景気対策とは別に必要なこと

 報告書用の論文の原稿が一息ついたので(とは言っても書き終えたのではなく、締切を1か月伸ばしてもらっただけですが*1)、久々に2日連続のエントリーを。
 政府や政治家の景気対策や雇用対策はどうも変な方向に行きがちになってきました。政府のほうはといえば、定額給付金も額が小さい上に、どうしても3年後の消費税増税とセットにしないと気が済まないようです。定額給付金はいわゆる「埋蔵金」を充てるのですから、増税と一緒に言わなくてもいいはずなのですがね。増税と一緒にアナウンスすれば、ただでさえ額が小さくて少ない効果がゼロになるという理屈は誰でもわかるはずですが。麻生総理は増税の計画は責任ある政権与党の「矜持」だと言っているようですが、そんな自分たちのプライドよりも、不況対策のほうが大事だということも分からなくなっているようです。
 それに、どうしても政権与党の矜持とやらを示したいというならば、増税(しかも消費税の増税より、相続税や高額所得者の所得税増税でしょう)とセットにすべきは、将来の社会保障のグランドプランとでしょう。福祉目的税としての消費税増税と言っていても、肝心の福祉のグランドプランなしに言っても、みんな将来の不安に備えて貯蓄しようと思うだけですからね。
 重要なのは、緊急の不況対策と、長期的に社会をどうするのかというグランドプランの両方がそろってはじめて、将来への不安なしに安心して消費できるようになって、本当の経済対策になるということ、そしてその2つをごちゃまぜにしないで議論するということでしょう。
 不況対策としては、財政出動と金融政策の2つしかないわけで、それこそ政府と日銀はプライドを捨てて、バラマキと言われようと給付金でも公共事業でもリフレ政策でも打ち出す必要があります。今回のように深刻な不況の時はとりわけ財政政策が大事であるというのは、多くの経済学者がケインズ主義者に戻っていることからもわかります。ところが、日本ではまだ「構造改革」のときの間違った刷り込みがマス・メディアに生き残っているせいか、バラマキ批判だの財政の健全化はどうしたという意見が出てきてしまっています。たしかに、緊急の政策は対処療法にすぎませんが、患者を救うのに対処療法を否定する医者はいないでしょう。しかし、右翼・左翼の両方の革新派(改革派)に共通した誤りとして、自分たちのグランドプラン実現のチャンスを優先させてしまい、対処療法は一時的で根本的には効果がないだとか、欠陥ある制度を延命させるだけだからといって否定してしまう傾向があります。その結果、悲惨な人びとを救うための革命なのに、悲惨さが蔓延して革命が近づくのを願うという本末転倒と同じことが起きてしまいます*2
 他方、経済学者はよく景気対策こそ最も効果的な雇用対策だといいます。これは緊急の対策としてはその通りです。しかし、それもまた対処療法であり、それだけでは同じことの繰り返しになることを忘れているようです。たしかに景気が回復すれば雇用問題も解決するでしょうから、対処療法ではないように思えますが、うまく軽いバブルを発生させて景気が回復したとしても、またバブルが崩壊して不況になったときに、失業が増えるということの繰り返しでは根本的な解決とは言い難いでしょう。というのも、その循環が繰り返せば繰り返すほど、失業や賃金低下に対する人びとの記憶と不安は持続し、将来の不確実性に備えて消費を控えることになり、だんだん回復は難しくなりますし、なによりも一時的とはいえ失業するという経験は、労働倫理と自己責任論が強く残っている現段階では、その人の人生に負のスティグマを刻印してしまいます。失業保険でなんとか暮らして景気回復すれば元に戻るというわけにはいかないということです*3
 資本主義には欠陥があります。それはマルクス主義者だけではなく、主流の経済学者の多くも認めてきたことでしょう。欠陥のある乗り物にみんなで乗っているわけで、いわば現在の状況は、走っている最中にその欠陥からくる故障が発生したとき、まずその故障個所をなんとか応急修理をして、乗っているみんなが助かるようにしなければならないでしょう。かといって応急修理をしてなんとか無事操縦できるようになったからといって、応急修理だけでそのまま走り続けるというのも、同じように乱暴な意見です。
 緊急の景気対策とは別に、長期的なグランドプランとしては、ベーシック・インカムワークシェアリングという社会のあり方が経済的にも最も良いものでしょう。新資本主義(金融資本主義とか株主資本主義とか強欲資本主義とか呼ばれていますが)ないしはネオリベラリズム的政策の最も大きな経済的な欠陥は、「ノー・ロングターム」というモットーにあらわされているように、短期の利益と流動性だけを追求して、長期的な戦略(人本主義など)や将来の展望といったものを不可能にしてしまったことにあります。いま経済的に求められているのは人びとの将来への「安心」ですが、構造改革は流動化からくる「不安」と「不安定さ」だけを強くしてしまったというわけです。
 しかし、かといって流動性をすべてなくすこともできないでしょう。ベーシック・インカムの利点は、一方で流動性をすべてなくすことなく他方で恒常性や安定性を確保できることにあります*4ベーシック・インカムによる生活の「安心」があってはじめて、「賭け」に似た新しい事業もしやすくなりますし、逆に不採算となっている農林業や漁業を持続可能にもします。しかし、それは実現まである程度準備の時間がかかりますから、緊急の対処療法にはならないでしょう。ですから、まず対処療法を大胆におこなって、負のスティグマを負う人をできるだけ少なくすることが必要です。緊急の対策としてワークシェアリングをという人もいますが、グランドプランなしにワークシェアリングだけしても、みんなの賃金が減ることにより、消費も減るし、それによってますます労働時間が減るというスパイラルに陥り、多くの人が不確実な将来を抱えるということになってしまいます。ワークシェアリングベーシック・インカムと合わさってはじめて有効に機能するといってもいいと思います。
 そして、緊急の対処療法自体は、長期のグランドプランと整合性がある必要はありません。対処療法と根本的な療法が矛盾することはよくあります。大事なのはその2つは別のものだとしながら、対処療法をしているあいだに、次のグランドプランを検討することです。それこそ政治に求められていることなのですが、麻生政権はもちろん、民主党にも、そして改革主義者でしかない渡辺善美さんや中川秀直さんにも期待できないことで、そう考えると、暗くなってしまいます。ただ、ベーシック・インカムへの賛同者は(政治家にはまだほとんどいないようですが)確実に増えているようなのが唯一の希望でしょう。

