西ケニアにおける「女子割礼」について

 アフリカの女子割礼について話題になっているようです。私は、ケニア西南部とタンザニア西北部の国境をまたいだ地域に住んでいるクリアという民族について、西ケニア側で現地調査をしており、1990年代後半に、クリア社会の男子割礼と女子割礼の調査をしたことがあります。
 その成果の一部は、科研費の成果報告書ならびに博士論文という形で発表していますが、一般に読まれる形での発表ではありませんでした。アフリカの女子割礼への関心がすこしでも上がっているときに、現地調査したことのある人類学者として、現地の声を紹介する義務があるだろうと思い、緊急エントリーをアップします。


 民族誌的事実を紹介する前に、まず、アフリカの女子割礼を廃絶するために人道的介入をすべきだという人権派と、現地の声や当事者にとっての意味を知ることが大切だという、文化相対主義的な立場をとる人類学者との間のディスコミュニケーションについて、私の意見を述べたいと思います。前者のいう人道的介入は、多くの場合、国際的非難によって法的に禁止することを促し*1、個別の事例での救援をするとともに、現地の女性たちへの啓蒙や人権教育を進めることによって、現地で反対する女性たちを増やしていくという、比較的穏健なもので、なんでこれが「植民地主義的」とか「西欧中心主義」などと批判されるのか、分からないというのは、ある意味では当然だろうと思います。
 ちなみに、誤解があるのは、人類学者たちが、伝統的文化なのだから介入するなと擁護していると思っている人も多いという点です。そのような立場も文化相対主義と呼ばれることがありますが、そんなことを支持する人類学者はいません。人類学者たちは、むしろ「伝統を守ることに価値がある」とか「伝統だから介入するな」といった言説を本質主義本質主義的文化相対主義として批判しています。人類学者の文化相対主義は、それとはまったく違うものなのです。
 あるいは、たしかに西欧のフェミニストたちや人権派の人たちが、女子割礼の現地の意味や現地の人たちの声を無視し、自分たちが作りあげた「普遍的な」価値観にもとづいて介入するのは「植民地主義的」かもしれないが、現地の女の子たちが酷い人権侵害に遭っているのを放っておくほうがもっとまずいと思う人もいるでしょう。
 それに対して、クリア社会でのフィールドワークの経験を踏まえての私の意見は、女子割礼をすみやかになくすためには、人道的介入をしないほうがいいというものです。私自身は人道的介入を西欧中心主義的で植民地主義的だと思っていますが、だからまずいとうのではなく、女子割礼をすみやかになくすとともに、現地の女性たちに矜持や自負を保持させるという目的をかえって達成できないからまずいのです。


 それを説明するためにも、クリア社会での女子割礼の概要を紹介しましょう。クリアでの女子割礼は、男子の割礼と同様、通過儀礼の一環としての儀礼として行われます。この儀礼によって、少女は、性交と結婚ができる地位になるというわけです(割礼前の少女との性交は禁じられています)*2。割礼の基本的な意味は、この通過儀礼に伴う身体加工の一種ということにつきます。また、女子割礼はつねに男子割礼とセットになっていて、現地語での呼び方も「女の割礼」ということばで呼ばれます*3
 アフリカの女子割礼とひとくくりにされますが、その施術のやり方は民族ごとに違うし、また時代によっても大きく変わっています。たとえば、クリアの隣の、ケニアの中で大きな民族であるルオ人の社会では男も女も割礼しません。また北のほうの近隣民族であるグシイでは、もともとクリトリス切除などはせず、クリトリスの先端だけをちょっと切るやり方でした。クリアでは、元女子割礼師の話によれば、1920年代ころまでは、クリトリス全部を切除し小陰唇の一部も切除していたが、彼女が割礼の施術を始めた1970年代ころからクリトリス切除だけになり、1990年代にはクリトリスの先端の包皮を切開するだけとなり、それで出血すれば割礼と認めるというように変遷しています*4
 クリアにおける女子割礼の変化は、それだけにとどまりません。特別の場所で女子割礼師が行う「伝統的」なやり方ではなく、看護婦の資格をもつ者が自分で開いたクリニックで女子割礼をおこなうようになってきたこと、また、注目すべきことに、1980年代に始まった傾向ですが、女子割礼をしない女性が出てきました。1980年代前半に女子割礼をしなかった女性に話を聞いたのですが、女子割礼をしないという方針を決めたのは彼女の父親で、母親や親族の女性たちは反対し、父親がいないすきに彼女を割礼しようと画策したのですが、女子割礼の儀礼が始まる直前に、父親が彼女を村から連れ出して町に行ったそうです。母親や叔母さんたちが彼女を割礼しようしたのは、もちろんひどい母親というわけではなく、割礼しなければ結婚できなくなることを心配してのことです。その後1990年代後半になると、クリニックで割礼する女性や割礼しない女性が半数近くにまで増えていきます。


 重要なことは、このような変化は、人道的介入やNPOの啓蒙によるものではないということです。クリアにはまだNPOによる女子割礼廃絶運動はほとんど入ってきていません。それは生活の変化に応じてクリア人自身が柔軟に慣習を変えていった結果で、女子割礼をしない女性も、それが性差別だからといってやめたわけではないのです。
 クリア人自身による慣習の変更はかなりすみやかです。80年代では、娘を割礼させなかった父親を非難する人がかなりいたのに、私が調査した90年代末には意外なほど非難の声は聞きませんでした*5


 ついでに、男子割礼の変化についても触れておきましょう。まず、男子割礼は、女子割礼よりも早く、伝統的な割礼師によらない病院やクリニックでの施術が始まっています。それは、1970年代後半に始まり、80年代ころまでは病院で割礼を受ける少年は親戚や割礼仲間から臆病者と侮蔑される傾向がありましたが、90年代後半には、病院やクリニックでの施術のほうが多くなっています。やり方も、伝統的な割礼師による施術は、70年代までは、包皮だけではなくペニス本体にも切込みを入れるというハードなものでした。そのため、出血が止まらずに死亡する少年が絶ちませんでした。病院での施術が増えたのも、そのためかと思います。現在では、それほど深く切れ込みを入れることはなく、ペニス本体から血が流れればよいとなっていて、止血剤も用いています。また、HIV感染を防ぐために、割礼師が伝統的なナイフで割礼することをやめ、割礼を受ける少年の側で用意した安全カミソリで割礼するように変わり、1996年の割礼の時には、ディストリクト・コミッショナーから、一人の割礼が終わるたびに割礼師は手をアルコール消毒するようにという通達が出されたという変化がありました。
 それらの変化にもかかわらず、私が調査したときの男子割礼では死者が出ました(女子割礼のほうには近年、死者は出ていません)。現在のクリアにおいては、女子割礼よりも男子割礼のほうが危険なのです。けれども、男子割礼については、割礼をしない男性は一人も出てこず、またやめるべきという声も皆無です*6
 男子割礼についてひとつだけ付言しておけば、女子割礼については人権侵害で野蛮な風習だと非難する欧米社会も、男子割礼については人道的に介入して止めさせよとは言いません。それは、男子割礼が危険ではないと勝手に思っていることもあるでしょうが、大きな理由は、欧米で男子割礼が行なわれているからでしょう。ここにも西欧中心主義が指摘できます。


