祝100回記念! といっても何もないけど。

 このエントリーが、このブログの100日目になります。パチパチパチ。2006年12月30日に開設したので、34カ月、約1000日で100日、10日に1回というペースは目標としていた週1日に及びません。でも、知り合い以外はほとんど読んでいないのではと思うこともあり、最近ではコメントもほとんど寄せられないブログにしては、よく続いたと言っていいのかもしれません。
 深夜放送的なニッチを目指すといってはじめて、開設した最初の頃はコメントにずいぶん救われて書きつづけることができました(感謝)。もっとも、最近はコメントもめっきり減り、深夜放送にたとえれば、メールもはがきも寄せられないってことで、面白くないという評価なのかなという気がしています。「論文も書けない忙しさ」を理由にはじめたことを考えると、現在は論文を書く時間はまあまああるし、執筆中(と言えないかな、最近は論文のほうを書くのに忙しくてあまり書いていないから)の本も2年間待たせていますので(誰が待っているのかよく分からないけど)、そろそろ潮時かもという気もしています(「やめないで」という声を期待しているのが見え見え! でもスルーされそう)。
 まあ、とりあえず、自分でお祝いということで。目指せ、109回!

宗教紛争と「客体化された宗教」

 いま大学院の授業で、関根康正さんの『宗教紛争と差別の人類学』(世界思想社、2006年)を講読しています。この本のなかで、関根さんは、インドの今日の宗教紛争を招いているヒンドゥーナショナリズムイスラーム主義双方の「コミュナリズム(宗教対立主義)」の台頭に対して、セキュラリズム(世俗主義)を擁護しようという論調があるけれども、コミュナリズム対セキュラリズムの構図では、宗教紛争を解決することも読み解くことはできないと言っています。
 すなわち、特定宗教を普遍的価値として主張するコミュナリズムと、すべての宗教の価値評価を保留し私的領域に押し込めるセキュラリズムの対立は、見せかけのものであり、両者は、「宗教を対象化して眺められるような近代思考としての世俗化した社会認識を共有している」(41頁)と言います。
 つまり、セキュラリズム(世俗主義)もコミュナリズム(宗教対立主義)も、宗教を「客体化」しているところで成り立つというわけです。「イデオロギーとしての宗教」と「信仰としての宗教」を分けたアシス・ナンディの議論を紹介している箇所で、関根さんは、「現代のヒンドゥーナショナリスト(コミュナリスト)は……[生活の場から切り離された]『イデオロギーとしての宗教』を操作する世俗近代主義者であるとし、彼らは一義的に標準化され切り売り可能なイデオロギー商品「パッケージ化されたヒンドゥー教」(「パッケージ化されたイスラーム教」に対抗するように)を扱う商人のようなものであるというのがナンディの見方である」(46頁)と述べていますが、この「イデオロギーとしての宗教」が、「客体化された宗教」であることは見やすいと思います。
 それと区別された「信仰としての宗教」を、関根さんは、「生活宗教」とも呼んでいますが、それは「独善的で一枚岩なものではなく、その実践において複数性をもつ」と言っています。つまり、「客体化」される以前の、生活の場における実践を指しており、ヒンドゥー教徒でも、他の宗教の要素を範列的に選んだりする柔軟性をもっているものです。

 この視点からは、今日の宗教紛争が起こっている状況は、次のように描けるでしょう。まず、宗教というものを、私的領域に押し込めることのできるものとして「客体化」するセキュラリスト(リベラリスト)がいます。彼らにとって、特定宗教を絶対視する者は遅れた愚か者です。つぎに、宗教というものをセキュラリズムに対抗的に「客体化」して、一義的に標準化された操作可能なイデオロギー商品とするコミュナリスト(ヒンドゥーナショナリストイスラーム主義者)がいます。
 つまり、超越的立場からのセキュラリストの「客体化」が、コミュナリストによる対抗的な「客体化」を生んでいるわけです。これは、前回のエントリーで述べた、FGM(女性器切除)廃絶論者の「女子割礼の客体化」が、「伝統」としての女子割礼の存続を主張する側の「客体化」を招くという図式とまったく同じ構図です。

