ベーシック・インカムについて(補遺)

 黄色い犬さん、コメントありがとう。予告編には期待していますというコメントをいくつかいただいたのに、本編にはコメントがなかったので期待外れだったのかなと思っていました。これで心おきなく仕事をしようと思っていたのですが、黄色い犬さんのコメントに、

「労働倫理」が強力な足かせ(?)になってるのは当然にしても、「独り占めにしたい気持ち」や「人を見下したい気持ち」というようなたぶん誰にでも少しはあるような感情が「労働倫理」というものを支えているような気がして、ベーシック・インカムへの道はなかなか険しいような。

とあったのが気になりました。やはり、走り書きでしかもあちこち話が飛んだりしていたので、肝心なことを伝わるように書けなかったみたいと思い、補遺を書いておきたいと思います(念のため、黄色い犬さんが読解できなかったということではなく、コメントによって何を書き落としたのかが明確になってありがたかったという話です)。
 黄色い犬さんが書いているように、「独り占めにしたい気持ち」や「人を見下したい気持ち」は、もちろん誰にでもどこかにありますし、「良きもの(goods、モノですね)を独り占めしたい」とか、「人より上に見られたい」という気持ちは、近代資本主義の成立以前から人は持っていたでしょう。当然、資本主義がそのような気持ちを強化したということは可能でしょうけれども、資本主義や市場社会を批判するときに、そのような気持ちは人間として恥ずかしいから捨てよとお説教しても始りません(マルクスやポランニーなどの批判者はもちろんそんなお説教は言っていません)。
 問題は、独り占めしたいと思う「良きもの」の所有と「人より上に見られたい」という序列のものさしが収斂していき、単一の基準となったということなのです。つまり、お金の所有が「良きもの」の所有となり、その数量が人の序列のほとんど唯一の基準となっていったということです。
 そういうと、いや現在でも人の序列の基準はたくさんあるというかもしれません。スポーツができるとか、容姿が良くてもてるとか、成績が良く学歴があるとか、笑いを多く取れるとか、絵が上手だとかいろいろな基準があると(なんか中学生のあいだの序列みたいですが)。しかし、資本主義社会では、それらの「能力」を使って稼ぐことが求められます。それらを市場で売ってお金にすることが「自己実現」であり、それらを市場の外に埋もれさせていることは「罪悪」になっているとすらいえます。「名誉」や「有名性(セレブ)」も付加価値を生むものとして金銭に換算可能ですし、お金に換えないことは愚かしいこととされます。つまり、複数の価値基準、複数の序列があるようにみえて、その序列と序列のあいだを序列化する至高の基準が市場価値というわけです。近代になって、身分制がくずれるとともに、市場が社会全体を覆ってはじめて、すべての領域を横断し平準化するような唯一の序列の基準が生まれたのです。そこでは、有給雇用されないもの、すなわち怠け者や失業者や不採算の(市場価値を生まない)活動に固執する者や不払い労働であるシャドウ・ワーク(家事労働が典型的です)をする者は、人間として価値のないものとされるわけです。
 ベーシック・インカムの導入は、すべての序列のあいだの壁を壊して単一の序列にしてしまう市場価値の支配から他の価値基準を救い出して、再び社会の各領域に埋め込むことを可能にしてくれます(あくまでも可能性ですが)。もちろん、個人の「能力」を活かして働き、市場でそれをお金に換えることで「自己実現」することを、ベーシック・インカムは否定していません。ただ、それとは別に、労働や市場価値とは無関係に、生きているだけで与えられる所得があるというだけです。それだけなのですが、価値が市場価値とそれとは無縁のものという二本立てになるということが重要というわけです。
 そして、ここが「ワークフェア」や、ベーシック・インカムと同じものとされることも多いのですが「負の所得税」との大きな違いというわけです。つまり、所得再分配社会保障という面だけを考えると、再分配されるお金はたいして変わらないでしょう*1。しかし、働く意思を基準としたり「ミーンズ・テスト」を必須としたりする「ワークフェア」や「負の所得税」は、市場での価値を人の唯一の序列とするイデオロギーを支え、怠惰や失業や貧困や不採算部門から動かないような人たちを「見下し」ながら分配するものとなり、その受給者にスティグマを与えるものとなるわけです。
 補遺はこの辺にしますが*2、実際に導入するとなると、現行の制度からのスムースな移行にはどうすればいいのか、財源は何がいいのか(私個人としては累進課税所得税相続税がいいと思っていますが)、景気対策にもなるといっても、景気の悪いときにどのように導入したらいいのか、まだまだテクニカルな問題は残っています。その辺は、私の能力を超えているので、専門家であるエコノミストの知恵を借りたいところです。もちろん、この構想には根本的にまずいところがあるという指摘も是非。いろいろな知恵を集めると実現可能性は高まるはずです。もっとも、私個人はベーシック・インカムを導入するとおそらく収入は減るのですが。

*1:ですから、市場原理主義者の竹内靖雄さんは、教祖とも言うべきミルトン・フリードマンの提唱した「負の所得税」を「社会主義的」だと批判しています。

*2:当初の予定からすれば、まだ経済学的な「インセンティヴ」概念についての話が残っていますが、それはベーシック・インカムの話とは切り離してそのうち書きましょう。