日記

「もてる」という基準と「かっこいい」という基準

きのう研究室に若手の人類学者のTさんが訪ねてきて、「人類学の失われた10年」についての話を聞きたいという。でも、話は、最近の若い研究者は、自分が評価されるときや人を評価するときの基準というか軸として、「もてる/もてない」という基準=軸しか考…

自分のアイデンティティのために他者を他者化することをオリエンタリズムという

私はインドの専門家ではないし、もう誰か取り上げて批判していると思うので、放置しておいてもいいかなとも思ったのですけど、「釣り」にしてもちょっとひどすぎる「他者」の利用の仕方なので、あまり気は進まないけど、社会学者の内藤朝雄さんの「伝統を大…

沖縄戦での「集団自決」を日本軍が強制していないってことにはならないんだけど。

養田さん、久しぶりにコメントをありがとう。他にもいろいろコメントをもらいましたが、それに応える前に、きょうはやはり「教科書検定で沖縄戦集団自決に日本軍の強制はなかったという修正意見」というニュースに触れざるをえないでしょう(「記憶」と「ト…

「本当の自分」と本質主義

アキバさん、ようこそ。 現在、校務がやたら忙しく、「戦略的本質主義を乗り越えるには(3)」はもちろん、ブログに何か新しいことを書くという時間がありません。そこに、幸いにもアキバさんがコメントをくださったので、それに答えるということができます…

テレビ番組での捏造について

日記らしくたまには時事ネタも、ということで、「戦略的本質主義を乗り越えるために(3)」はまたまた後回しにして(養田さん、せっかく「議論の続きを楽しみにしています」と書いてくれたのに、すみません、近日中には書きます)、「あるある大事典」で話…