 さて、クリアの女子割礼については、伝統的な女性割礼師を含む多くのクリア人が、遅かれ早かれなくなっていく慣習だといいますし、実際に、なくなっていく傾向もみられます。ある老人は,「女子割礼がなくなっていくのは、昔は重要な儀礼だった他の儀礼がいまはだれも行なわなくなったのと同じことさ」と言っていました。そして、その変化は、人権意識を啓蒙した結果ではありませんでした。慣習とは、生活のなかでいろいろ選択しながら柔軟に変わっていくのが当たり前で、これまでもそうだったという伝統的な意識からそうなっていっているのです。啓蒙・教育に力を入れるとか、人道的介入をすべきという意見の前提となっているのは、そうしないと、アフリカの人びとは自分たちで変えていく力がないという認識ですが、その前提は、クリアの例をみても間違っていることがわかります*7

 クリアには子割礼廃絶の啓蒙活動は直接入ってこなかったと言いましたが、それはもちろん、クリア社会が外部から隔絶していることを意味しているわけではなく、エイズ防止の啓蒙活動やその他のNPOの活動はなされています。その人たちからも女子割礼についてのナイロビや欧米での廃絶運動の情報はもたらされますし、教師やナイロビに住んでいたクリア人のなかには、欧米のフェミニストたちの女子割礼廃止論やナイロビでのフェミニストたちによる女子割礼禁止の要求について知っている人たちがいます。ある男性高校教師は、それに対して、女子割礼はクリアの伝統文化であり、それを野蛮とするのは植民地主義と同じだと批判していました。また、ナイロビで反対しているケニア女性はもともと女子割礼をしないルオなどの民族出身か、もう女子割礼を廃止した民族の女性や,都市で生まれて伝統を忘れた女性だと批判して、女子割礼を擁護する者もいます。ただし、クリアでは、たとえば、先の高校教師に、自分の娘にも割礼を受けさせたいのかと聞くと、娘が割礼を受けたくないのならさせないし、自分もさせたくはないという答えが返ってきました。
 これは、人類学の議論でいえば、彼が、女子割礼を「クリアの伝統」として客体化していることを意味します(「伝統の発明」もおなじような過程だといっていいでしょう)。生活や他の文化的要素との関係や文脈から「女子割礼」を切り離して、元の文脈にはない意味(「クリアの伝統を象徴する」なんて意味はもともとの女子割礼がおかれていた文脈にはないわけですから)を付与しています。これを「文化の客体化」といいます。「じゃあ、自分の娘も割礼させるのかい?」と聞かれて、実際の生活の文脈に戻したときには、彼は「させない」と答えたわけです。これは矛盾しているわけではなく、文脈が異なっているだけです。


 問題は、この「文化の客体化」が、外部の(たいていは欧米の)まなざしのもとでなされること、そして、伝統主義者や本質主義相対主義者やいわゆる「原理主義者」が、この「文化の客体化」から出てくることです。まだ、クリア社会では、女子割礼に関しての外部からの介入がほとんどないため、客体化された女子割礼を生活の文脈におき戻すことはできます。いいかえれば、「生きた慣習」としての柔軟さを保持できているので、この客体化とは別に、慣習の変更がなされていっているといえます。しかし、もともとの文脈から切り離され、客体化された文化・伝統が、生活の文脈まで介入してくると、それは、柔軟さを失い、固定された「伝統」となってしまいます。重要なのは、そのような事態は、外部からの介入がなされたときに起きるということです。
 実際に、ケニアでも、ナイロビを含めた都市部に住む、最も近代化された民族であるキクユ人社会において、「原理主義」的なムンギキ・セクトという集団が、1990年代に、女性たちを強制的に割礼しようとする暴力事件を繰り返しています。彼らは無知で頑迷な「因習に囚われた」人びとではありません。近代化・都市化のなかで、欧米という外部の人々が、女子割礼を、それが置かれていた文脈から切り離して「客体化」し(しかもその多様性や柔軟性を無視して、「アフリカの女子割礼」と一括して客体化しています)、野蛮や差別という意味づけしたことにちょうど対応して、(固定され続いてきた)伝統という意味づけをするという客体化をしているのです。その両者に共通するのは、それが置かれていた生活や慣習という文脈を捨象して顧みずに、人びとの生活のなかに介入していくという点です。人類学者が現地の文脈に置いて理解することが第一歩となると言っているのは、この両者の行っている「介入」と「客体化」を批判しているわけです。西欧など外部からの「人道的介入」が、女子割礼を廃絶することに逆行しているというのは、このような客体化を招いて、かえって、人びとが柔軟に慣習を変更していくことを阻害してしまうからです。


 もうひとつ、人道的介入がまずい理由として、現地の人びとの矜持や自負を損なう恐れがあるということがあります。それは、啓蒙や教育によって女子割礼をやめさせるという穏やかな介入も、親や地域から少女たちを切り離して救う積極的な介入も、結局は、女性たちに、「自分たちの祖先や親は愚かで野蛮だからそのようなことをしていたんだ」という意識を植えつけるからです。積極的介入によって救われた女性のなかには「強い自立した個人」として都市や海外で成功する女性たちも出てくるでしょう。しかし、欧米の人権派が、アフリカの地域社会や女性たちに人権思想を根付かせたり、それぞれの文化において民主主義を土着化させたりしたいと思うのであれば、そのためには、生まれ育った地域やそこの人びとが愚かで野蛮だったという意識は、逆方向にしか働きません。個人が地域の人々や親たちといった周りの人々に働きかけることができるのも、その周りの人々との間に代替不可能な絆ができているからです。周りの人びととの関係のなかの自己に矜持や自負なしに、そのような活動はできません。
 もちろん、人権派の人びとが、地域から切り離して救おうなどと思っているわけではないでしょう。それだと、オーストラリアでかつて行われていた、アボリジニの子どもたちを愚かな因習から解放して救うために、親や地域から切り離して、白人の養子にして文明人に育てるといった思想と同じになってしまいます。緊急のときにやむおうえず「駆け込み寺」を設けるのであって、その後で地域社会に戻すのだということだと思います。しかし、そのような人道的介入の前提となっている思想はやはり問題をはらんでいるし、しかも、手段としても、目的を十分に果たせないものだといいたいのです。


 また例によって、長くなってしまいました。クリア社会という個別の事例を離れて、流通する「アフリカの女子割礼」についての、あまりにも誤った情報を正すということもしようと思ったのですが、それはまた別の機会にしましょう。

*1:ケニア政府は、それまであまり守られなかった大統領令での女子割礼禁止に代えて、2001年に「子ども法案」を制定し、16歳以下の女性への割礼を禁止するとともに、施術したものへの罰則も定めました。

*2:アフリカの女子割礼が、結婚前の処女性を守るためだというおおざっぱな情報も流れていますが、北東アフリカの一部でおこなわれている「陰部封鎖(縫合)」と混同しているものでしょう。割礼したあと、結婚前に性交をする少女たちはいくらでもいます

