もうすぐ1年

 このところ、卒業論文の指導(私の勤めている大学では提出締切が12月20日)やら家族の入院やらで時間がなく、気づけば11月3日からブログを書いていませんでした。そして、もう一つ気づけば、去年の12月30日にブログをはじめてあと1日で1年たちます。これが63日目のエントリーで、当初の予定はもうすこし頻繁に書くつもりだったのですが、まあ、そもそもブログをはじめたのが、学会や大学の仕事に追われていて、論文や講演の原稿など、長いものを書く時間がなかったので、せめて短いものでもいいからすこしでも考えていることを書く場を作ろうという動機でした。つまり、多忙ゆえのブログでしたので、自分としてはよく続いたなという感じです。これもコメントを書いてくれたり、読んでくれたりしている人たちがいてのことと感謝しています。
 さて、きょう書こうと思ったことは、もうすぐアニバーサリーとまったく関係ないことです。きのうTBSラジオを聴いていたら、中島岳志さんが、2000年に行なった「20世紀を代表する女性」というアンケートの結果、日本では、マラソン高橋尚子選手が16%以上の得票率で1位に選ばれたという話をしていました。女子フィギュアスケートをテレビで見ながらその合間にたまたま聴いただけで(けっこう暇だね)、番組全体をちゃんと聴いていたわけではないので不正確になりますが、中島さんの意図は、アンケートがシドニー・オリンピックの直後に行われたからといって、このような「瞬間最大風速」のような基準で「20世紀を代表する女性」を選ぶ人々に対して衝撃を受けた、メディアの責任も大きいが、そういった一般の人々に対してメディアもどのように報道するのかといった問題提起だったように思います。
 たしかに、「感動を与えてくれた」という理由で「20世紀を代表する女性」に高橋尚子ってなると「これはひどいなあ」という印象も私も受けます。この基準で行くと、「21世紀を代表する女性」は野口みずき選手になって、「20〜21世紀を代表する女性」は谷(田村)亮子選手ということになるのでしょう(「20世紀でも金、21世紀でも金」ですからね)。
それに、「感動を与えてくれた」という選考理由も、あまりにも刹那的な理由で、このアンケート結果をみると、「やはり、日本は民度が低い」と言いたくなる気持ちも分からないでもありません。そして、そのあとは、だからせめてエリートが社会の設計をちゃんとしなければならないとなるのでしょう(念のために言っておけば、これは中島さんがそう言っているということではありません)。
 けれども、このアンケートについての「批評」に関していえば、アンケートに答えた人々に対して「なんだかなあ」という前に、考えるべきことがあります。それは、中島さんを含めて誰も言ってはいませんでしたが、そもそも「20世紀を代表する女性」をアンケートしてしまうというメディアのくだらなさです。それに対して、同等のくだらなさで「高橋尚子」と応じる一般の人々は、図らずもこのアンケートのくだらなさを露呈させる「批評」をしているのでしょう。個々の人々の意図とは別にこのような「批評」が生まれることに、「民度の低い人々」がエリートの設計=意図を台無しにしてしまうことの肯定的な側面があり、もしかしたら「希望」すらあるのかもしれません。というのも、設計主義=意図至上主義こそ、刹那主義を生んでいるものだからです。
 そして、私のえらいところは(誰も言ってくれないから自分で言うけれど)、そういえば自分も「20世紀を代表する人類学者のレヴィ=ストロース」とか言っているなあと反省するところです。「なんとかを代表する」という言い方が、この人の唯一性(単独性)や代替不可能性を消去してしまうことへの反省です。私がレヴィ=ストロースを好きなのはなにも「なにかを代表している」からではないのですからね。