*1:みんな忙しく半分の人が書いていない状況らしい。ありがたいのは困った時のこういう団結(?)ですね。

*2:植民地研究でも、初期抵抗が鎮圧された後、抑圧的状況をなんとか生き抜くための植民地政府との交渉や日常的抵抗などについて、そこに主体性を見ることなしに、植民地支配を延命する利敵行為だとか反動的とか評価された時期が長く続きました。

*3:1回の失業で野宿者になる場合少なくないのも、社会から刻印されるそのようなスティグマが本人のなかに残るからでしょう。ですから、経済学的には公共事業での一時的な雇用も失業保険も同じことだと言っても、その本人にとっては同じではなく、社会学的にも違ってきます。

*4:それを一言でいえば、社会の二重性を保つことのできる制度だということです。社会の二重性という視点は、レヴィ=ストロースによる非真正な社会と真正な社会という議論の他に、ハーバーマスによるシステムと生活世界の二重性などの議論がありますが、ハーバーマスの議論では結局システムによる生活世界の植民地化を阻止して二重性を維持するすべはないことになってしまいます。前回のエントリーで、私は「保守・左翼・反ナショナリスト」だと言いましたが、そのような一見不可能にみえる立場が可能なのも、この社会の二重性という視点によっています。つまり、ベーシック・インカムの導入を、というシステムの改革を謳うことがどうして「保守」なんだといえば、その改革にもかかわらず生活世界の恒常性と安心は確保できるからです。