*3:このエントリーで、「女性器切除」ではなく、「女子割礼」と言い表している理由の一つは、そのほうが現地での呼び方に近いからです。

*4:このように、女子割礼では、クリトリス切除とクリトリス包皮の切開とは交替可能なものとなっています。したがって、「アフリカの女子割礼」の機能は女性の性欲や性的快感を低下されるためだという俗説も、あまり根拠のあるものだとは言えません。

*5:女子割礼しないルオ女性との結婚も増えています。これは以前だったらタブーで、昔は、ルオ女性と結婚するにしても、その前にその女性を割礼しないと許されなかったのですが、現在では、割礼しないで結婚している例が多く、そのうち本人が望めば割礼するけどとはいうものの、非難されることはほとんどなくなっています。

*6:その違いについては解釈がありますが、それは長くなるので省略します。

*7:この前提が「植民地主義的」と批判されるものです。植民地主義は、元住民たちは自分たちを発展させることができないから、外部から「介入」して発展させてやるのだということを理由にして自らを正当化していました。

大塚和夫さんのこと


前回のプログ更新から4カ月半以上たちました。長らく更新しなかったのは、怠け病のせいもありますが、最も大きな理由は、今年の4月29日に大塚和夫さんが亡くなられたことにあります。前回のエントリーは訃報を聞いた直後でしたけれども予定していた原稿を載せ、その後で大塚さんのことについて何か書かなきゃと思っていました。けれども、何をどう書いていいのか思いつかないまま、しかし、大塚さんのことを書く前に、他のことをエントリーに書いて更新する気にはなりませんでした。
7月20日には、私も発起人の末席に名を連ねさせていただいた、「大塚和夫さん お別れの会」がありました。そこで、大塚さんの思い出話をしたり聞いたりして、また、教え子や院生たちが編集した冊子『ありがとう—社会人類学者大塚和夫の軌跡』を読み、大塚さんの年譜に自分の年譜を重ねて記憶をたどったりしているうちに、ますます何か書かなきゃという気持ちは強くなりましたが、書かないままもう2カ月が経ちました。
 書けない理由は、大塚さんとの思い出が物語にならないからです。個人的な思い出はたくさんあります。でも、断片的なエピソードという感じで、物語として全然つながっていないのです。まあ、思い出や記憶というものはそういうもので、亡くなってから物語にしようとするのでしょうが、まだ大塚さんが亡くなったことを受け入れていないのか、初めて会ったのがいつかも、そして最後に会ったのがいつなのかすら、正確には思い出せないのです。けれども、椎野若菜さんから東京外語大のAA研の広報誌に大塚さんのことを書いてくれと言われているので、そのウォーミングアップと、そちらには分量的に書けないことを書くという意味で、すこしだらだら書いてみることにします。
 たぶん大塚さんは、こちらの希望的観測ということもありますが、私と会って飲んだりするのは好きだったと思います。今から20年ほど前、私が大阪の河内長野市に住んでいたころ、大塚さんが河内長野市の市民講座で講演を頼まれたから、そのあと泊めてくれないかと言って、私のマンションに1泊していったことがあります。大塚さんも大阪に住んでいたわけで、いくら北と南だからといって、もちろん大塚さんもお宅に帰れるわけです。優しく気配りをする大塚さんのことですから、私が大阪に来てから間もないときに、様子を見に来てくれたのだと思いますが、一晩飲みながら語りたかったのもあったのだと思います。次の朝、私がまだ寝ているうちに、愛妻家で子煩悩の大塚さんはお宅に戻りました。朝食を付き合った私のかみさんの話では、ずっと二人の息子さんの話をしていたそうです。
 大塚さんは、1992年に大阪の国立民族学博物館から母校の東京都立大学に戻りましたが、私もその3年後の1995年(神戸淡路大震災とオウム地下鉄サリン事件の年です)に東京の成城大学に移りました。それ以降は、国立民族学博物館の上司だった伊藤幹治先生とのご縁で成城大学の非常勤に長い間来てくれたり*1、学会の理事会で一緒だったりで、定期的にお会いし、飲むという機会に恵まれていました。
 いま思うのは、長い付き合いのなかで、役割関係が固定されていたような気がします。すなわち、みんなから尊敬される先輩をからかう後輩という関係、人類学的にいえば、権威のある王とトリックスターという関係です。まわりに大塚さんを面と向かって「それじゃだめだよ」などという後輩がいなかったということもあり、どうもそれを期待されているのではないかと思って、いまから思うと、必要以上にそのような演戯をしていたという気がします。
 ただ、大塚さんも「権威のある王」という性格とは異なる振る舞いを最初からしていたわけではなく、また好んでそういう役割をしていたわけでもありません。それは、大塚さんの責任感から否応なしにせざるをえなかったことでしょう。『ありがとう—社会人類学者大塚和夫の軌跡』に収められたインタヴュー記事や『信濃毎日新聞』の「月曜評論」などを読んで、改めて感じるのは、社会(文化)人類学という学問を代表して外部に発言するんだという、大塚さんの気概です。それを自分に求められていると思っていたのでしょう。実際、大塚さん以外にそれをできる人はなかなか見当たりませんでしたから。
 大塚さんとの役割関係を、都合よくいえば、否応なしに気概をもってしていた「権威ある王=代表者」の衣装を、会ったときに私が脱がしていたといえるかもしれません。大塚さんも半分はそれを楽しんでいたと思います。
 しかし、大塚さんがいなくなったことで(まだ実感がわきませんが)、政治学や哲学や歴史学といった他分野の研究者に対して、人類学を代表して、人類学者ならこう考えると発言する人が人類学界にほとんどいなくなりました。これは、人類学界全体の問題でもありますが、私にとっても問題となります。大塚さんがいたからこそ、私のような人類学者は、人類学を代表するという責任も負わずに、(新聞などのマスメディアではなく、口頭やブログや私的コミュニケーションでという意味で)非正規的に、自分の考える人類学を気楽に述べてこられたわけですから。もちろん、私には、「人類学という学問を代表して外部に発言する」ことなどできません。そして、みんながそんなことをする必要はないと思っています。しかし、誰かがやらないとまずい。その意味で、日本の人類学者たちが大塚さんがいなくなったことを痛感するのはこれからなのでしょう。

*1:伊藤先生が退職したあとも、忙しくてもう無理だと言われるまで来て下さっていました。小田に頼まれてじゃなく、伊藤先生に頼まれたことだから行くよと言って。この辺も義理がたく依頼されたことへの責任感の強い大塚さんらしいところです。

