「エルヴィス神話」について

養田季伊さん、黄色い犬さん、コメントありがとう。
 ここで取り上げた「エルヴィス神話」はアフリカ系アメリカ人の側からの神話だから、エルヴィスには気の毒なものになるわけだけど。そういった神話が創られた背景には、ひとつにはくだらないアイドル映画のようなハリウッド映画に出すぎたこと、「黒人にできることといったら、僕のレコードを買うことか、僕の靴を磨くことだ」というエルヴィスの人種差別発言の捏造記事が出て、それがアフリカ系アメリカ人のあいだで信じられてきたこと、人種差別主義者であるジョージ・ウォレスやリチャード・ニクソンと親交があったことなどがあります。映画のせいで、エルヴィスは才能ではなくアイドル性があったから売れたのだということになったし(それ以前は他の南部のプア・ホワイトと同じく汚く下品だと非難されていたのだけれど)、バートランドによれば、人種差別発言は現在でもアフリカ系アメリカ人の間で信じられているようです。ほっとするのは、そのときB・B・キングなどの黒人アーティストがエルヴィスの擁護にまわったことです。また、エルヴィスとウォレスやニクソンとの親交ですが、南部の大物政治家がアイドルかつハリウッド・スターとなったエルヴィスに近づいたとしても不思議ではないけれども、バートランドがいうように、黒人の公民権運動を支持していたリンドン・ジョンソンジミー・カーターとも親交があったことは忘れられています。
 ともかく、これらの背景によって、アフリカ系アメリカ人のあいだでのエルヴィスの人気は急落し、アフリカ系知識人による「反エルヴィス」の神話が定着していくわけです。まあ、ここでもほっとするのは、たとえば、ジェームズ・ブラウンが、プレスリーと自分のバックグラウンドの共通性を強調して、「俺たちは、多くの点で共通していた。田舎出身の貧しい少年で、ゴスペルとリズム&ブルースを聴いて育ったんだ」と言っていることでしょう。このローカルな(同時に階級的な、でもあるけど)共感が、メディアにおける(レヴィ=ストロースの言葉でいえば「非真正性の水準」における)ブラック・ナショナリズムの言説ではなくなってしまうのです。
 バートランドの本に出てくる、エルヴィスの黒人文化の剽窃についての神話では、例の下半身を震わせるエルヴィスのパフォーマンス(エド・サリバン・ショーでエルヴィスの下半身を映さなかったという逸話つきのやつ)に関して、歴史家であるはずのアイリーン・サザーン(『ブラック・アメリカンの音楽:一つの歴史』の著者)の主張する、エルヴィスのパフォーマンスは、ニューヨークのハーレムのアポロ・シアターにおけるボー・ディドリーのショーから盗み取ったコピー(その特徴を薄めたヴァージョン)に過ぎないという「神話」とバートランドによるその解体が興味深いものでした。この神話が広まったのは、ボー自身、エルヴィスが自分のスタイルを盗んだと宣伝していたことにもよるらしいのですが、1955年には「プレスリーは、私のダンスを真似していると思いますよ。……去年のことになるけど、[プレスリーが]アポロ・シアターの楽屋に押しかけてきたんです、みんながやるようにね。この時のことは、よく覚えていませんね。……私の真似をしたってどうってことはありませんよ。もっともっとどうぞって言ってやりたいですね。それで私が飢えるわけじゃないし」と言っていたボーだけれども、よく覚えていないという記憶が、やがてボーの中で動かしがたい確信へと変わっていき、後には、「ステージでの動きを盗み取った」ことになり、「エルヴィスが現れて、私の腰振りのアイディアを横取りして……彼は、私の動きを、絶賛していましたね。彼のせいとは言わないけれど、彼のほうは大当たりして、こちらは片隅に追いやられた、ということです」と語るようになります。
 ボー・ディドリーが言うように、彼が片隅に追いやられたのはエルヴィスのせいではなく、人種の壁のせいでしょう。その意味ではボーがそのように言うのは当然でしょうが、しかし、エルヴィスがはじめてニューヨークのハーレムに行った可能性のあるのは1955年3月なのに対して、エルヴィスのスタイルは1954年にはすでに確立されていたということを示して、バートランドは、この神話を解体してしまいます。
 もちろん、直接にボー・ディドリーの影響ではなかったにせよ、エルヴィスのパフォーマンスが黒人文化の影響によって創られたのは確かでしょう。だから、最初から「黒人のように歌い踊る」と評されたわけです。しかし、エルヴィスが最初から「黒人のよう」だったというのは、売り出す前から彼が黒人文化に親近感を持っていたということの証であり、「エルヴィス神話」のいう、「売れるために黒人の真似をすることを白人たちが思いついたのだ」ということを否定するものです。
 エルヴィスが音楽において人種の壁を越えたこと、そして南部の白人の若者たちがそれに続いたこと、そのことを、バートランドは、エルヴィスを、グラムシのいう「有機的知識人」として再評価すべきだと言っています。「有機的知識人」という術語は、ポストコロニアリズムでよく使われる語となっていますが、たいていはネイティヴのエリート知識人に対して使われています。しかし、バートランドがエルヴィスを「有機的知識人」と呼ぶとき、その意味をもっと面白くしているように思います。それも、この本の評価できるところです。