「野球の最も美しい瞬間」について

 日本シリーズでの完全試合目前の投手を交代させたドラゴンズの落合博満監督の采配がブログでもちょっと話題になっているようですね。野球解説者の何人かも疑問を呈していましたが、ブログでの賛否両論の議論に火をつけたのは、玉木正之さんのホームページでの以下のようなコメントだったようです。

コラム2本書いて日本シリーズ。アッタマに来た。これが野球か!?野球の醍醐味はどこへ消えた!?ナンデ完全試合の山井を変えるねん。Wシリーズでもたった1回の記録をナンデ潰すねん!野球の最も美しい瞬間を消したのは誰や!スポーツに対する冒涜や!これが野球やというのであれば俺は野球ファンをやめる!これが落合野球やというなら…。日本一になったんやからサッサと辞めてほしい。午前中に中日新聞に優勝予定稿のコメントを電話で送っていたが急遽電話して削除してもらう。100年に1度あるかないかの凄い興奮の瞬間よりも53年ぶりの優勝を確実にしたかったというならナント小心な夢のない野球か!本当に気分が悪い。

 まあ、ドラゴンズ・ファンたちは53年ぶりの日本シリーズ優勝に喜びを爆発させ、興奮しているので、それに水を差す無粋ないちゃもんとしてしか受け取っていないようすですね。私も40年以上のドラゴンズ・ファンなので、その気持ちはよく分かります。「勝てばいいのか」というレベルの話ではなく、ずーっと期待して待っていたわけで、その喜びの快楽の大きさは100年に1度あるかないかに相当しているのですから。どこのチームが勝ってもいいという「野球ファン」ならいざしらず、ローカルな地元意識に根ざした特定のチームのファンの快楽を大事にしなければプロ野球の未来はないのも確かでしょう。これが日本シリーズでなければ、ドラゴンズ・ファンでも「勝てばいいのか、ファンの快楽を奪ってまで!」と怒ったでしょうし、それ以前に落合監督も交代させなかったでしょう*1
 にもかかわらず、ブログでこの話題を取り上げようと思ったのは、「野球の瞬間の美しさ」にもとづいた批評の危うさについて、ドラゴンズ・ファンとしてではなく、研究者として感ずるところがあったからです(それに、黄色い犬さんあたりから質問が来そうですし)。
 「野球の瞬間の美しさ」という視点を野球批評に持ち込んだのは、蓮實重彦さんです。玉木さんは野球批評に関するそのエピゴーネンとして登場しました。そして、「野球の瞬間の美しさ」は、「プレー=出来事の単独性(比較不可能性かつ置換不可能かつ再現不可能性)」にあります。それは「経験の単独性」と言い換えてもいいのですが、そのような経験の単独性は、テレビ観戦ではなく、その場にいて、そこにいる人たちとの場を共有していたという経験がなければ成り立ちません。
つまり、今回の交代について文句が言えるのは、その場にいて「野球の瞬間の美しさ」を奪われたナゴヤドームに詰めかけたファンたちと、交代させられた山井大介投手の家族や関係者だけでしょう。私も、交代しそうだと感じたとき*2、「ええっ」と思った口ですが、私を含めてテレビ観戦していたファンに「野球の瞬間の美しさ」を奪われたなどという資格はないということです。9回表が始まるとき、落合監督が交代を審判に告げる前からドームで興っていた「山井コール」は良かったと思いますが*3、テレビで観ている者に、それを共有はできないのです。その違いは、ドームにいた観客なら、何年たっても「おれはあの日本シリーズでの山井の完全試合をその場で見んだ」と話せますし、それを聞いた人たちも、「それはすごいなぁ」とうらやましがることができますが、テレビ観戦していた者が「おれはテレビで見ていたんだ」と言っても、「それがどうした」というだけだということからも明らかでしょう。
 玉木さんが球場で観ていたかどうかはわかりませんが、「コラム2本書いて日本シリーズ」と書いているところをみると、テレビで観ていただけなのでしょう。だとしたら、「野球の最も美しい瞬間」をなどというのは、ちょっとこの言葉を安易に使いすぎというか、その資格がないのに使った間違った使い方だといわざるをえないでしょう。もちろん、テレビでも「野球の瞬間の美しさ」をある程度は味わえることは味わえます。山井の8回までの鬼気迫る投球にはしびれましたし*4、また「美しい瞬間」といえば、「完全試合続行中」の投手に代わって登板した岩瀬仁紀投手のピッチングです。一人でも塁に出せば、日本シリーズ史上初の継投で「完全試合」ということもなくなり、記録からも山井の快挙が消えてなくなるという状況で、「完全試合」を達成してしまうなんて美しすぎます。でも、テレビで観ている私たちに味わえるのは、そういう、「これまでこんなことなかった」というところまでであり、経験の単独性ではないのです。だから、玉木さんも、「Wシリーズでもたった1回の記録」とか「100年に1度あるかないかの」という、比較可能な数字で表現するしかなかったわけです。それなのに、そのことを理解できずに、「野球の最も美しい瞬間」などといってしまうところが、蓮實重彦さんのできの悪いエピゴーネンと言われても仕方がないころです。えっ、言われていないって? それは失礼しました。

*1:落合監督は、出演したスポーツ・ニュースで山井大介投手の指の豆が交代の要因と言っていましたが、そのとき、「幸いなことに豆ができていっぱいいっぱいと本人がピッチングコーチに言ったので」という言い方や「そうでなければ悩んだ」という言い方をしていたので、おそらく指の豆ができなくとも交代を考えたのでしょう。

*2:テレビでは、山井が8回裏2死になったときに投球練習をベンチ前でしているのかいないのかという肝心なところを映していなかったので、おい山井を映せと突っ込んでいたのですが。

*3:山井が8回裏に投球練習をせず、ベンチからも出てこないことで交代が分かったはずです。

*4:実は私は大の「山井ファン」です。