「『社会の二層性』あるいは『二重社会』という視点」をアップしました

 いつのまにか5月ですね。いま、真正性の水準の帰結である「二重社会」という視点の意義について、1冊の本を書いています。論文を集めたような学術書ではないのですが、少しでも学術的な部分を含んだ本を書くとなると、たとえば、これまで似たようなことを述べている研究との類似点と相違点や、共同体や過去のロマン化ではないか等の想定される批判への防御、用いている概念の厳密化など、ようするに誤解されないような手続きを経なければならず、そのために、書いていても論がストレートに進まず、多少まどろっこしい思いをしています。
 私の「二重社会」論についての最新の論考「『社会の二層性』あるいは『二重社会』という視点」を「小田亮の研究ホームページ」にアップしました。上で触れた本の「序論」の内容の一部を、4月24日に京都大学で開かれた、京都人類学研究会の例会で講演したときの原稿です。

http://www2.ttcn.ne.jp/~oda.makoto/nijuusyakai.html

 では、お知らせまで。

「二重社会」の視点から内山節さんの著作を読む

 「二重社会」ないしは「社会の二層性」という視点から、内山節さんの著作を読み直してみたいと思います。これは、二重社会論・社会の二層性論を明確にするための作業でもあります。
 その前に、「二重社会」ないしは「社会の二層性」という視点について、ここで簡単にまとめておきましょう。二重社会は、レヴィ=ストロースのいう真正な社会と非真正な社会という、二つの社会の様相の基本的な区別からの帰結です。この区別は、レヴィ=ストロースのことばを使えば、「3万の人間は、500人と同じやり方では一つの社会を構成することはできない」という、いたって単純なものです。この単純さが重要です。たとえば、この単純な区別は、近代になって、貨幣や行政や議会やなどの媒介によるシステムがローカルな共同体の内部にまで入り込んでくるようになってからも維持されます*1
 レヴィ=ストロースは、シャルボニエとの対談で、議会という制度を例にして、つぎのようにいっています。

町議会や村議会の運営と、国会の運営との間には、程度の差だけではなく質的な差があることは周知の事実です。前者の場合、特に或るイデオロギー的内容に基づいて決議がなされるというわけではなく、ピエールとかジャックとかいう個人の考え、とりわけその具体的な人柄を知ることも、考えを決する基となります。その場合、人々は全体的に、大づかみに、人の行動を把握することができます。思想もたしかに問題にはなりますが、しかしそれらの思想は小さな共同体の一人一人の成員の身の上話や家庭事情や職業的活動によって解釈されうるものです。こんなことはみな、或る人数以上の人口の社会では不可能になります。私がどこかで「真正性の水準」と呼んだのはこのことを指しているのです。[シャルボニエ『レヴィ=ストロースとの対話』(みすず書房)55-56頁、訳語は一部変更した]

 このことは、議会のみならず、貨幣経済やメディアにも当てはまります。逆にいえば、真正な社会が、非真正な社会に包摂されて、そのシステムからそれらの媒体を取り込むときに、その媒体(貨幣や行政機構やメディア)を異なるものへと変えているということでもあります。
 この「真正性の水準」の区別の重要な帰結は、2つあります。ひとつは、レヴィ=ストロースも言っているように、真正な社会が非真正な社会(資本主義と国民国家によるシステム)に包摂された以降も、真正な社会という様相はその内部で保持されつづけるというものです。そして、もう一つが、その結果、人は真正な社会と非真正な社会という、二つの異なる社会を二重に生きるようになったというものです。この二つ目の帰結こそ、私が「二重社会」ないしは「社会の二層性」と呼んでいるものです。
 
 さて、前回のエントリーで取り上げた、内山節さんの「冷たい貨幣」を「温かいお金」に変えるというのも、非真正な社会のシステムに由来する「冷たい貨幣」を、真正な社会の生活の場において、〈顔〉のある関係によって、「温かい貨幣」へと変えるということでした。そのような実践は、内山さんは、ご自身が半分暮らしている群馬県上野村の山村の人びとから学んだものでした。
 内山さんは、『自然・労働・協同社会の理論』(人間選書農文協、1989年刊)のなかで、上野村の人びとによる「仕事」と「稼ぎ」の区別について触れています。村人のいう「仕事」とは、「村で暮らしていく以上必ずおこなわなければならない労働」で、農作業や山の木を育てる仕事、山道や丸太橋を直す仕事、家事、村の寄合に出る仕事などが入ります。これに対して、「稼ぎ」は、本来ならしなくてすませたいけれども収入のため、日銭稼ぎのために出ていく労働で、日当のための土木作業が典型的なものですが、会社勤めも「稼ぎ」に入ります。
 同じ作業でも、自分の持ち山に行って枝打ち下草刈りをするのは「仕事」ですが、森林組合などに雇われて行なう枝打ちや下草刈りは「稼ぎ」になります。また、上野村ではどこの家でもキノコ栽培をしていますが、キノコ栽培専業の家が近所の主婦をパートで雇いながら大々的に栽培している場合はキノコの「稼ぎ」をしていると表現されますが、他の家で行なっているキノコ栽培は年間2、30万円ほどの収入になりますが、これは「仕事」に属します。それはキノコの栽培が目的で、収入は結果にすぎないからです。内山さんは、「仕事」の場合は、それ自体はお金のために行なうものではなく、お金の論理をこえたものと捉えています*2
 このように、「仕事」と「稼ぎ」の区別は微妙なものですが、村人たちにとっては明確なものです。内山さんはこの区別について、『戦争という仕事』(信濃毎日新聞社、2006年刊)でも触れています。そこでは、上野村のような山村はかなり古くから「稼ぎ」の村だったことが、「仕事」と「稼ぎ」を使い分けるようになった理由ではないかと述べられています。上野村は、平坦地が少なく、山に挟まれて日照時間も短く、稲作には適していませんでした。そして、焼畑による畑作で自給していたわけでもなく、江戸時代には養蚕と和紙、内山さんがはじめて訪れた35年ほど前は蒟蒻といったように、商品作物が中心で、主食の生産はほどほどにして、むしろ高く売れる商品作物の生産に力を注ぎ、食料を購入する道を選んでいたというのです。
 内山さんはそのような背景が「仕事」と「稼ぎ」の区別を生んだとして、つぎのように言っています。

 このように「稼ぎ」が軸にならざるをえない村であったことが、逆に「仕事」を大事にしようという気風を生みださせたのであろう。「稼ぎ」は一軒一軒、一人ひとりのもの、つまり個人主義的なものである。しかも「稼ぎ」を効率よく実現させようとすれば、自然に敵対する行為も生じかねない。共同的な精神が失われれば、共同体が分解してしまう。おそらく、このような現実を経験していくうちに、生活を守るためには「稼ぎ」も大事だが「仕事」はもっと大事だという気風をつくりだしたのだろうと思う。/村という永遠の世界と結ばれているのが「仕事」であり、そのときどきによって変わっていくのが「稼ぎ」である。(中略)
 とすると、今日の一般的な労働の世界では、「仕事」と「稼ぎ」の違いが不明確になった理由もよくわかる。「仕事」を成立させていた、永遠の世界と結ばれていた人間の営みが私たちの目にみえなくなった。永遠の世界自体が感じられないものになったことが、その背景にはある。市場経済とはたえず新しさを競う経済、その意味では永遠性を喪失した経済である。[『戦争という仕事』260頁]

