バートランド『エルヴィスが社会を動かした』

 最初の読書ノートは、少し古いが、2002年に出版された、

マイケル・T・バートランド『エルヴィスが社会を動かした:ロック・人種・公民権』前田絢子訳、青土社、2002年 評価☆ isbn:4791759818

を取り上げよう。本書は、アメリカ合衆国南部史を専門とする若い歴史家の書いた、エルヴィス・プレスリーに焦点をあてた南部人種間関係の歴史的変化についての研究書で、著者の最初の本である。いまとなってはこの本をどこで知ったのか覚えていないが、2000年に出版された原著Race, Rock, and Elvis も買って持っていたのだが、例によって、原著を買っても読まずにそのままにしているうちに、日本語訳が刊行され、それも買って読まずにいたのだけど、昨年末にようやく読み始めたのだけれど、期待した以上に面白かった。

合衆国南部の白人労働者階級(プア・ホワイト)は、粗暴で無知で頑強な人種差別主義者だとされてきた。悪名高きK.K.K.のメンバーも主に南部のプア・ホワイトである。人種隔離という壁が揺らぎはじめたとき、彼らプア・ホワイトは、自分たちが締め出されている経済的恩恵に黒人(アフリカ系アメリカ人)たちが与っていき、自分たちだけ取り残されていくという不安から、頑迷な人種差別主義者となったというわけである。そして、南部においてアフリカ系アメリカ人の人権を認めさせたのは、もっぱら連邦政府と力による介入と草の根運動の結果であり、プア・ホワイトたちはそれに対する抵抗勢力だったということになっている。
著者のバートランドは、そのような見方に異議を唱えている。彼は、社会の変化についての、つぎのような問いを提起する。

変化のプロセスを支えたのは、計画され、意図された強固な運動だけだったのだろうか、それとも、もっと掴みどころのない、意図されない、直接には関連のない事柄も関与していたのだろうか。出来事の表面には表れない付随的な要素であっても、より大きな次元で、社会変革に貢献した影響力はなかったろうか。[75頁]

そして、エルヴィス・プレスリーのロックンロールこそが「より大きな次元で社会変革に貢献した、意図されない影響力」だったというわけである。ロックンロールは、現存の社会構造に直接に影響を与えることはなかったし、人種差別を廃するように要求もしなかったが、若い世代の人種間の接触の仕方を変えたのだ。「それは、二つの人種を、同じ状況下、同じ目的下に“集めた”のである」[93頁]。つまり、エルヴィスのロックが都市における若い世代の白人と黒人との間の直接的な接触を作り出したことによって、南部の人種間関係が確実に変化し、プア・ホワイトの人種的偏見をも変えていったと、バートランドはいうのである。
黒人の雇い主である白人上流階級とは違って、南部の白人労働者階級は、人種隔離の「壁」のせいで、それまで黒人たちとあまり顔と顔を突き合わせて付き合うことはなかった。都市への移住などによって間近に黒人たちを目にするようになったとき、人種的偏見や黒人たちよりも下になるという不安は増大して、白人労働者階級の人種差別主義が一時的に強まり、人種別の学校やバスなどの人種隔離の「壁」の撤廃に強固に反対したのも、彼ら白人労働者階級だった。ロックンロールは、白人労働者階級がそれほど頑固にまもろうとしていた「壁」を自分たちで崩してしまうという効果をもたらしたのだ。
もちろん、バートランドが言っているように、そのことは、ロックンロールが南部の白人たちの人種差別意識を一挙に払拭したということを意味しないし、ロックロールのファンとなった白人の若者たちが一致して黒人の公民権運動を支持したというわけでもなかった。バートランドは、それがもたらした変化を、人種の違いに対する「強硬な態度」から「曖昧な態度」への変化と言っている。バートランドのこの本が興味深いのは、黒人の公民権運動による白人たちの不安の増大と、日常生活に介入する連邦政府への反発から、1960年代には公式の場面では「強硬な態度」をとっていた白人労働者階級の子どもたちの世代が、そのような公式の場面とは別の、ポピュラー・カルチャーの享受という、日常的で私的な場面において、「曖昧な態度」をとるようになったことが、まさに日常生活の実践を規定していた人種間のコミュニケーションのあり方を大きく変えていったということを指摘するとともに、いままで無視されていた日常生活の場面でのそのような変化こそが、社会の変容にとって大きな意義をもっていたことを示唆している点にある。そのことは、社会を意図的に改革しようという知的エリートたちの「設計主義」よりも、日常生活での身体接触のあり方の意図されざる変化のほうが重要なのだということをも示しているだろう。
それと、もうひとつこの本で興味を引かれたのは、アリス・ウォーカーやアイリーン・サザーン、マーゴ・ジェファーソンらの現代のアフリカ系知識人たちによる「プレスリーが黒人文化を騙し取った」という「エルヴィス神話」である。黒人たちが生活の中から生み出した音楽を白人が盗用し、白人の大衆に合うように薄めた形で売り出して成功して大金持ちになったのに、それを生み出した黒人ミュージシャンたちは貧しいままだという神話である。エルヴィスが黒人ミュージシャンから影響を受けたことは事実だが、それをエルヴィス自身隠そうとはしていなかったし、エルヴィスを直接知る黒人ミュージシャンたちは、エルヴィスによる文化の流用を好意的に評価している。そして、バートランドが言うように、当時のアフリカ系アメリカ人の若者たちこそ、エルヴィスのロックの最初のファンであり、レコードの買い手だったことや、白人労働者階級に属するエルヴィスが、当時の人種隔離の「壁」にもかかわらず、黒人文化に関心をもち、音楽的にその壁を越えようとしたことは、主流の白人たちに恐怖を呼び起こし、当時の白人主流文化から非難を浴びるような行為であり、成功する保証はなかったことを考えれば、この神話は単純すぎるだろう。
現代のアフリカ系の知識人たちが、排除され周縁化されたアフリカ系アメリカ人の視点から、アメリカの主流文化の「見直し」をするという作業は重要だ。けれども、この「エルヴィス神話」は、その「見直し」には落とし穴があることを表していよう。ここで見落とされているのは、当時の合衆国南部には、人種問題以外にも階級および身分の問題があったことであり、エルヴィスが属していた南部の白人労働者階級もまた排除され周縁化された人々であったことだ。バートランドが言っているように、「リズム&ブルースとロックンロールは、主流文化によって無視され、そしられ、排斥されたさまざまなグループの、自らを表現する共通の道具だったと見ることができる」[320頁]という見方を、上のような「エルヴィス神話」は隠してしまうのである。
このバートランドの本は、人種問題についての公式な言説(人種の違いを問わず、ここに参加できる人々の言説)と、そのような公式の言説の場から排除されている(人種を問わず)さまざまなグループの人びとの日常的な実践の場との解離と絡み合いを解きほぐすのに有益な本だった。
ただ、この読書ノートを書くに当たってところどころ読み返してみて、12月30日の読書ノートにつけた☆2つは褒めすぎかなと思い直した。そこで、☆1つに評価を修正しよう。もちろん☆1つでも、それは「面白く、お勧めの本」という意味であるが。読書ノートでの☆の評価については、以下に説明しておこう。