レヴィ=ストロース追悼

 レヴィ=ストロースが10月30日に亡くなったというニュースが今朝はいってきました。コメントでもそのことを書かれた人もいましたね。去年11月に100歳の誕生日を迎えたときも寝たきりになっていたので、ああやっぱりそうなのかという感想でした。「祝 レヴィ=ストロース100歳の誕生日」を書いてから1年もたたないうちでしたね。
 共同通信社から追悼文の寄稿を依頼されましたが、短時間で(もちろん予定原稿なんか作っていませんからね)、しかも原稿用紙3枚ぐらいだと何も書けない感じで、いちおう寄稿しましたが、新聞向けとは思えないものとなりました(依頼した方も、時間がないので、しょうがねえなあという思いで配信するのではないかな)。
 いま、その改訂増補版を書いているところです(まあ、代打で三振したあとにベンチ裏で素振りしているようなものですが)。これくらいの枚数だとすこしはましなものを書けたのになという思いで、加筆したものを以下に載せたいと思います。素振りっぷりを観賞してください。

 10月30日に100歳で亡くなった人類学者のクロード・レヴィ=ストロースは、20世紀最大の知的革命であった「構造主義」を主導したことで知られている。
 レヴィ=ストロースがその著書『野生の思考』(1958年刊)のなかで行った、当時の知的英雄のサルトルへの批判で一気に注目されるようになった構造主義は、それ以前の知的潮流である現象学実存主義と違って、哲学者だけによるものではなく、広範な学問分野を巻き込んだものだった。それは、サルトル実存主義を含めて、西洋の思想が囚われていた「歴史主義」に対して、「野生の思考」から根本的な批判をしたものだった。
 彼の構造主義が疑問を投げかけたのは、いまも私たちのなかにのこっている「歴史は進歩する」という信念と「個人の能動的な主体性」という価値観に対してだった。
 そのため、構造主義は、歴史や人間の創意を軽視したものだとか、人間を構造の檻に閉じ込めるものだとか言われた。しかし、それは、構造という概念への誤解と、西洋近代が創りあげた価値観にとらわれているための誤解によるものといえよう。レヴィ=ストロースによれば、歴史の進歩という信念は「歴史によって自らを説明することを選んだ」西洋近代の文明でしか意味をもたない信念だ。構造主義が歴史を軽視したという批判は、それが歴史主義によって自らのアイデンティティを創りあげた西洋近代への根本的な批判だったことを理解しきれなかったことからきているといっていい。
 また、「構造の檻」などというとき、なにか建築の構造や社会構造のように固定された客観的実体ととらえてしまっているように思う。けれども、構造主義の構造はそういったものではない。なぜレヴィ=ストロースが誤解されやすい「構造」という語を用いたのかということを説明するためには、彼がその「構造」というアイディアを得た1940年代初頭のニューヨークに話をもっていかなくてはならない。
 レヴィ=ストロース構造主義は、1950年代のパリではなく、1940年代のニューヨークで生まれた。1941年にアメリカに亡命したレヴィ=ストロースは、翌年にローマン・ヤーコブソンと出会い、構造言語学の音韻論を学んだ。そこから、レヴィ=ストロースは「無意識のうちに働く二項対立群」というアイディアを引き出す。また、彼が「変換(変形)」の概念を学んだという生物学者ダーシー・トムソンの『成長と形態 第二版』は1942年に出版されており、これもニューヨークで読んだ可能性が高い。そして、学位論文である『親族の基本構造』を書きあげたのもニューヨークであったが、そのなかの分析のために、同じく亡命中だった数学者のアンドレ・ヴェーユ(シモーヌ・ヴェーユの兄)を訪ねて、数学的構造主義の教えを請うたのもニューヨークにおいてだった。ニューヨークという街でのいくつもの出会いが「構造」というアイディアを形作ったのだ。
 その「構造」という概念を理解するうえで重要なのが「変換」というアイディアである。レヴィ=ストロースのいう「構造」は、同じく要素と要素間の関係からなる体系(システム)とも違っている。体系は変換が可能ではなく、体系に手が加わるとばらばらになってしまうけれども、構造は、要素や要素間の関係が変換して別の体系に変化していっても、なお変わらない何かを指している。変換によって現われた新たな体系ともとの体系のあいだの関係が構造だといってもいい。つまり、構造は、変換を通じてはじめて現れる。別の変換をすればまた別の構造が出現するのである。それには始まりも終わりもない。
 このような構造という概念をみれば、構造主義が人間を構造の檻に閉じ込めたという言説が意味をなさないものだということがわかる。むしろ、レヴィ=ストロースは、変化しながら多様性を生成する構造の「連なりの場」へと人間を解き放ってくれたといったと言ったほうがいい。
 そして、この構造という見方からすれば、人間の創造力は「連なりの場」にあるものとしてとらえられる。「連なり」から切り離された個人の能動性に重きをおく西洋近代の価値観とは違って、それは、他人から与えられたものに、その他人の意図とは別の新たな様相を与えていくような創造性である。レヴィ=ストロースは、そのような人間の創造性を分析する手立てを、現在翻訳が刊行中の『神話論理』全4巻として遺してくれた。
 私たちはいまだに近代というただひとつの文明のみに適合している。そのことは、構造主義からポスト構造主義へという知的潮流(それは西洋哲学への回帰でもあった)が人びとからあたかも「歴史の進歩」のようにとらえられていることからにも示されている(実際には、ポスト構造主義も「歴史主義」の終焉を共有していたのだが)。そこでは、人と人とが具体的に関係しあい包括的に理解しあう「連なりの場」(レヴィ=ストロースはそれを「真正な社会」と呼んだ)から私たちは切り離され、そのために多様な創造性をもっていた「野生の思考」は均質的な「栽培された思考」となってしまっている(もっとも、レヴィ=ストロースは1968年のあるインタヴューで、いつのも悲観主義を引っ込めて、インターネットを予言していたかのように、「マスコミュニケーションの新しい諸手段が、いわば『野生の』状態で生まれてきている」ことに期待し、その「新しい諸手段」が文化を均一化しようとする傾向をもつことは確かだが、それが「一方向にのみ働きかけるのではない」こと、そして今日の若者が自分自身の文化を、両親の世代の文化とはまったく異質のものとして作り上げることを可能にするのもマスコミュニケーションの諸手段なのだと述べていた)。そのような現在、「ただひとつの文明に適合」することが、人類の多様な創造性を見えなくしてしまうのだということを示してくれたレヴィ=ストロースの人類学の真価は、ようやくこれから認められていくに違いない。