深夜放送的なニッチをつくるのは難しい

 前回のエントリーは、このブログにしては大変にぎやかなことになりました。最初に寄せられたコメントにムカッときて、温厚で知られる私としては攻撃的な応答をしてしまったのがまずかったのかもしれません(反省)。それが、上からものを言っていると怒らせてしまったようですから*1。といっても、トラックバックを見ると、2chanで文意を無視した抜粋が載ってコメントが殺到したようですから、最初から穏やかに応答していても、たいして変わらなかったのかも。
 その後も、一見さん(ちゃんと裏を返してくれる人はまだいいのですが)のムカッとさせることが目的のようなコメントがにぎやかに寄せられました*2。もちろん、一見さんお断りなどとお高くとまっているわけではなく(まあ、えらそうな物言いだとはよく言われますが)、会員制でもありませんが、このブログは、読めばお分かりのように、万人向けというわけではありません。といっても、分からない難しい話をするブログというつもりなのではなく、いわばラジオの深夜放送のように、過去にやった話とつながっていくような場(過去の文脈が分からないと、話が分からないということでもありますが)、持続的なニッチをいちおう目指しているつもりなのです。そう簡単にはうまくいきませんが。
 そして、深夜放送がそうであるように、誰でもアクセスできて投稿できる不特定多数向けのブログにそのようなニッチがあってもいいし、その場限りで消費される万人向けの、いいかえればテレビ番組のように平準化したサイトばかりにならないほうがいいと思っていますから、続けているわけですが*3
 もちろん、一般向けということがかならずしも万人向けということではないというのは、誰もが知っていることだと思います。しかし、コメントなどを見ると、「一般向け=万人向け」で、しかも「その場限りの消費対象」なのだから、その場でわかるべきという図式ができていて、そうではないことを怒っている人もいるようです。ラジオの深夜放送がニッチとなりやすかったのは、その時間帯のおかげでした。ウェブサイトのほうは、最初のころはけっこう深夜放送っぽかったのでしょうが、グーグルとブログというものが登場してからは、そういうニッチが確保しにくくなってきました。
 つまり、「テレビで言うと抗議が殺到するような異論」を、ラジオの深夜放送(比喩です、念のため)だからといって書くと、グーグル検索や2chanのような掲示板やSNSなどでニッチ外にさらされて、コメントが殺到して人民裁判のような状況になるという意味では、テレビ以上に平準化が進んでいるといえるのかもしれません。けれども、そのような「祭り」も、その場かぎりの一時的なもので、ネタや憂さ晴らしとして消費してしまえば終わりますし、そこにはおのずからルールもあって、それほどひどい状況になっているとは思いません。ただ、問題は、そこに、「時間の持続」に対する軽視ないしは敵意が見られるということです。そのために、誰でもアクセスできるけれども、コンテクスト依存的で持続的なニッチというものが確保することが難しくなってきているというわけです。

 さて、書き始めたときは、以上のことを前置きにして、平常営業の「深夜放送」に戻って、「気になる言葉」の第3弾として、「空気」という言葉を取り上げる予定でしたが、前置きが思った以上に長くなりましたので、その「気になる言葉」シリーズは、また次回にします。乞うご期待(って、誰か期待するのかな)。

*1:上から目線ではなく、単に怒っていたのですが。上からものを言うというのは、私もケニア旧宗主国のイギリス人にやられたことがありますが、もっと余裕を持って穏やかに諭すように言うことを指すのでしょう。

*2:翌日からは、そのようなものを含めて、「本題」から外れたコメントは削除するようにしましたが、ムカッとさせるためのコメントに自分がムカッとくることに、もっとムカッと腹を立てていました。どこが温厚なんじゃ。

*3:もう一つ、ブログを始めた大きな理由は、個人的なものですが、学会の仕事等で、論文や本を書いたりする時間がなくなり、その辺りの欲求不満があって、なにか少しの時間でも書けるもので、人に読ませるものはないかなと探して思いついたというものでした。そちらの仕事のほうは3月で解放され、こんどは逆にいままで延ばしてきた本や論文を書かなければならないわけですので、ブログを続ける理由がなくなったというか、ブログをやめたほうがいい状況となってきました。今回の騒ぎだけではなく、以前からムカッとくるコメントがときどき来ていましたから、わざわざ精神衛生上よくないことを続けても仕方ないので、ブログをやめるか、あるいはコメント制限をしたほうがいいのかもしれません。