 さて、ここまでは、近代のシステムの側にいる者たちの話であり、宗教を客体化する者たちのことです。言いかえれば、〈顔〉のある関係からなる生活の場から離れ、標準化され一般化された論理とメディアによる非真正な社会で起こっていることです。そこにおいて、セキュラリズムとコミュナリズムとが「客体化された宗教」の対立を生みだすのですが、それが暴力的な宗教紛争となるのは、コミュナリストに扇動された「大衆」が現れるからです。インドで宗教紛争が激化するのは、経済自由化による市場原理の徹底とそれによる経済成長にもかかわらず、それによって相対的に低下していく中間層以下が、不安定さと存在論的不安の状態に置かれていくのと軌を一にしています。いわばネオリベラリズム的体制によって不安定化した「大衆」が、RSSやVHP、BJPなどのヒンドゥーナショナリスト(コミュナリスト)によって扇動され、そのなかから、主に失業している若者たちを中心に、ムスリムに対して暴力的攻撃を行う者たちが出現しているというわけです。
 関根さんは、この構図を、差別の構図を説明するのに用いていた「二者関係」と「三者関係」という用語を使って説明しています。二者関係とは直接対面的な関係で、そこにも差別や暴力は必然的に生じます。けれども、自己が他者に向き合って振るう暴力や差別という「二者関係の暴力・差別」では、その都度の言い返し・やり返しや交渉といった直接的なやり取りに開かれているし、他の二者関係にもつながっている開放性があります。それに対して、「差別者・扇動者」「共犯者・扇動される者」「被差別者・排他的暴力を振るわれる者」という三者関係になると、この関係は固定化されます。「差別者・扇動者」が、サイードのいうオリエンタリズムにおけるオリエンタリストのように超越的立場にたって、全体を意味づけるからです*1
 宗教紛争や差別に対抗するには、この三者関係を崩す必要があります。人間の生に暴力がビルトインされている以上、暴力反対と唱えても効果がありませんし、そもそもデモクラシーを守るために暴力反対と叫ぶセキュラリストの足場が「超越的立場」にあるのですから、それはこの三者関係を強化するだけです。では、どうすればいいのか。三者関係を二者関係に戻すというのが、関根さんの答えのようですが(間違っていれば、関根さん、ごめんなさい)、近代思考やマス・メディアや法といった一般化されたメディアに介されて成立した三者関係をまったく無くすのは至難の業でしょう。国民国家だけではなく市民社会三者関係の構図そのものとして成立しているわけです。
 ただ、三者関係を完全に解体するのではなく、部分的にしかし不断に、三者関係を二者関係に戻すことはできます。三者関係のなかの「扇動される者・大衆」は、一般化された媒体に介された非真正な社会では「大衆」として現れますが*2、真正な社会(生活の場)では、二者関係をつないでいる人びとです。ひとは非真正な社会のみを生きることはできないゆえに、真正な社会と非真正な社会を二重に生きているというのが、私が唱えている「二重社会論」ですが、三者関係のなかの「扇動される者」も、真正な社会という足場をもっています。
 前のエントリー(9月26日の「西ケニアの「女子割礼」について」)で、「女子割礼はクリアの伝統だ」と、女子割礼を客体化していたクリアの「中間層」の男性が、自分の娘の話になると、客体化を中断して、生活の場の二者関係に戻っていくという例を出しました。関根さんのいう三者関係は、非真正な社会における「客体化」によって成立します。それを真正な社会における二者関係によって不断に中断させていくことが、三者関係を崩すことになっていくわけです。関根さんも、生活の場の「生活宗教」に、三者関係を崩す可能性をみていますが、それは「生活宗教」が真正な社会での生活実践であり、おそらく、関根さんのいう「三者関係を二者関係に戻す」ということにつながるからでしょう。つまり、それは、三者関係を解体するということではなく、三者関係と二者関係の間の「往復」を取り戻すということだと理解していいのだと思います。

 宗教紛争を「何百年、何千年もの歴史があるから解決困難なもの」とか(これはコミュナリストの「客体化された宗教」の言説をなぞってしまっています)、「遅れた愚かな狂信者による暴力であり、世俗化をすすめなければならない」とか「経済的・政治的状況に原因があり、経済成長と政教分離が必要だ」とか(これらもセキュラリストの「客体化された宗教」の言説をなぞっただけです)いった言説がまだ蔓延していますが、それらは宗教紛争を読み解くどころか、それを生みだす構図を強化するだけだということを、そして、それが「女子割礼」をめぐる議論(つまり「オリエンタリズム」の議論)とも重なっていることをすこしでも理解していただければ、このエントリーの目的は果たせたということになります。関根さんの議論は、「宗教」の本質としての「暴力」(「二者関係の暴力」「エロス」)という点にまで踏み込んでいますが、ここでは十分に触れることはできませんでした。それに対する私のコメントはまたいつか。

*1:セキュラリストも同じ「超越的立場」に位置していることを忘れてはならないでしょう。

*2:「大衆」の正確な定義は、「非真正な社会に生きる人びと」です。

再び女子割礼/女性器切除FGMについて

 前々回のエントリーで、私が調査している西ケニアのクリア社会の女子割礼のことを取り上げました。人道的介入を訴えるFGM(女性器切除)廃絶論者と文化相対主義に立つ人類学者の断絶を少しでも埋めて対話がなりたつようにという意図もあって書いたのですが、FGM(女性器切除)廃絶論者からのコメントもトラックバックもいまのところありませんね。

 これはひとえにこのブログの力不足のせいでしょう。Googleで「女子割礼」を検索しても上位200までに入っていないのですから、関心のある人に読んでもらうのは困難というものです*1。学生のレポートにも使えると思うのですが(単位がとれるかどうかは保証の限りではありません)。
 日頃からゴールデンタイム番組のような万人向けではない「深夜放送」的なニッチを目指しているなどと、読みにくいブログになっていることへの言い訳にしているから、いざ広く読まれることを狙ったものを書いても、当然読まれない結果になるというものです。
 悔し紛れにというわけではありませんが、再び「女子割礼/女性器切除」を取り上げて、少しでも読まれるようにしようという魂胆です。

 さて、前々回のエントリーに対して、別のところで質問が寄せられました。そちらには応答しておいたのですが、同じような疑問をもたれた方がいるかも知れませんから、こちらにも書いておきます。その質問とは、「でも(クリアで)女子割礼をやめるようになったのって、広い意味での西洋化ではないの?」というものです。
 それに対する答えは、それはその通りだというものです。ただし、それだけだと、アフリカ社会のあらゆる急激な変化は「西洋の衝撃」で始まり、それまでは不変だった、あるいはひと世代ではわからないような緩やかな変化しかなかったという誤解を招くおそれがありますので、付け加えておけば、たしかに、こういった変化は、契機が外部との交流にあります(「ひとのふり見てわがふりなおせ」ってやつ)。そもそも、レヴィ=ストロースの神話研究が明らかにしているように、あらゆる文化は他の文化との変換によってつくられています。そして、その変化は、西洋化や近代化で早くなったといえます。クリア社会での女子割礼の変化もそのようなことは言えます。しかし、外部との交流による変化は、西洋化とは別に以前からアフリカ社会内部にもありましたし、女子割礼以外で、西洋化以前に変化した儀礼もあります。

