「小田亮の研究ホームページ」の更新のお知らせ

……たしかに流通力とその範囲を問題にするかぎり、小さな言語は敗けいくさを戦わざるをえないだろう。遺棄されていく小さなもの。この現代性の形姿をここにも確認するほかはないのだろうか。しかし、小さな言語が放棄を迫られるままに消えていくのでないとすれば、それを肯んじないとすれば、そこに何が現れるだろうか。
困難ないくさを戦うものが小さな人間たちであるかぎり、何よりも話し手の姿とその話し方が現れるだろう。そして、かれらによって担われる、意味のレベルに還元できない「声」が現れるだろう。その姿も語り口も、話し手一人一人において異なっているだろう。小さな言語の小ささを担保するこの異質性は、国民文学的言語の平準性にどこまでも逆行する。統合の圧力によって追いつめられるとき、小さな言語が切れ切れに露わにするのは、このような存在の不均質さそのものだ。それは地域の生活を離れた統一にはなじまない抗体である。それは「一丸となる」国家語の形式をもちえない粒子である。[市村弘正『増補 小さなものの諸形態』平凡社ライブラリー、15頁]

 これは、わたしが気に入っている市村弘正さんのことばです。このことばによって、人類学とは、「敗けいくさを強いられ、遺棄されていく小さなもの」の多様な姿や語り口、意味のレベルに還元できない「声」を聞き届けることだと思わされたことを思い出します。
 さて、この市村さんのことばをエピグラフとして引用した「斜線を引く、ちぐはぐに繋ぐ」という、けっこう愛着のある拙論文を8月25日に「小田亮の研究ホームページ」にアップしました*1。また、その少し前の8月15日にも、「口頭発表 共同体概念の脱構築と再構築」をアップしておきました*2
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