 市場経済と接合したとき、「仕事」と「稼ぎ」の区別がつくられたのではないかという推測は重要です。つまり、非真正な社会に包摂され、市場経済が不可欠なものとして生活に組み入れられたとき、「仕事」と「稼ぎ」との微妙な使い分けによって、真正な社会と非真正な社会との区別を引きなおしたということだからです。つまり、真正な社会の水準での労働としての「仕事」と、非真正な社会の水準での「稼ぎ」の微妙な区別によって、真正性の水準を維持しているわけです。

 さらに、内山さんは、『「創造的である」ということ 上 農の営みから』(農文協、2006年刊)のなかで、生活の場(すなわち真正な社会)における商品化について、社会学者の渡植彦太郎さんの「半商品」という概念を用いて、それが非真正な社会での資本主義システムでの商品化と異なったものに変えられていることを説明しています。「半商品」とは、「市場では商品として通用し、流通しているけれど、それを作る過程や生産者と消費者との関係では、必ずしも商品の合理性が貫かれていない、そんな商品のこと」[『農の営みから』119頁]です。たとえば、明治時代までは町にたくさんいた職人たちは、消費者の依頼を受けて労働生産物をつくり、それを依頼主に売るのですが、職人たちは経済の合理性だけでものをつくっているわけではなく、時間をかけてまでも自分の納得のいくものをつくる。そのためにときには日当計算からすれば採算が取れないこともあります。消費者もただ商品を買うのではなく、そういう職人がつくるものだから手に入れたいと思う。つまり、商品でありながら、生産者も消費者も商品の論理だけで動いていないという関係がなりたっています。そこには「半商品」の世界があると、内山さんはいいます。
 そして、現代でも消費者は、商品を買いながら、関係的世界をつくりだしている半商品を買う気持ちを捨て切ってはいないと、内山さんは言います。たとえば、農民と直接付き合いながら産直のようなかたちで農民から直接農作物を買うときには、スーパーで買う場合と比べて、消費者は価格にそれほどこだわらないというのです*3。そこには、〈顔〉のある関係からくる、市場原理ではとらえられない使用価値が発生しているからです。
 
 内山さんの『「里」という思想』(新潮社、2005年)は、上野村の村人たちから「ローカルな世界」を維持することの重要性、いいかえれば真正な社会を保持することの意義を学びながら、空間的普遍性に対して時間的普遍性を対置させるという思想を展開している点で、真正性の水準や二重社会ということを考える上でも重要な著作です。ローカリティに依拠することへの批判として、それが普遍性をもたないゆえに、普遍的なグローバリゼーションに対抗することはできないと主張されてきたからです。内山さんはつぎのように言っています。

 近代的世界は、〈ローカルであること〉を解体しながら、普遍的な世界をつくりだした。普遍的な空間をつくろうとしたのである。市場経済はたえず普遍的な市場空間をつくりだそうとしつづける。社会を普遍的な市民社会という空間に変えつづける。国民国家という空間を普遍化し、こうして、人々を普遍の世界に飲みこんでいく。
 近代的世界は、空間的普遍性を追い求め、時間的普遍性を否定したのである。時間が変化や進歩と結びついた概念になり、いつの時代においても価値をもちつづける普遍性が否定された。この後者の普遍性を、私は、時間的普遍性と呼んでいる。[『「里」という思想』18-19頁]

 これを参照すると、前の『戦争という仕事』からの引用で「永遠の世界」と呼ばれていたものは、時間的普遍性のことだということがわかります。それは、真正な社会であるローカルな生活の場においてのみ実感される、「人の営み」の普遍性です。
 この本のなかで、上野村の村人たちの言葉遣いで印象深いのが、「公共」という言葉の使い方です。内山さんは、「東京で『公共』といえば、国や自治体が担うもの、つまり行政が担当すべきものを指して」いるが、村では「公共」とは、「みんなの世界のことであり、『公共の仕事』とは、『みんなでする仕事』のことであった」といっています。つまり、みんなで道を修理することや、山火事の消火や祭りの準備をすることなどが「公共の仕事」です。そして、内山さんは、つぎのように言っています。

 そして村人が感じている「公共」の世界とは、それほど広いものではなかった。それは自分たちが直接かかわることのできる世界であり、自分たちが行動をすることによって責任を負える世界のことであった。つまり、自分との関係がわかる広さといってもよいし、それは、おおよそ、「村」という広さであるといってもよい。/つまり、村人にとっては、社会は、それぞれの地域で展開している「公共」の世界の連合体のようなものとして、とらえられていた。そして私には、その方が、社会の自然なとらえ方のように思われた。[『「里」という思想』50頁]

 この文章などは、レヴィ=ストロースのいう「真正な社会」の特徴をよく示しているように思います。自分たちでなんとかできる範囲の世界を、それより広い大規模な社会(非真正な社会)のなかで保持していくことの重要性も示唆しているでしょう。
 また、内山さんは、二重社会ないしは社会の二層性といった表現は使ってはいませんが、似たようなことを示唆しています。たとえば、つぎのように言っています。

 いまでは歴史学が明らかにしているように、近代以前の人々は、けっして村や地域のことしか知らずに暮らしていたわけではなく、けっこう広い世界と交流しながら日々を過ごしていた。(中略)/そのとき、自分の暮らすローカルな世界での行動と、その外の人々と付き合うときの行動は、はっきりと使い分けられていたのではないだろうか。自然や、そして村人たちと共有されているローカルな世界では、論理的には説明できない考え方や習慣も展開した。しかし、外の世界の人々と付き合うときには、一定の論理性、合理性が貫かれていた。たとえば藩や幕府にあてた村人の書いた古文書では、きわめて論理的に自分たちの主張が書かれているし、商品作物の取り引きなども合理的におこなわれている。(中略)/すなわち、論理性と非論理性をあわせて多層的に受け入れていく精神は、論理性と非論理性の折り合いをつけながら展開する、ローカルな世界を共有している人々の間で成立するものであって、すべての場面で適用されるべきものではないのである。だから、この世界を共有していない人々と交流するときは、むしろ、合理的、論理的な方法が用いられた。/この関係は、今日の私たちの日常でも受け継がれている。たとえば一番小さなローカルな世界である家族や、友人との世界では、私たちは論理的な付き合い方だけをしているわけではない。私の暮らす群馬県上野村のように、村とは自然とここに住む人間の共有された世界だ、という感覚が残っているところでも同様である。このように、小さな世界を共有している人々の間では、今日なお、論理性と非論理性が、多層的に共存している[『「里」という思想』166-167頁]

 このような使い分け・区別は、これまでは「身内/よそ者」という、内部/外部の図式で解釈されることが多かったけれども、真正な社会/非真正な社会という、社会の二層性を二重に生きるための方策として解釈すべきでしょう。なぜなら、この区別は外部の世界との交流を拒むためのものではなく、むしろ広い外部世界との交流を前提としたものだからです。そして、外部のシステムがローカルな生活の場にまで侵入してきた近代以降は、この区別を保持するために、「仕事」と「稼ぎ」の区別のように、繊細で微妙な区別をする工夫が必要となったわけです。その工夫を面倒なこととして放棄してしまうと、内山さんが指摘しているように、共有されたローカルな世界ではない、論理的で合理的に決めていかなければならない場面(非真正な社会)でも、非論理的な決定が持ち込まれたり、あるいは逆に、一人の敗者も出さないように(いいかえれば排除されたと思う者を出さないように)、「正しさ」とは無関係の根回しや了解を取り付けるべき場面で、論理的な(空間的普遍性にもとづく)「正しさ」を主張してしまったりするわけです。
 その辺りは、前に書いたレヴィナスの「正義」と「倫理」の区別とも関連していますが、もう長くなりましたので、この辺で。