 大事なのは、クリアの老人が「女子割礼がなくなっていくのは、昔は重要な儀礼だった他の儀礼がいまはだれも行なわなくなったのと同じことさ」と言っていたように、広い意味での西洋化によって変化が促されたとしても、西洋化以前のその変化と西洋化後の女子割礼の変化が連続しているように捉えられているという点です。
前々回のエントリーで言いたかったことは、そのような連続的な変化であれば、たとえ客観的にいえば「西洋化」「近代化」による変化であっても、自分たちの生活の変化(これももちろん「西洋化」の影響と言ってかまいません)の便宜にあわせた臨機応変の選択によって変わったというという点であり、そのような変化なら、無意味な客体化も、矜持や自負の喪失も起きないし、実際の変化は、人道的介入する場合よりそちらのほうが早いということです。
 したがって、ここで対比されているのは、「西洋化以前の閉じられた内部での変化」(西洋化以前も外部との交流による変化が多かったわけで、これは幻想です)と「西洋化による変化」ではなく、「西洋化を含めた外部からの要素を範列的に臨機応変に選んだことによる変化」と「人道的介入による、最初から正解がある前提での固定的な変化」です。介入する側が最初から「人道」「人権」という普遍的(と思いこんでいる)な正しさを固持している場合には、そこにあるのは、現地の人との対話や共同作業を標榜しているばあいでも、それは対話ではなく、最初から問答無用(正解がすでにあるのですから)の啓蒙にすぎません。

 「外部からの要素を範列的に臨機応変に選んだことによる変化」には、女子割礼の「医療化」という変化も含まれます。クリアのような田舎でも、クリニックで看護師が施術したり、伝統的な割礼師が行う場合でも、使い捨ての安全カミソリやアルコール消毒、止血剤を使うなどの「医療化」が見られました。HIV感染を防ぐためという理由で医療化が急速に進んでいるのですが、娘たちが割礼によってそのあと病気で苦しむことを望むものは誰もいないわけで、医療化は自分たちの生活のために選択されていると言ってもいいでしょう。
 けれども、多くのFGM廃絶運動やWHOは、この「医療化」に反対しています。確かに、医師が女性器切除の手術を行うような医療化の場合、病気でもないのにメスを入れることに「医療倫理」の面から問題とされるでしょう。しかし、FGM廃絶論者が反対する理由は、医療化やクリトリスの包皮をきるといった「穏やかな女子割礼」という変化が、かえって女子割礼を温存してしまうということにあります。
 ある意味で、FGM廃絶論者にとって、女子割礼の医療化や「穏やかな施術」への変化は悩ましい問題です。FGM廃絶の理由の一つが、「非衛生的に行われ、感染症など女性の身体に重大な支障を与える」というものでしたが、これが「医療化」によって取り除かれてしまいます。そのことは、施術を受ける女性たちにとって、もちろん好ましいことですが、廃絶を訴える運動としてはアピールする根拠の一つが失われるという点が悩ましいわけです。そうなると、もうひとつのFGM廃絶の主な理由である、「女性から性的快感を奪う性差別的なものである」*2ということを訴える一方で、女子割礼の廃絶を遅らせるだけの「医療化」に反対するということになります*3

 私の立場は、「伝統だから(あるいは人々がやっていることだから)存続せよ」と主張することも(前にも書きましたように、伝統だから存続させよと主張する人類学者はほとんどいないでしょう)、「人権侵害だから(あるいは野蛮だから)廃絶せよ」と主張することも、ともに生活の場を超えた視点からの「客体化」によるものだから、やめて、そこで生活している人々の、生活の場での「範列的操作」*4による選択を重視するというものです。たとえば、クリアに見られるような生活の場での「医療化」は、生活の都合による「範列的選択」の結果ですから、むしろ支援したほうが、同じく「範列的選択」による廃絶を促すことになります。
 エジプトの都市部などで、医師による女子割礼の医療化が進んでいますが、そこでは医師が「これは伝統だから続けるべきであり、清潔で安全なやり方で行うことを広めるべきだ」と、女子割礼の医療化を正当化しています。このような主張は、生活の場を超越した視点からの「客体化」による主張です。そこでは、割礼すること自体が目的化してしまっています。
 けれども、そのような客体化を招いたのは、FGM廃絶論の側の「客体化」であることに留意する必要があります。客体化が客体化を招き、かえって女子割礼が存続してしまうのだから、その両方の「客体化」を生活の場の「範列的操作」へと戻すこと、それが「客体化」による対立を乗りこえる唯一の道だというのが、前々回のエントリーの提案でした。
 このような「客体化」から「範列的操作」という転換は、同じく生活の場を無視した超越的な視点からの、双方の「客体化」が招いている宗教紛争を乗りこえるためにも有効であると思っていますが、それはまた次回にでも論じたいと思います。

*1:ちなみに、「アフリカ 女子割礼」で検索すると20位以内、Googleブログ検索だと「女子割礼」の検索でトップ10に入っています。Googleに入らないのはCIAの陰謀に違いありません。追記:と書いた翌日の10月11日には、Googleでの「女子割礼」の検索で、前々回のエントリーがトップ10入りしていました。検索エンジンってどうなっているのやら。やはり、CIAが「ばれたか」ということで妨害をやめたとしか考えられません。また、不思議なことに、「アフリカ 女子割礼」のほうは圏外に落ちてしまいました。

*2:この理由も、クリトリスの包皮を切るだけの「穏やかな施術」によって軽減されていますし、またそれが「性器中心主義」的な主張(C派もそれに対する反動であるV派も、また男性の性的快感がペニスだけという主張も含まれます)であるという点で問題をはらんでいますが、ここでは「医療化」についてだけ取り上げます。

