日本の「奇跡的で奇妙な成功」

 2か月以上も何もアウトプットしていなかった反動か、しはじめると調子に乗ってつづけたくなります(ツイッターじゃないんだからそんなに頻繁にしなくてもね)。今回も新型コロナウイルスの話ですが、前回までとは違った角度からの話をします。

 共同通信によれば、14日のアメリカの外交誌「フォーリン・ポリシー」(電子版)が、東京発の論評記事で、日本の新型コロナウイルス感染対策はことごとく見当違いに見えるが、結果的には世界で最も死亡率を低く抑えた国の一つであり「(対応は)奇妙にもうまくいっているようだ」と伝えたそうです。同誌は、日本は中国からの観光客が多く、ソーシャル・ディスタンス(社会的距離)の確保も中途半端と指摘。感染防止に有効とされるウイルス検査率も国際社会と比べ低いが「死者数が奇跡的に少ない」と評し、「結果は敬服すべきもの」とする一方、「単に幸運だったのか、政策が良かったのかは分からない」と述べているとのことです。
 15日現在で、日本の感染者累計数が16,203人で死者数も713人、人口1万人当たりの死者数は0.053人です。安倍首相は、14日の39県での緊急事態宣言解除の際の記者会見で、「我が国の人口当たりの感染者数、死亡者数は、G7先進主要7か国のなかでも圧倒的に少なく抑え込むことができている」と、あたかもコロナ対策がうまくいっているかのように述べましたが、軒並み数字の酷いG7諸国と比べて「どうだ」と言われても、クラスの中で成績の悪いほうの友達と比べて優秀でしょと言ってるようなもので、クラス全体の中では成績のいい方ではないわけです。
 コロナ対策が成功したと言われている国では、台湾で0.002人、ニュージーランドで0.044人、中国で0.032人、韓国でも0.052人と、もちろん日本より低くなっています(そして、他のアジア諸国もほとんど日本より低いのです)。
 これらの国はそれぞれコロナ対策に特徴があり、中国では感染爆発が起きてから強烈な封鎖(ロックダウン)を行なって封じ込めましたし、韓国や台湾ではロックダウンなしに徹底的に感染者を検査であぶり出して隔離し、感染者の位置情報をアプリで表示して接触を避けるというやり方をしました。また、ニュージーランドでは感染の初期にロックダウンをして感染拡大を防止するといったように、数字が低いことの理由がそれぞれ明確に理解できるわけです。それに対して、日本のコロナ対策は、備蓄など前からの準備もなく、行政改革で保健所などの医療行政の機能も極限まで削っていた上、具体的な対策がほとんどなく、ロックダウンもせずに「自粛」という協力の要請だけなのに、なんで比較的低い死亡率なのか、という点が「奇妙」だと言われるゆえんでしょう。感染爆発が起こってから段階的にロックダウンをしたけれども手遅れだった欧米諸国(例えば、人口1万人当たりの死者でいえば、2.5人を超えているアメリカ、5人を超えているスペイン、イタリア、5人に近いイギリス、4人を超えているフランス、約3.5人のスウェーデンといった国々)からみれば、「奇妙な成功」に見えるでしょう。
 その理由については、いろいろなことが言われています。初めのころはBCG接種の率との相関が言われていましたが、その後の世界的な拡大でそのような相関は言えなくなったようですし、また、そもそもPCR検査が少ないのだから死亡率自体が正確ではないという意見も強くありました。
 けれども、15日の報道(毎日新聞・夕刊)では、東京大学などでつくる「新型コロナウイルス抗体検査機利用者協議会」のプロジェクト・チームが5月1日・2日に都内の医療機関で採血した500人分の検体について抗体検査をしたところ、陽性は3人で、陽性率は0.6%という結果が出たということです。また、厚労省が行った新型コロナウイルスの「抗体検査キット」の性能評価の調査でも、東京での500人分の献血の陽性率は0.6%でした。つまり、感染自体が広がっていないのです。これだったらPCR検査が少なくても何の問題もないということになります。PCR検査が少ないのでやばいと言っていた専門家やマスメディアは間違っていたわけです。ただし、これだと2次感染のときには感染爆発が起こりやすいわけですから、いまのうちに検査体制を整備することは必須となります。