*1:この点が、ハーバーマスの「生活世界とシステム」という社会の二層性の視点との違いです。

*2:この「仕事」と「稼ぎ」の区別については、『自然と人間の哲学』(岩波書店、1988年刊)など、他の著作でも触れられています。

*3:フェア・トレード」の場合にはもっとそれが顕著にあらわれているといえるでしょう

内山節『怯えの時代』を読む

内山節『怯えの時代』新潮社(新潮選書)2009年2月20日発行
Isbn:9784106036293

 内山節さんは、私が現在もっとも関心を寄せている哲学者です。東京と群馬の上野村という山村の「二重生活」をしながら書かれた、『「里」という思想』(新潮社、2005年)、『「創造的である」ということ 上・下』(農文協、2006年)、『戦争という仕事』(信濃毎日新聞社、2006年)といった著作は、このところの私の研究テーマである「共同体」や「ローカル」という概念の再構築というテーマにつながるものでもあるからなのですが、それ以上に、レヴィ=ストロースの「真正性の水準」にとても近いセンスを感じるからでもあります。
 レヴィ=ストロースのいう「真正性の水準」という視点から「共同体」や「ローカル」を捉えなおすと、「社会の二層性」ないしは「二重社会」という見方に行きつきますが(私も最近ようやく行きついたのですが)、改めて内山さんの書いていることを読み返すと、この「社会の二層性」や「二重社会」ということに接近したものだということにも気づきました*1)。それは、内山さんが、人類学者のような(時間量は人類学者のフィールドワークをはるかに凌いでいますが)「二重生活」をしているに関連があります。内山さんの以前の本に見られる「社会の二層性」については、また別の機会に触れることにして、早速、最新著『怯えの時代』についてみていきましょう。
 この本は、「二〇〇六年六月二十二日。妻が死んだ」という、ショッキングな書き出しで始まっています。そして、次のように続きます。

 それから数日が過ぎ、私は自由になった自分を感じた。すべての時間が自分のためだけにある。すべてのことは自分だけで決めればよい。何もかもが「私」からはじまって「私」で終わるのだ。私だけがここにいる。自由になった私だけが。(7-8頁)

 この自由は、現代人の自由と共通すると、内山さんは言います。つまり、喪失によって獲得される自由、そしてもう一つは、ケータイでメールを打つ自由やテレビのチャンネルを変える自由のように、現実のシステムを受け入れ、それに依存することによって獲得される自由、それが現代人の自由というわけです。それを内山さんは、「孤独な自由」、「自分の世界だけで自己展開する自由」、「他人から承認の受けることのない自由」と言い換えてもいます。
 そして、この「自由」に対比されるのは「自在」です。秋葉原無差別殺人事件を起こした青年に触れて、内山さんは、つぎのように書いています。

 報道されていることをみるかぎり、この青年はうんざりした自由のなかで生きていながら、自在に生きた経験をもたないということになる。学生時代にも自在には生きていなかったようだ。仕事をするようになっても変わらなかった。事件をおこした頃は、自動車会社の派遣社員として働き、宿舎との間を往復していた。いつでも解雇されうる身分のなかにいた。将来給与が上がっていく「楽しみ」もなかった。そして単なる数の一人として生きている自分を感じていた。
 それを、かけがえのない自分ではなく、交換可能な自分、といってもよい。交換可能な派遣社員であり、交換可能な一人の人間である。
この現実を承認しさえすれば、青年は自由を手にすることができたのである。ネットのなかにもう一人の自分をつくりだすこともできただろう。映画をみたり、音楽を聴いたり、今日の夕食を考えたり、旅行計画をたててみたり。そうだ、自由人になることはできたのだ。たとえ収入は少なくても、少々の工夫によってそれらのいくらかは実現することができたはずだ。
 青年の悲劇はそのことのなかにうんざりした自由をみてしまったことだ。自在に生きていない自分をみてしまったことだ。もしも彼女がいたらこんなことはしなかったと青年は語っていたと報道されている。彼女がいるということは、制約されるということだ。自由のひとつを失なうということだ。時間は自分だけのものではなくなるだろう。お金の使い方も制約されることだろう。だがそのことが、自分を包んでいるうんざりした自由、孤独な自由を払いのけてくれるかもしれないと期待していた。
 犯行を止めてくれる誰かが現われてくれることに期待していたのも同じことだ。その人が現われたら、自分の行動は制約される。思うがままに犯行を実現するという自由のひとつが失なわれる。だがそこにうんざりした自由の連鎖からの脱出を期待した。(12-13頁)