*3:他に、「苦痛を与えること自体が虐待」という理由もあるでしょうが、これも「医療化」と「穏やかな施術」に変化していることで、男子割礼なみになっていることを考えると、女子割礼だけを廃絶する理由としては弱くなっています。もちろん、「穏やかな施術」とはいえ、かなり「痛い」わけで、クリアで女子割礼がなくなっていっている大きな理由が「痛いからいやだ」というまっとうな理由です。ただ、それは、外部から「介入」する根拠としては弱くなくなります。成人式などの通過儀礼には、割礼以外にもさまざまな「身体加工」や「試練」はつきもので、それらはたいてい「痛い」ものだからです。追記:もっといえば、「無痛文明」の現代にあって忘れられがちな、「これらの苦痛がなんのために必要だったのか」という問いを考えなくてはならないでしょう。そして、割礼が割礼自体を目的としていたのではなく(たとえば「伝統」として全体化することも、「性的快感を減少させる」ことも「割礼」自体を切り離してしまっています)、あくまで隠喩的な「死=社会からの追放」を経験する儀礼であったことも。

*4:松田素二さんの用語で、相互に矛盾さえするイディオムの雑多なストックの中から、生活の便宜に応じて臨機応変に選択するような、定式化・固定化されないような生活知による無意識の操作を指しています。

子ども手当に所得制限って、左翼小児病?

 民主党マニフェストの目玉の一つである「子ども手当」について、所得制限を設けるべきという声があがっているようです。政権発足後すぐに、与党である社民党福島みずほさんが、子ども手当には所得制限を設けるべきだと発言しましたし、自立生活サポートセンター・もやいの湯浅誠さんも、『毎日新聞』2009年9月8日夕刊の「特集ワイド」の記事でのインタヴューのなかで、所得制限のない子ども手当を「まるっと支援」と呼び、「一億中流は崩れたのに、階層の発想がない」と批判しています。
 再分配すべき財源が一定なのに、金持ちに再分配するなんて無駄だという左翼らしい発想ですが、このブログで「ベーシック・インカムを!」と提案している私としては、このような発想は困ります。「0歳から死ぬまで、金持ちにも貧困層にも、なんの区分・制限なしに、一人当たり一律月10万円支給」なんて言ったら、「なんで限られた財源から金持ちにまで支給するのか」「階層の発想がない」と言われることになるわけですから。
 ちなみに、『毎日新聞』2009年9月24日夕刊の「特集ワイド」での中堅・若手官僚へのインタヴュー記事のなかで、経済財政関連省庁のある若手官僚は、「子ども手当や高校無償化がなぜ年収1000万円以上の世帯にも必要かわからない。低所得者に手厚く配分するのが、国の役割では」と語っています。若手官僚のなかにも左翼がいることがわかって心強いかぎりなのですが、ミーンズ・テスト(所得や資産を調べて、受給資格を審査すること)なしの普遍的な支給が重要となる「ベーシック・インカムのある社会」を目指すためには、このような発想はやはり問題となります。
 ミーンズ・テストによる所得制限のどこが問題なのかは、ベーシック・インカムを論じたいくつかのエントリーに書きましたが、子ども手当に即して再論しておきましょう。問題は主に3つあります。
1) 「貧困の罠」
2) 「事務コスト」
3) 「受給のスティグマ
です。
 低所得者に厚く配分するという「階層の発想」で所得制限を設けるときには、前年度の所得を世帯ごとに調査して、たとえば500万円以下の世帯に支給するということになるのでしょう。「貧困の罠」というのは、共働きで前年度の世帯収入470万円、子ども2人という世帯が、翌年に年62.4万円の子ども手当をもらっているとして、ちょっとがんばって働いて世帯収入が510万円になりそうだとなったら、次の年から子ども手当をもらえなくなり、収入は減ってしまいます。となると、合理的な行動は、働くのを制限して、世帯収入が500万円を超えないようにするというものです。つまり、所得制限の社会保障支給があるために低所得から脱け出すことができないというのが、「貧困の罠」です。
 だったら金持ちだけを制限するために世帯所得1000万円以下に支給すれば、となりますが、今度はそれによって節約できる「無駄」はたいして多くありません。前年度の世帯所得を調べて審査するという事務コスト*1を考えると、節約にはあまりならないのではないでしょうか。
 最後に、「受給のスティグマ」について。これは経済学者がほとんど無視する問題ですが、社会学的には重要です。とくに日本社会のように、「自己決定・自己責任」論の強い社会では、低所得者層向けの支給を受けること自体が、低所得者に、「本当は、自分でなんとかしないといけないのに、自分は他人の世話になってしまっている」というスティグマを烙印してしまいます。
湯浅誠さんなら、生活保護を受けることなしにぎりぎりまでがんばってしまう貧困層を大勢みているはずなのに、「まるっと支援」を否定しているのはどうしてなのでしょうか。「まるっと支援」こそ、自己決定・自己責任論からくる「受給のスティグマ」を解消してくれる一つの道なのに。それが左翼の「貧困層に再分配を」という思想に反するからだというのは、左翼小児病と言われても仕方ないでしょう。
 先の若手官僚が「低所得者に手厚く配分するのが、国の役割では」と言っていることには賛成します。そして、金持ちに子ども手当が必要ではないというのも正しいでしょう。限られた財源では、そう主張したくなるのも当然かもしれません。それについてはどうしたらいいか。簡単なことです。ベーシック・インカムのエントリーでも書きましたが、金持ち減税を止めて、所得税累進課税を再び強化し、相続税も高くすればいいわけです。左翼ならば当然そう主張すべきでしょう。
 累進課税をやめて金持ち減税をしたときに、「がんばっている人に報いる社会」、「金持ち減税しないと海外に移住してしまう」、「一握りの金持ちが社会全体の経済を引き上げていく」といった、ほとんど根拠のない理由がもちだされていましたが、いまそんなことを信じている人もいないでしょう*2。しかし、財源を問題にするときに、いまでもマスコミや評論家は消費税の増税しかいいません。消費税は累進ではなく逆進性の税です*3。左翼までがそうなってしまっているとしたら、左翼小児病以前かもしれません。