 事前の準備も不十分だったし対策も遅れていたのに、感染による死者が少ないのは奇妙でもなんでもなく、感染そのものが広がっていなかったからだと言えそうです。
 では、政府の対策が欧米と同じように遅く徹底もしていないのに感染が広がっていない理由は何なのでしょうか。それについては、文化の違いということが挙げられています。すなわち、日本では、コロナ以前から普段マスクをする習慣が根付いていたこと、そして家に入るときに靴を脱ぐことなどの習慣に要因を求める説が言われています。より人類学的にいえば、日本には、家の内と外とを象徴的に区切るという文化的習慣があったということです。その典型が手洗いのタイミングです。私も『構造人類学のフィールド』で書いていますが、日本の文化では、外から家に帰ってくると手洗いをするという習慣がもともとありました。これは世界的にみれば珍しい習慣なのです。これは古くから定着している細菌に関していえば衛生学的に合理性はありません。家の内と外では細菌の数に違いはないからです(細菌は家の内か外かを区別しません)。ヨーロッパでは、日本と違って食事の前に手を洗う習慣になっています。古くからある病原菌に関しては、どちらでも衛生学的効果に変わりがないはずです(むしろ欧米のように食事の前に手を洗ったほうが家の内で手に付く菌を食べる前に洗ったほうが合理的といえるでしょう)。しかし、新型コロナウイルスのように新しく発生したウイルスに関してはそうではなく、はっきりとした違いが出ます。新型ウイルスは、最初は家の中には存在しなくて家の外で付くものです。つまり、欧米の習慣では、手に付いたウイルスも靴に付いたウイルスも家の内に持ち込んでしまうのです。家に入るとき、靴を脱ぐのも手を洗うのも、もとは家の内は清浄で外は穢れているという象徴的な表現をするための行為だったのですが、それがCOVID-19の感染予防に適合していたのです。
 もう一つ要因として人類学的に考えられるのは、昔にエドワード・T・ホールが唱えていたパーソナル・スペース(対人距離)の文化による違いです。ヨーロッパで最初にイタリアで感染爆発があったときに、イタリアではハグやキスなど「濃厚接触」をやたらする習慣があるからと言われもしました。スペインについてもそのように言われました。その後、ドイツやイギリスでも感染爆発があり、そのようなことは言われなくなりましたが、パーソナル・スペースの違いについてはまだ相関があるかもしれません。パーソナル・スペース(対人距離)には、他人や親しくない人に近づかれると不快や不安になる社会距離、家族や恋人など親密な人との密接距離、友人や知り合いとの個体距離などがありますが、とりわけ他人との社会距離は、文化によって違うことが知られています(同一文化内でもジェンダーや階層によって違います)。ホールが正確になんと言っていたかはいま手元に本がなく忘れてしまいましたが、その後、社会心理学者たちがいろいろな文化でこの社会距離を測っています。日本の場合は満員電車の事例をどう解釈するかによって長くなったり短くなったりします。それじゃ使えないという感じですが、実験によって測る(図書館や公園、レストランなどで、わざと近づいて行って相手が落ち着かなくなったり席を立ったり遠ざかったりする距離を測る)のと観察を併せた研究を見ると、アルゼンチンやペルーなどの南米が最も短く(85cm前後)、スペインやイタリアでも短くて(90cm前後)、ドイツやイギリスはそれより少し長く(それでも100cm以下)、中国が120cm。日本は中国よりも長いという結果が出ているようです。満員電車やバス停の行列の場合は日本人も不快に思っているけれども、遠ざかれないので我慢しているということなのでしょう。もうひとつ、あまり指摘されていませんが、日本では露骨に遠ざかると相手がいやな気持になるのではないかと忖度するということもあるかもしれません(それで日本は社会距離が短いという研究も出ているのでしょう)。