戦略的本質主義を乗り越えるには(?)

黄色い犬さんは、

ところでこの話、ほんとに続くんですか?

と聞いていますが、前回から日にちをおいたら、何を書こうとしていたのか忘れてしまいました。最後は、個の代替不可能性(かけがえのなさ)が、顔のある関係の過剰性のある共同体においてのみ肯定されること、そして個の代替不可能性は、「本質主義アイデンティティ」とは違って、関係を断ち切るのではなく「社会的連帯」を創り出すこと、そしてその連帯は役割連関としての有機的連帯ではなく、類似性による機械的連帯であること、その類似性(家族的類似性)は差異を前提としていること、したがって関係の過剰性による共同体はけっして同質的な共同体にはならないことなどについて書こうと思っていたことは覚えているのですが、戦略的本質主義の話からそこへどう繋げるつもりだったのかを本当に忘れてしまったのです。
思い出したら「戦略的本質主義を乗り越えるには(2)」を書きますが、もしかしたら、「個の代替不可能性と社会的連帯」を先に書くかもしれません。
あるいは、ぜんぜん違う話(頭を悩ませない話)に飛ぶかもしれませんが。