*1:私にはどれくらいになるのか、想像もつきませんが。そういうことを計算するのが官僚の役割なのですが。

*2:法人税増税だと企業は拠点を海外に移すことはあるでしょうが、個人の所得のばあい、人間関係を含めて環境依存度が高いので簡単に海外に行って同じだけの所得をえられる人はそんなにいないでしょう。さらに言えば、高収入の人は、インフラ整備など自分の仕事の環境が整えられているという形で、社会や国からかなりの再配分を得ているわけです。それを、「自分個人の能力で稼いでいるのであって、社会や国から支援されているわけではない、がんばらずに社会保障など再分配されているのはけしからん」と言っているのはどうかと思います。

*3:逆に子ども手当のような一律支給は累進性の性格をもちます。

西ケニアにおける「女子割礼」について

 アフリカの女子割礼について話題になっているようです。私は、ケニア西南部とタンザニア西北部の国境をまたいだ地域に住んでいるクリアという民族について、西ケニア側で現地調査をしており、1990年代後半に、クリア社会の男子割礼と女子割礼の調査をしたことがあります。
 その成果の一部は、科研費の成果報告書ならびに博士論文という形で発表していますが、一般に読まれる形での発表ではありませんでした。アフリカの女子割礼への関心がすこしでも上がっているときに、現地調査したことのある人類学者として、現地の声を紹介する義務があるだろうと思い、緊急エントリーをアップします。


 民族誌的事実を紹介する前に、まず、アフリカの女子割礼を廃絶するために人道的介入をすべきだという人権派と、現地の声や当事者にとっての意味を知ることが大切だという、文化相対主義的な立場をとる人類学者との間のディスコミュニケーションについて、私の意見を述べたいと思います。前者のいう人道的介入は、多くの場合、国際的非難によって法的に禁止することを促し*1、個別の事例での救援をするとともに、現地の女性たちへの啓蒙や人権教育を進めることによって、現地で反対する女性たちを増やしていくという、比較的穏健なもので、なんでこれが「植民地主義的」とか「西欧中心主義」などと批判されるのか、分からないというのは、ある意味では当然だろうと思います。
 ちなみに、誤解があるのは、人類学者たちが、伝統的文化なのだから介入するなと擁護していると思っている人も多いという点です。そのような立場も文化相対主義と呼ばれることがありますが、そんなことを支持する人類学者はいません。人類学者たちは、むしろ「伝統を守ることに価値がある」とか「伝統だから介入するな」といった言説を本質主義本質主義的文化相対主義として批判しています。人類学者の文化相対主義は、それとはまったく違うものなのです。
 あるいは、たしかに西欧のフェミニストたちや人権派の人たちが、女子割礼の現地の意味や現地の人たちの声を無視し、自分たちが作りあげた「普遍的な」価値観にもとづいて介入するのは「植民地主義的」かもしれないが、現地の女の子たちが酷い人権侵害に遭っているのを放っておくほうがもっとまずいと思う人もいるでしょう。
 それに対して、クリア社会でのフィールドワークの経験を踏まえての私の意見は、女子割礼をすみやかになくすためには、人道的介入をしないほうがいいというものです。私自身は人道的介入を西欧中心主義的で植民地主義的だと思っていますが、だからまずいとうのではなく、女子割礼をすみやかになくすとともに、現地の女性たちに矜持や自負を保持させるという目的をかえって達成できないからまずいのです。


 それを説明するためにも、クリア社会での女子割礼の概要を紹介しましょう。クリアでの女子割礼は、男子の割礼と同様、通過儀礼の一環としての儀礼として行われます。この儀礼によって、少女は、性交と結婚ができる地位になるというわけです(割礼前の少女との性交は禁じられています)*2。割礼の基本的な意味は、この通過儀礼に伴う身体加工の一種ということにつきます。また、女子割礼はつねに男子割礼とセットになっていて、現地語での呼び方も「女の割礼」ということばで呼ばれます*3
 アフリカの女子割礼とひとくくりにされますが、その施術のやり方は民族ごとに違うし、また時代によっても大きく変わっています。たとえば、クリアの隣の、ケニアの中で大きな民族であるルオ人の社会では男も女も割礼しません。また北のほうの近隣民族であるグシイでは、もともとクリトリス切除などはせず、クリトリスの先端だけをちょっと切るやり方でした。クリアでは、元女子割礼師の話によれば、1920年代ころまでは、クリトリス全部を切除し小陰唇の一部も切除していたが、彼女が割礼の施術を始めた1970年代ころからクリトリス切除だけになり、1990年代にはクリトリスの先端の包皮を切開するだけとなり、それで出血すれば割礼と認めるというように変遷しています*4
 クリアにおける女子割礼の変化は、それだけにとどまりません。特別の場所で女子割礼師が行う「伝統的」なやり方ではなく、看護婦の資格をもつ者が自分で開いたクリニックで女子割礼をおこなうようになってきたこと、また、注目すべきことに、1980年代に始まった傾向ですが、女子割礼をしない女性が出てきました。1980年代前半に女子割礼をしなかった女性に話を聞いたのですが、女子割礼をしないという方針を決めたのは彼女の父親で、母親や親族の女性たちは反対し、父親がいないすきに彼女を割礼しようと画策したのですが、女子割礼の儀礼が始まる直前に、父親が彼女を村から連れ出して町に行ったそうです。母親や叔母さんたちが彼女を割礼しようしたのは、もちろんひどい母親というわけではなく、割礼しなければ結婚できなくなることを心配してのことです。その後1990年代後半になると、クリニックで割礼する女性や割礼しない女性が半数近くにまで増えていきます。