 プロローグの部分から長々と引用しましたが、この本の第3章までは、かなりペシミスティックなというか、絶望と言ったほうがいいようなトーンで書かれていることを示すために、引用してみました。それは、資本主義と市民社会国民国家からなる近代のシステムの問題点はすでに分かっていても、もはや誰にも解決することができなくなってしまったという認識からくるものですが、「真正な社会」である群馬の上野村について書かれたものとは違って、そのシステム、つまり非真正な社会について書かれているからでもあるでしょう。
 さて、そのシステムへのペシミックな診断ですが、第1章は、マルサスの『人口論』で始まっています。マルサスは食糧生産の有限性の問題を扱ったわけですが、その問題を一般化すれば、「資本主義とは、拡大再生産をとげることを正常な姿とする生産様式」であり、「無限の発展を予定した生産様式」ですが、「この無限の発展を可能にするには、資源としての自然も無限に存在しなければつじつまが合わない」(24頁)のにもかかわらず、自然は有限です。このジレンマにどう対応したらいいのか、これが一般化されたマルサス問題ですが、内山さんによれば、「この問題に対するほとんどの経済学者たちの対応は、自然は無限に存在するものとして仮定する」というものでした。この「自然は無限に存在する」という「仮説」は明らかに間違っていますが、その「仮説」の上にシステムが成立している以上、それを否定したら、経済学者だけではなく、経営者も消費者も自分たちのあり方まで否定されてしまうわけです。そこで要請されるのが科学技術の進歩という「魔法の杖」です。「科学技術の発展が不可能を可能に変えていくだろうと信じることによって、人々は自然の有限性という問題を脇に追いやった」(25頁)のです。
 ここにも、「問題の所在はわかっても、誰も解決手段をもてなくなってしまっている」という、現代社会の無力感が現われています。つまり、このような「仮説」によって問題を脇に追いやるのは無責任のようにみえますが、拡大再生産しつづけること、経済成長をすることが正常であるというシステムが生まれた以上、縮小することは負の連鎖を生んでしまいます。「経済の拡大が止まるとき、根本にある矛盾が噴き出してしまう」のであり、「しかもそれは多くの人々の労働や生活をおびやかしてしまう」(68頁)のですから、単純に、経済成長なんていらないというのは解決にはならず、そっちのほうがかえって無責任になってしまうのです。
 じゃあ、多くの経済学者のように、経済成長がほとんどの問題を解決すると言っていればいいのか、あるいは自然の有限性につきあたるまで*2、このシステムを改革しつつ維持していけばいいのかといえば、自然の有限性の問題以外にも、このシステム自体が劣化していかざるをえないという問題があります。内山さんが第2章「経済と諒解」で取り上げている事例は、「流通と生産の関係の断絶」です。
 内山さんは、古代から流通が生産をうながしてきたといいます*3。資本主義的な経済も、「貨幣→消費→流通→生産」の順で経済は形成されていくのですが、「資本主義的な経済は、この一連の流れとしてとらえるのではなく、個別経営の領域で自己完結させるかたちで成立した」(62頁)と内山さんは言います。そして、「ここには原理として、経済と経営の不調和が生まれている。マクロ経済とミクロ経済の不調和である」(63頁)と述べています。この不調和は、経済学者が「合成の誤謬」と呼んでいるもので、不況では、個別の経営体が自己を守ろうとして、人員整理や融資の削減などを進め、消費者も家計を守るために貯蓄や買い控えをし、小売りなど流通業も安売りをすることで、経済の総体をますます縮小・破壊していくというものです。ただ経済学者は、不況の時の問題とだけ考えているようですが、内山さんは、劇的なかたちで顕在化する不況の時にかぎらず、経済と経営の不調和はシステムを劣化させていくと示唆しています。その一例が、流通が主導権を握るようになったこと(「流通革命」)による生産の劣化です。量販店が発生してくると、ひたすら低価格での仕入れ・販売を目指し、生産者が生産を維持できないレベルまで仕入れ価格の低下が要求されます。その結果、賃金の安い地域への工場移転と非正規雇用の低賃金労働者が増加し、市場が縮小し、ますます低価格を目指し、工場移転と派遣の増加という悪循環が生まれます(これは、今回の不況以前の、好況といわれた時期に進展していたことです)。
 ここからみえてくるのは、流通と生産が相互性を失ない、流通の自己完結化が進んでいる姿であり、流通が生産を促すのではなく、流通が生産の劣化を促している姿だと、内山さんはいいます。「消費者は王様」という欺瞞的なキャンペーンにより、流通が生産から主導権を奪った結果(ついでにいえば、それを「生産社会から消費社会へ」とした社会学的分析も欺瞞的であったといえるかもしれません)、流通の価格要求に応えるために(これを「国際競争力」と呼んだのも欺瞞的です)、生産拠点は海外の低賃金地域に移され、国内での工場では非正規雇用が増え、農村では、農業を放棄したくなるような価格でしか仕入れないために農業がたちゆかなくなったというわけです。

 だが問題は、流通が軸になったとか金融が軸になったというところにあるわけではない。流通と生産の関係が断絶し、あるいは金融と生産の関係が断絶し、流通や金融が生産の劣化を促すようになってしまったことに、現代資本主義の問題がある。経済活動の相互性や連続性が失なわれ、流通や金融が自己完結型の利益追求をめざすようになったことが、経済規模は拡大しても、経済社会は劣化するという現象を生みだしてしまったのである。(92頁)

 つまり、不況を脱して経済成長することは、人びとの生活を守るためにも必要であるけれども、経済成長に戻ったところで、問題の根本は解決されないというわけです。このように、問題の所在は指摘できても、誰も解決の手段をもたないという、やりきれない無力さはここでも表れています。
 そして、そこからくるペシミスティックなトーンは、つぎの第3章「不安と怯え」でも続きます。そこでは、近代のシステムは資本主義、市民社会国民国家の相互性からなるものですが、その三つとも、個人を基調としたシステムであること、そのために、「結び合い」(個人と個人の連帯ではない、「連帯」)がないがしろにされてきたことが指摘されています。社会学が「個人化」と呼んできた問題ですが、ここでも、つぎのようなことが書かれています。

 だから問題は深刻である。私たちに「発展」と「自由」を与えてきた原理が、私たちの未来を閉じさせている。つまり、私たちが未来をつかもうとすると、近代社会の原理や構造が今日の問題を生みだした原因として現われてきて、しかもこの仕組のなかで暮らし、「自由」を得てきたわれわれの存在が問われてしまう。だがそれを問わなければ、壊れていく社会のなかで漂流する自分をみいだすことになるだろう。何かを喪失したことを感じながら手にした自由や、何かに飲みこまれ、何かからはきだされていく自己をそのときみいだしながら。(123頁)

 ではどこに希望が見出されるのか。それがようやく第4章の「冷たい貨幣か、温かい貨幣か」で述べられることになります。その希望とは、「温かい貨幣」です。経済システムや国家のシステムと結びついている領域では、貨幣は純粋な貨幣価値しか語らない「冷たい貨幣」ですが、人と人との関係のなかで使用される貨幣、あるいは人と人との関係のために使われるお金は「温かい貨幣」だと、内山さんは言います。たとえば、昭和恐慌のときに津々浦々につくられた「無尽」(頼母子講)や、愛する人のために使うお金が、「温かい貨幣」です。内山さんは、つぎのように言います。

 これまで多くの人たちが、「お金で買えないもの」を大事にする生き方をしなければならないと説いてきた。それはそのとおりだ。お金では買えない豊かさや幸福感といったものを視野に収めていなければ、私たちは「冷たい貨幣」に振り回されるばかりだ。だがそれだけで十分なのかと言えばそうではない。なぜなら良い悪いは別にして、現状では私たちは貨幣の世界から離脱することができないかたちで存在しているからである。たとえお金で買えないものをみつめていても、貨幣を介するしかない部分では「冷たい貨幣」に振り回されてしまうことになる。
 そして、だからこそ、「冷たい貨幣」を「温かいお金」に変えることが必要なのである。私たちの等身大の関係のなかで、貨幣価値とは異なる価値を付与しながら、「温かいお金」を創造していくことが、である。(164頁)

 近代世界は人間と人間の結びつきや自然と人間の結びつきを、商品の結びつき、市場での結びつき、巨大システムによる管理に変えた。「冷たい貨幣」の時代が展開していった。生命世界のなかに自分たちは生きているという感覚は消え、市場経済や巨大システムの動揺に怯えるようになっていった。
 この状況に対して新しい巨大な社会システムを提示することは有効ではない。ローカルな世界、ミクロな世界、「里」の世界、どんな言葉を使ってもよい。生命が結び合う確かな世界をつくらないかぎり、私たちは喪失によって手に入れた自由人であり、自分を守ろうとする怯えた存在でありつづける。(172頁)

