フリーライダーをするサーファー――続「フリーライダー」

 「とびとびの日記」のはずのこのブログも「ほぼ月刊」になりつつありますが、今月からはせめて「ほぼ週刊」を目指したいと思います。
さて、今年の3月30日に「気になる言葉」シリーズの第一弾として「フリーライダー」を取り上げましたが、その後、フリーライダーという言葉について、2、3の事柄が目に付いたので、今回は続きを(ネタがないんかいと言われそうですが)。
 まず、日本でいつごろからフリーライダーという言葉が一般的に普及したんだろうというのが気になっていたのですが*1斎藤貴男さんの『教育改革と新自由主義』(2004年、子どもの未来社)を再読していたら、「竹中平蔵氏はよく『フリーライダー』ということばを使います」(95頁)という一節を見つけました。私自身は竹中氏の書いたものや発言をほとんど追いかけたことがないので、「フリーライダー」ということばをどれくらい使っていたかは知りませんが、この辺りが普及の一因だったのかも。でも、これで思い出したのが、竹中氏の「限りなく脱税に近い節税」問題です。2001年夏に『週刊ポスト』が、1992年から96年にかけて慶応大学助教授だった竹中氏が毎年年末にアメリカ合衆国に住民票を移し、年を越してからもどすというやり方を使って93〜96年の4年間の住民税を支払っていなかったというスキャンダルを報道して問題になったやつです*2。その4年間はアメリカでは所得がなく、安い住民税だけをアメリカで払っていたというわけで、このような「節税」*3行為を繰り返していた者が、「フリーライダーは(納税という)義務を果たせ」と言っていたのは、どう考えてもいただけません。ご自分のやっていることは、頭を使って努力した「節税」で、努力もしないで「ただ乗り」をしているのは許せないということなのでしょうけれども。
 さて、今回書きたかったのは、この話ではなく(これは対比のためのものです)、トニー・フィッツパトリックの『自由と保障:ベーシック・インカム論争』(2005年、勁草書房)の中での「フリーライダーをするサーファー」という話です。この本は、ベーシック・インカムについてのいまのところ日本語で読める最良の入門書でしょう。ベーシック・インカムとは、「就労の有無、労働意欲の有無、結婚の有無、年齢・性別・資産状況などの一切の条件を問わず、無条件ですべての個人に個人単位で支払われる生活保障の所得」ですが、フィッツパトリックは、「フリーライダーをするサーファー」について、注で次のように言っています。

 これは、ジョン・ロールズがいう「浜辺のサーファー」のことを差(ママ)している。ロールズは、何もしないで一日中サーフィンばかりしている者がいると仮定した上で、そのような者にもBI[ベーシック・インカム]が支払われることを根拠に、BIに反対している。しかし、サーファーも何らかのことを行っているのだという指摘がすぐに返ってくるだろう。彼または彼女はサーフィンを見て楽しむ人に娯楽を提供しているのだと。[69頁]

 もちろん、フィッツパトリックは、「浜辺のサーファー」というイメージを持ち出してのベーシック・インカムへの反論に対して、本文では理論的な再反論をしているのですが、私が気に入ったのはこの注での「反論」です。ベーシック・インカムで遊んで暮らしているフリーライダーたちも「何らかのこと」をしているということを、批判を逆手にとって上手にイメージさせる見事なやりかただと思います。
それに、新しい文化は、まだお金にはならないものをひたすら好きでやっている人たちによって作られるのでしょう。もちろん、サーフィンはもうお金になるのでしょうけれど、それが生み出され発展していく過程では一文にもならなかった時期があったわけです。ここで、ホイジンハが『ホモ・ルーデンス』で、多くの文化は「遊び」の中で生まれたと言っていることを思い出してもいいでしょう。フリーライダーの「ただ乗り」をけしからんという人たちは、そのような過程そのものをなくそうとしているということになります。
 そして、本当に新しい知や研究もそのような一文のお金にもならないという過程を経るものでしょう*4高学歴ワーキングプアとなっていく大学院生たちは、ベーシック・インカムを要求する運動を起すべきでしょう。
 ベーシック・インカムについては、基本的には面白い制度だと思っていますし、リバタリアンの中にも、コミュニタリアンの中にも、フェミニストの中にも、マルクス主義者の中にも賛否両論あるという点で、思想的にも面白い問題です。近いうちに、トピックとして取り上げてもいいですね。

*1:竹内靖雄氏あたりが早くから使っていたような気がしたのですが、調べてみたら竹内氏は「フリーライダー」という言葉自体は使っていなかったようです。

*2:竹中氏は、後追い報道をした『フライデー』の出版元である講談社名誉毀損で告訴、2006年に最高裁講談社側の上告を棄却し、講談社側の敗訴が確定している。この判決には批判も多いが、そもそも最初に報道した『週刊ポスト』を告訴しなかったところを見ると、事実関係としては勝ち目がなかったということなのでしょう。

*3:「悪質な税金逃れ」と書いた『フライデー』が敗訴したので、「節税」と書いておきます。

*4:たとえば、ベンヤミンが親のパラサイト(すねかじり)からフリーターという一生を送っていたと言ってもいいでしょう。