 重要なことは、このような変化は、人道的介入やNPOの啓蒙によるものではないということです。クリアにはまだNPOによる女子割礼廃絶運動はほとんど入ってきていません。それは生活の変化に応じてクリア人自身が柔軟に慣習を変えていった結果で、女子割礼をしない女性も、それが性差別だからといってやめたわけではないのです。
 クリア人自身による慣習の変更はかなりすみやかです。80年代では、娘を割礼させなかった父親を非難する人がかなりいたのに、私が調査した90年代末には意外なほど非難の声は聞きませんでした*5


 ついでに、男子割礼の変化についても触れておきましょう。まず、男子割礼は、女子割礼よりも早く、伝統的な割礼師によらない病院やクリニックでの施術が始まっています。それは、1970年代後半に始まり、80年代ころまでは病院で割礼を受ける少年は親戚や割礼仲間から臆病者と侮蔑される傾向がありましたが、90年代後半には、病院やクリニックでの施術のほうが多くなっています。やり方も、伝統的な割礼師による施術は、70年代までは、包皮だけではなくペニス本体にも切込みを入れるというハードなものでした。そのため、出血が止まらずに死亡する少年が絶ちませんでした。病院での施術が増えたのも、そのためかと思います。現在では、それほど深く切れ込みを入れることはなく、ペニス本体から血が流れればよいとなっていて、止血剤も用いています。また、HIV感染を防ぐために、割礼師が伝統的なナイフで割礼することをやめ、割礼を受ける少年の側で用意した安全カミソリで割礼するように変わり、1996年の割礼の時には、ディストリクト・コミッショナーから、一人の割礼が終わるたびに割礼師は手をアルコール消毒するようにという通達が出されたという変化がありました。
 それらの変化にもかかわらず、私が調査したときの男子割礼では死者が出ました(女子割礼のほうには近年、死者は出ていません)。現在のクリアにおいては、女子割礼よりも男子割礼のほうが危険なのです。けれども、男子割礼については、割礼をしない男性は一人も出てこず、またやめるべきという声も皆無です*6
 男子割礼についてひとつだけ付言しておけば、女子割礼については人権侵害で野蛮な風習だと非難する欧米社会も、男子割礼については人道的に介入して止めさせよとは言いません。それは、男子割礼が危険ではないと勝手に思っていることもあるでしょうが、大きな理由は、欧米で男子割礼が行なわれているからでしょう。ここにも西欧中心主義が指摘できます。


 さて、クリアの女子割礼については、伝統的な女性割礼師を含む多くのクリア人が、遅かれ早かれなくなっていく慣習だといいますし、実際に、なくなっていく傾向もみられます。ある老人は,「女子割礼がなくなっていくのは、昔は重要な儀礼だった他の儀礼がいまはだれも行なわなくなったのと同じことさ」と言っていました。そして、その変化は、人権意識を啓蒙した結果ではありませんでした。慣習とは、生活のなかでいろいろ選択しながら柔軟に変わっていくのが当たり前で、これまでもそうだったという伝統的な意識からそうなっていっているのです。啓蒙・教育に力を入れるとか、人道的介入をすべきという意見の前提となっているのは、そうしないと、アフリカの人びとは自分たちで変えていく力がないという認識ですが、その前提は、クリアの例をみても間違っていることがわかります*7

 クリアには子割礼廃絶の啓蒙活動は直接入ってこなかったと言いましたが、それはもちろん、クリア社会が外部から隔絶していることを意味しているわけではなく、エイズ防止の啓蒙活動やその他のNPOの活動はなされています。その人たちからも女子割礼についてのナイロビや欧米での廃絶運動の情報はもたらされますし、教師やナイロビに住んでいたクリア人のなかには、欧米のフェミニストたちの女子割礼廃止論やナイロビでのフェミニストたちによる女子割礼禁止の要求について知っている人たちがいます。ある男性高校教師は、それに対して、女子割礼はクリアの伝統文化であり、それを野蛮とするのは植民地主義と同じだと批判していました。また、ナイロビで反対しているケニア女性はもともと女子割礼をしないルオなどの民族出身か、もう女子割礼を廃止した民族の女性や,都市で生まれて伝統を忘れた女性だと批判して、女子割礼を擁護する者もいます。ただし、クリアでは、たとえば、先の高校教師に、自分の娘にも割礼を受けさせたいのかと聞くと、娘が割礼を受けたくないのならさせないし、自分もさせたくはないという答えが返ってきました。
 これは、人類学の議論でいえば、彼が、女子割礼を「クリアの伝統」として客体化していることを意味します(「伝統の発明」もおなじような過程だといっていいでしょう)。生活や他の文化的要素との関係や文脈から「女子割礼」を切り離して、元の文脈にはない意味(「クリアの伝統を象徴する」なんて意味はもともとの女子割礼がおかれていた文脈にはないわけですから)を付与しています。これを「文化の客体化」といいます。「じゃあ、自分の娘も割礼させるのかい?」と聞かれて、実際の生活の文脈に戻したときには、彼は「させない」と答えたわけです。これは矛盾しているわけではなく、文脈が異なっているだけです。