つまり、自然に遠ざかることができる場所では、日本人は社会距離が長いということが言えそうです。この平均して40cmくらいの違いがどれだけ新型コロナウイルスの感染に影響するのかは、もちろんわかりませんが、感染予防のためのソーシャル・ディスタンシングが言われる以前から、日本では他人との無意識のソーシャル・ディスタンスが他の国よりも長く(アメリカのある社会心理学者は日本人の社会距離は刀が届く距離だと言っているそうですが、日本人が全員サムライだと思っているようです)、そのために感染が広がりにくいという仮説も成り立つかもしれません。
 あと日本だけではなくアジア諸国と欧米の違いとして、普段からマスク着用という慣行があるかないかが大きいのかもしれません。いまだ死亡者数がゼロのベトナムも近年、中国と同様に排気ガス対策でマスクをする習慣があったし、日本では「だてマスク」をする人も多かったというように、アジアではマスク着用が普通のことであるのに、欧米では健康な人がマスクをすることはなかったわけです。
 今回のCOVID-19のパンデミックで私が驚いたのは、ウイルス感染対策にマスクが効果があるということがわかったということでした。WHOの専門家も欧米の専門家も、そして日本の専門家も、誰もが、N95の高性能の医学用マスクではない一般用の不織布のマスクにウイルス感染予防の効果があるとは言っていませんでした。それはそうでしょう。ウイルスのような微細なものがそれよりはるかに大きな穴やすき間のあるマスクで遮断できることなど、誰もわかっていなかったのです。私がびっくりしたのは、4月21日の毎日新聞(朝刊)に、これまでのコロナウイルスの感染者を使った実験で米中の研究チームが、不織布の使い捨てマスクをすると、飛沫の中に含まれるウイルスの拡散を抑制できることを実験で確かめたと米科学誌「ネイチャー・メディシン」に発表したと報じられていたことです。研究チームは、コロナウイルス感染者(延べ21人)を、ポリプロピレン製の不織布の使い捨てマスクを着用したグループと非着用グループに分け、呼気を30分間採取して調べたところ、 直径5マイクロメートルより大きい飛沫についてはマスク非着用の10人中3人からはウイルスが検出されたけれども、着用した11人は全員、マスクの外に出た飛沫から検出されず、さらに、飛沫よりも小さく空気中を漂う「エアロゾル」(直径5マイクロメートル以下)についても、非着用の10人中4人からは検出されたが、着用者からは検出されなかったのです。研究チームは「新型ウイルスについても、感染拡大を抑えるために、感染者のマスク着用によって同様の効果が期待できる可能性がある」と述べているということです。それまでそのことを実験で確かめようと思った人がいなかったというのも、常識にとらわれていたということなのでしょう。まあ、そうですよね。飛沫もエアロゾルも通す穴があるマスクが、ウイルスを通さないなんて思うほうがおかしいでしょう。だからWHOも微細なウイルスには効果なしと言っていたわけです。この実験のせいか知りませんが、途中から欧米の専門家もWHOもマスク着用を推奨するようになりました。
 ということで、対策が遅れロックダウンも不十分だった日本でCOVID-19感染が危惧したより広がらなかったという「奇妙な成功」の理由は、日本人がまじめで(従順で)外出を自粛して三密を避けていたからでも、衛生学的に清潔だからでもなく、家の内と外とを象徴的に区分する、外から帰ってきたときに靴を脱いで手を洗うという文化的習慣を持っていたこと、無意識の社会距離が他の文化よりも長かったこと、マスク着用の習慣があったこと、日本にすでに有ったそれらの文化的習慣の重なりが、たまたまCOVID-19感染予防に適合していたという幸運に恵まれていたからだというのが、人類学者としての仮説です。もちろん感染症の専門家ではないので、当たっているかどうかはまったくわかりませんが、感染症の専門家にも参考になるのではないかとは思います。