コード」による語りを(括弧に入れて)それがあたかも紋切り型のイディオムとして組み入れることはできるということです。それが、「範型化」による近代的諸制度の「飼い慣らし」であり、近代によって「脱埋め込み」された(すなわち、特定の文脈=状況を離れた)諸要素を生活の場の文脈=状況に「再埋め込み」することなのです。この「再埋め込み」によって、近代はその普遍性や絶対性を失うのです。
 さて、もうひとつの対比は、発達心理学者のキャロル・ギリガンが『もうひとつの声』の中で提示している、「ケアの倫理」と「正義の倫理」という対比です。ギリガンは、特定のコンテクスト(文脈=状況)に依存した物語的な思考様式にもとづき、他者との相互依存関係のなかに自己を位置づけることによる倫理を「ケアの倫理」と呼び、それは女性に多く見られる思考様式であるとし、正義や権利という抽象的な概念による、具体的な生活のなかの場面や関係性と切り離された普遍的な価値にもとづく「正義の倫理」と対比しています。そして、「正義の倫理」は男性に多く見られる思考様式で、近代社会では「ケアの倫理」より高度な倫理とされるけれども、ギリガンは、けっして「ケアの倫理」は劣ったものではなく、別の倫理、別の人間観なのであって、それが低い評価しか与えられてこなかったのは、自己を自律的主体としてとらえる男性の「正義の倫理」を道徳意識の評価の普遍的な基準としてきたからにすぎないと述べて、女性の「ケアの倫理」の復権を唱えています。
 ここでも、ギリガンのいう男性に特徴的な「正義の倫理」は、具体的な生活のなかの場面や関係性と切り離された普遍的な価値にもとづくものだという点で、近代知に属し、ツリー状構造による「大きな物語」に相当するといえるでしょう。それに対して、女性に特徴的な「ケアの倫理」のほうは、生活知に属し、特定の文脈に依存した「小さな物語」の連鎖に相当します。「ケアの倫理」に基づく「小さな物語」は、その対話性とコンテクスト依存性ゆえにけっして完結しないのです。
ところで、ギリガンのこの本は、フェミニストのあいだに意見の対立を巻き起こしました。たとえば、リン・シーガルは、『未来は女のものか』という本のなかで、ギリガンが復権しようとした女性の道徳的感受性について、つぎのように厳しく批判しています。

もし女が男とおなじくらい社会的に高く評価され、特権を享受していたなら、この道徳的感受性も消え失せるかもしれないのだ。社会的な力と自信とに欠ける人々は往々にして、対人関係では、より注意深く、よく気がつき、人を喜ばせたいと願う傾向があるのは、よく知られている事実である。こういった性質は、従属的地位にあるすべての人々に典型的に現れる特質である。……無力な人々はほとんどの社会的状況で差別と虐待に直面する。そしてそういった目に遇う機会があまりに頻繁なので、それに対処する必要から、こういう防衛的能力を身につけたのだ。[『未来は女のものか』226頁]

『未来は女のものか』の訳者である織田元子さんは、「訳者あとがき」で、シーガルのギリガン批判を、シーガルは「ケアの倫理」を「社会的劣位によって発達せざるをえなかった性質にすぎない奴隷の美徳」だと言っているのだと要約しています。しかし、ギリガンの本に出てくる女性たちが語っているケアの倫理を、社会的劣位にあって差別と虐待に直面してきたために発達せざるをえなかった「奴隷の美徳」であるということは、女性や奴隷をまったく無力で受動的な存在としてしか見ていないことになります。シーガルのいう「奴隷の美徳」は、オリエンタリズム植民地主義におけるオリエントやネイティヴの特質についての記述によく似ています。そして、シーガルがそれを切り捨てるのは、その特質が自律的な「啓蒙主義的主体」と相容れないものだからであり、その点もオリエンタリズムによく似ています。要するに、女性も近代西欧的な自律的な主体となれば、「ケアの倫理」のような「奴隷の美徳」は必要なくなるというわけです。
 このように、特定の状況=文脈に依存した生活知(しかし、それは近代知よりはるかに普遍的で「長い持続」をもつものです)を「奴隷の美徳」と切り捨てるのは、オリエンタリズムとしての客体化でしかありませんが、それをたとえば「女性の伝統的な美徳」として固定化するのも、近代に属する客体化(オクシデンタリズム)でしかなく、両方が近代知によるものです。重要なのは、それが、ツリー状構造をもつ「大きな物語」としての「近代知」をあたかも紋切り型のイディオムであるかのように「範型化」して、「小さな物語」の連鎖のひとつとしてしまうことを見落とさないことなのです。
 いやあ、これだく長くなるんだったら、論文として書けばよかったという気がしてきました。まとまった論文を書く時間がないからブログに書いているはずなのに。

*1:大塚和夫『イスラーム的』NHKブックス、2000年刊、第9章。

*2:グローカリゼーションの人類学』105-107頁。

*3:『創られた伝統』紀伊國屋書店、1992年刊、の「序論」。

*4:ツリーとリゾームはもちろん、ドゥルーズ=ガタリの用語ですが、これはレヴィ=ストロースの「栽培された思考」とブリコラージュによる「野生の思考」と重ね合わせると、液状化したネオリベラリズムないし新資本主義時代の現代社会でも有効な対比です。新資本主義は、資本主義がもともとそうであったように、すべてを流動化・液状化していき、ついに近代を支えてきたツリー状構造も液状化してしまうとされています。しかし、液状化流動性にもとづく支配は、リゾーム的な支配というわけではありません(現代の流動的なネットワーク支配をリゾーム的と呼んで、ツリー/リゾームの対比が無効になったという人もいますが)。リゾームは(ブリコラージュと同じく)あくまでも「真正な社会」の水準での「やりかた」です。そして、流動的なネットワーク支配を支えているのは、上層のツリー状構造なのです。