 問題は、この「文化の客体化」が、外部の(たいていは欧米の)まなざしのもとでなされること、そして、伝統主義者や本質主義相対主義者やいわゆる「原理主義者」が、この「文化の客体化」から出てくることです。まだ、クリア社会では、女子割礼に関しての外部からの介入がほとんどないため、客体化された女子割礼を生活の文脈におき戻すことはできます。いいかえれば、「生きた慣習」としての柔軟さを保持できているので、この客体化とは別に、慣習の変更がなされていっているといえます。しかし、もともとの文脈から切り離され、客体化された文化・伝統が、生活の文脈まで介入してくると、それは、柔軟さを失い、固定された「伝統」となってしまいます。重要なのは、そのような事態は、外部からの介入がなされたときに起きるということです。
 実際に、ケニアでも、ナイロビを含めた都市部に住む、最も近代化された民族であるキクユ人社会において、「原理主義」的なムンギキ・セクトという集団が、1990年代に、女性たちを強制的に割礼しようとする暴力事件を繰り返しています。彼らは無知で頑迷な「因習に囚われた」人びとではありません。近代化・都市化のなかで、欧米という外部の人々が、女子割礼を、それが置かれていた文脈から切り離して「客体化」し(しかもその多様性や柔軟性を無視して、「アフリカの女子割礼」と一括して客体化しています)、野蛮や差別という意味づけしたことにちょうど対応して、(固定され続いてきた)伝統という意味づけをするという客体化をしているのです。その両者に共通するのは、それが置かれていた生活や慣習という文脈を捨象して顧みずに、人びとの生活のなかに介入していくという点です。人類学者が現地の文脈に置いて理解することが第一歩となると言っているのは、この両者の行っている「介入」と「客体化」を批判しているわけです。西欧など外部からの「人道的介入」が、女子割礼を廃絶することに逆行しているというのは、このような客体化を招いて、かえって、人びとが柔軟に慣習を変更していくことを阻害してしまうからです。


 もうひとつ、人道的介入がまずい理由として、現地の人びとの矜持や自負を損なう恐れがあるということがあります。それは、啓蒙や教育によって女子割礼をやめさせるという穏やかな介入も、親や地域から少女たちを切り離して救う積極的な介入も、結局は、女性たちに、「自分たちの祖先や親は愚かで野蛮だからそのようなことをしていたんだ」という意識を植えつけるからです。積極的介入によって救われた女性のなかには「強い自立した個人」として都市や海外で成功する女性たちも出てくるでしょう。しかし、欧米の人権派が、アフリカの地域社会や女性たちに人権思想を根付かせたり、それぞれの文化において民主主義を土着化させたりしたいと思うのであれば、そのためには、生まれ育った地域やそこの人びとが愚かで野蛮だったという意識は、逆方向にしか働きません。個人が地域の人々や親たちといった周りの人々に働きかけることができるのも、その周りの人々との間に代替不可能な絆ができているからです。周りの人びととの関係のなかの自己に矜持や自負なしに、そのような活動はできません。
 もちろん、人権派の人びとが、地域から切り離して救おうなどと思っているわけではないでしょう。それだと、オーストラリアでかつて行われていた、アボリジニの子どもたちを愚かな因習から解放して救うために、親や地域から切り離して、白人の養子にして文明人に育てるといった思想と同じになってしまいます。緊急のときにやむおうえず「駆け込み寺」を設けるのであって、その後で地域社会に戻すのだということだと思います。しかし、そのような人道的介入の前提となっている思想はやはり問題をはらんでいるし、しかも、手段としても、目的を十分に果たせないものだといいたいのです。


 また例によって、長くなってしまいました。クリア社会という個別の事例を離れて、流通する「アフリカの女子割礼」についての、あまりにも誤った情報を正すということもしようと思ったのですが、それはまた別の機会にしましょう。

*1:ケニア政府は、それまであまり守られなかった大統領令での女子割礼禁止に代えて、2001年に「子ども法案」を制定し、16歳以下の女性への割礼を禁止するとともに、施術したものへの罰則も定めました。

*2:アフリカの女子割礼が、結婚前の処女性を守るためだというおおざっぱな情報も流れていますが、北東アフリカの一部でおこなわれている「陰部封鎖(縫合)」と混同しているものでしょう。割礼したあと、結婚前に性交をする少女たちはいくらでもいます

*3:このエントリーで、「女性器切除」ではなく、「女子割礼」と言い表している理由の一つは、そのほうが現地での呼び方に近いからです。

*4:このように、女子割礼では、クリトリス切除とクリトリス包皮の切開とは交替可能なものとなっています。したがって、「アフリカの女子割礼」の機能は女性の性欲や性的快感を低下されるためだという俗説も、あまり根拠のあるものだとは言えません。

*5:女子割礼しないルオ女性との結婚も増えています。これは以前だったらタブーで、昔は、ルオ女性と結婚するにしても、その前にその女性を割礼しないと許されなかったのですが、現在では、割礼しないで結婚している例が多く、そのうち本人が望めば割礼するけどとはいうものの、非難されることはほとんどなくなっています。

*6:その違いについては解釈がありますが、それは長くなるので省略します。

*7:この前提が「植民地主義的」と批判されるものです。植民地主義は、元住民たちは自分たちを発展させることができないから、外部から「介入」して発展させてやるのだということを理由にして自らを正当化していました。

大塚和夫さんのこと


前回のプログ更新から4カ月半以上たちました。長らく更新しなかったのは、怠け病のせいもありますが、最も大きな理由は、今年の4月29日に大塚和夫さんが亡くなられたことにあります。前回のエントリーは訃報を聞いた直後でしたけれども予定していた原稿を載せ、その後で大塚さんのことについて何か書かなきゃと思っていました。けれども、何をどう書いていいのか思いつかないまま、しかし、大塚さんのことを書く前に、他のことをエントリーに書いて更新する気にはなりませんでした。
7月20日には、私も発起人の末席に名を連ねさせていただいた、「大塚和夫さん お別れの会」がありました。そこで、大塚さんの思い出話をしたり聞いたりして、また、教え子や院生たちが編集した冊子『ありがとう—社会人類学者大塚和夫の軌跡』を読み、大塚さんの年譜に自分の年譜を重ねて記憶をたどったりしているうちに、ますます何か書かなきゃという気持ちは強くなりましたが、書かないままもう2カ月が経ちました。
 書けない理由は、大塚さんとの思い出が物語にならないからです。個人的な思い出はたくさんあります。でも、断片的なエピソードという感じで、物語として全然つながっていないのです。まあ、思い出や記憶というものはそういうもので、亡くなってから物語にしようとするのでしょうが、まだ大塚さんが亡くなったことを受け入れていないのか、初めて会ったのがいつかも、そして最後に会ったのがいつなのかすら、正確には思い出せないのです。けれども、椎野若菜さんから東京外語大のAA研の広報誌に大塚さんのことを書いてくれと言われているので、そのウォーミングアップと、そちらには分量的に書けないことを書くという意味で、すこしだらだら書いてみることにします。
 たぶん大塚さんは、こちらの希望的観測ということもありますが、私と会って飲んだりするのは好きだったと思います。今から20年ほど前、私が大阪の河内長野市に住んでいたころ、大塚さんが河内長野市の市民講座で講演を頼まれたから、そのあと泊めてくれないかと言って、私のマンションに1泊していったことがあります。大塚さんも大阪に住んでいたわけで、いくら北と南だからといって、もちろん大塚さんもお宅に帰れるわけです。優しく気配りをする大塚さんのことですから、私が大阪に来てから間もないときに、様子を見に来てくれたのだと思いますが、一晩飲みながら語りたかったのもあったのだと思います。次の朝、私がまだ寝ているうちに、愛妻家で子煩悩の大塚さんはお宅に戻りました。朝食を付き合った私のかみさんの話では、ずっと二人の息子さんの話をしていたそうです。
 大塚さんは、1992年に大阪の国立民族学博物館から母校の東京都立大学に戻りましたが、私もその3年後の1995年(神戸淡路大震災とオウム地下鉄サリン事件の年です)に東京の成城大学に移りました。それ以降は、国立民族学博物館の上司だった伊藤幹治先生とのご縁で成城大学の非常勤に長い間来てくれたり*1、学会の理事会で一緒だったりで、定期的にお会いし、飲むという機会に恵まれていました。
 いま思うのは、長い付き合いのなかで、役割関係が固定されていたような気がします。すなわち、みんなから尊敬される先輩をからかう後輩という関係、人類学的にいえば、権威のある王とトリックスターという関係です。まわりに大塚さんを面と向かって「それじゃだめだよ」などという後輩がいなかったということもあり、どうもそれを期待されているのではないかと思って、いまから思うと、必要以上にそのような演戯をしていたという気がします。
 ただ、大塚さんも「権威のある王」という性格とは異なる振る舞いを最初からしていたわけではなく、また好んでそういう役割をしていたわけでもありません。それは、大塚さんの責任感から否応なしにせざるをえなかったことでしょう。『ありがとう—社会人類学者大塚和夫の軌跡』に収められたインタヴュー記事や『信濃毎日新聞』の「月曜評論」などを読んで、改めて感じるのは、社会(文化)人類学という学問を代表して外部に発言するんだという、大塚さんの気概です。それを自分に求められていると思っていたのでしょう。実際、大塚さん以外にそれをできる人はなかなか見当たりませんでしたから。
 大塚さんとの役割関係を、都合よくいえば、否応なしに気概をもってしていた「権威ある王=代表者」の衣装を、会ったときに私が脱がしていたといえるかもしれません。大塚さんも半分はそれを楽しんでいたと思います。
 しかし、大塚さんがいなくなったことで(まだ実感がわきませんが)、政治学や哲学や歴史学といった他分野の研究者に対して、人類学を代表して、人類学者ならこう考えると発言する人が人類学界にほとんどいなくなりました。これは、人類学界全体の問題でもありますが、私にとっても問題となります。大塚さんがいたからこそ、私のような人類学者は、人類学を代表するという責任も負わずに、(新聞などのマスメディアではなく、口頭やブログや私的コミュニケーションでという意味で)非正規的に、自分の考える人類学を気楽に述べてこられたわけですから。もちろん、私には、「人類学という学問を代表して外部に発言する」ことなどできません。そして、みんながそんなことをする必要はないと思っています。しかし、誰かがやらないとまずい。その意味で、日本の人類学者たちが大塚さんがいなくなったことを痛感するのはこれからなのでしょう。

*1:伊藤先生が退職したあとも、忙しくてもう無理だと言われるまで来て下さっていました。小田に頼まれてじゃなく、伊藤先生に頼まれたことだから行くよと言って。この辺も義理がたく依頼されたことへの責任感の強い大塚さんらしいところです。

「『社会の二層性』あるいは『二重社会』という視点」をアップしました

 いつのまにか5月ですね。いま、真正性の水準の帰結である「二重社会」という視点の意義について、1冊の本を書いています。論文を集めたような学術書ではないのですが、少しでも学術的な部分を含んだ本を書くとなると、たとえば、これまで似たようなことを述べている研究との類似点と相違点や、共同体や過去のロマン化ではないか等の想定される批判への防御、用いている概念の厳密化など、ようするに誤解されないような手続きを経なければならず、そのために、書いていても論がストレートに進まず、多少まどろっこしい思いをしています。
 私の「二重社会」論についての最新の論考「『社会の二層性』あるいは『二重社会』という視点」を「小田亮の研究ホームページ」にアップしました。上で触れた本の「序論」の内容の一部を、4月24日に京都大学で開かれた、京都人類学研究会の例会で講演したときの原稿です。

http://www2.ttcn.ne.jp/~oda.makoto/nijuusyakai.html

 では、お知らせまで。