 「冷たい貨幣」を「温かいお金」に変えるには、ローカルな世界、ミクロな世界、「里」の世界、つまり「真正な社会」がなくてはならないのです。「温かいお金」という、読む人によっては拍子抜けするような「希望」は、巨大システムを前にすると、とるに足らないものであるかのようにみえるかもしれません。しかし、それは、巨大システムと真正な社会との区別を、貨幣やシステムを追放することを夢想するのではなく、たえずその区分線を引きなおしながら、維持していく実践です。つまり、「希望」は、幸いなことに、非真正な社会(巨大な社会システム)と真正な社会(「ローカルな世界」)とは別の社会様態として存在し、人はその二つの異なる社会の層を二重に生きているということにこそあるということになるでしょう。
 それがどうして「希望」なのか、これだけではわかりにくいかもしれません。もう長くなりましたので、それについては、内山さんの他の著作に「社会の二層性」ないしは「二重社会」の視点を読みこんでいくときに、もうすこし説明したいと思います。(つづく)

*1:内山さんの本に限らず、このところはいろいろな本をこの視点から読み返してみているのですが。

*2:現在の経済成長の基盤が「石油」や「希少金属」の消費という有限な自然物に依存していることを考えれば、つきあたるのも時間の問題で、現実は「無限の経済成長」などと現時点でも言っていられない状況だと言ったほうがいいでしょう。すでに指摘されているように、それは、原子力や「都市鉱山」の発掘(?)といった対処法では根本的な解決は不可能なのですが、いまのところ唯一の方策は、「地球温暖化」という問題にすり替え、本当の「不都合な真実」は脇に追いやるというものです。でも、経済成長に私たち自身の生活が依存しているあいだは、見て見ないふりをする以外に手の打ちようがないのでしょう。

*3:補足しておけば、内山さんは、「もちろん太古の自給自足的な経済を想定するなら、経済の出発点は生産にあったことであろう。生産をし、集落のなかで分配することで、石器の材料になった黒曜石などを除けば、経済は完結したはずだからである」(58頁)と言っていますが、人類学的にいえば、ローカルな共同体であっても、自給自足的に完結していたのではなく、贈与――クラやポトラッチはその派手な形態です――が余分な生産を促していました。つまり、そこでも流通が生産を促していたわけです。

「卵と壁」と社会の二層性

 話題となっていた村上春樹さんのエルサレム賞受賞講演について書こうと思っていながら、つい忙しさにかまけて時期を逸し、書きそびれてしまったなと思っていたら、きょうの毎日新聞の夕刊とサイトに講演の英文と日本語訳(夕刊は日本語訳だけですが)の前半部分が載っていました。残りは火曜日に載るようですが、この機会に書いておこうと思います*1。とはいっても、受賞講演のテキストは、共同通信エルサレム支局長の長谷川健司特派員が、エルサレム賞主催者から提供を受けたテキストを基に、実際の講演での修正部分も録音を使って再現したものを使うことにしますが*2。日本語訳は拙訳です(といってもまずい訳という意味ではありませんよ)。
 さて、レヴィ=ストロースの「真正性の水準」の帰結のひとつは、人は社会の二つの層を二重に生きているというものです。すなわち、近代になって地球上のあらゆるところで非真正な社会が真正な社会を包摂するようになって以降、人はみな、〈顔〉のある関係(代替不可能な関係)による真正な社会と、メディア(法・貨幣経済マスコミュニケーション)による非真正な社会という、関係の質が異なっている二つの層を同時に生きているということです。
 このような「社会の二層性」(あるいは「二重社会」論)という視点は、近代社会を考える上で重要なものですが、村上春樹さんの受賞講演を理解する、または面白く読むためには、この「社会の二層性」という視点と絡めるのが良いということを書きたいと思っています。
 村上さんは次のように言っています。

 私がフィクションを書くときにいつも心に留めていることがあります。紙に書いて壁に貼ることまではしたことがありませんが、私の心の壁に刻まれているものです。それはこのようなことです。
「高く固い壁と、それにぶつかって壊れてしまう卵とがあれば、私はいつでも卵の側に立とう」。
 そうです。壁がどんなに正しくても、卵がどんなに間違っていても、私はいつも卵の側に立とうと思います。何が正しく、何が間違っているかは誰か他の人が決めてくれるでしょう。おそらく、時とか歴史とかがそれをするのでしょう。しかし、どんな理由からであれ、もし壁の側に立って作品を書く小説家がいたとして、その作品にどんな価値があるというのでしょう。


It is something that I always keep in mind while I am writing fiction. I have never gone so far as to write it on a piece of paper and paste it to the wall: rather, it is carved into the wall of my mind, and it goes something like this:
“Between a high, solid wall and an egg that breaks against it, I will always stand on the side of the egg.”
Yes, no matter how right the wall may be and how wrong the egg, I will stand with the egg. Someone else will have to decide what is right and what is wrong; perhaps time or history will do it. But if there were a novelist who, for whatever reason, wrote works standing with the wall, of what value would such works be?

 「壁と卵」という隠喩の単純でわかりやすいものとして、村上さんは、爆撃機、戦車、ロケット弾、白燐弾が壁で、それらによって潰され焼かれ撃たれる非武装の市民が卵という例を挙げた後、村上さんはつぎのように言います。

けれども、それだけではありません。この隠喩にはもっと深い意味があります。こう考えてください。私たちの誰もが、多かれ少なかれ、卵なのです。私たち一人一人は、壊れやすい殻に包まれた、唯一無二で代替不可能な魂です。このことは私にとっても、あなたがたの誰にとっても真実です。そして、私たちの誰もが、程度の違いはあれ、高く固い壁に向き合っています。この壁には名前があります。《システム》という名前が。《システム》は私たちを守るものとされていますが、ときには、《システム》は、それ自身に生命があるかのようにふるまい、私たちを殺したり、私たちが他の人びとを殺すように仕向けたりしはじめます。冷血に、効率的に、システマチックに。

But this is not all. It carries a deeper meaning. Think of it this way. Each of us is, more or less, an egg. Each of us is a unique, irreplaceable soul enclosed in a fragile shell. This is true of me, and it is true of each of you. And each of us, to a greater or lesser degree, is confronting a high, solid wall. The wall has a name: it is “The System.” The System is supposed to protect us, but sometimes it takes on a life of its own, and then it begins to kill us and cause us to kill others--coldly, efficiently, systematically.

 この「(大文字の)《システム》(The System)」が何を意味するかは解釈の分かれるところでしょうが、《システム》という壁と、「代替不可能な魂(かけがえのない魂)」としての卵とが同じ平面、同じ「層」で向かい合っていると理解してしまうと、村上さんの言っていることはいたって平凡なものとなってしまいます*3。ここは、「社会の二層性」という視点から解釈しなくては刺激的になりません。
「社会の二層性」という視点とは、レヴィ=ストロースのいう非真正な社会と真正な社会の区別(「真正性の水準」)を援用すれば、社会は、比較可能で代替可能な関係からなる《システム》=非真正な社会と、唯一無二で代替不可能な関係からなる真正な社会(正確には、「真正な社会では、代替可能な関係は代替不可能な関係と重なり合っていて、代替不可能な関係を基盤としている」と言うべきですが)との二つの層からなっているという視点です。
 そのような視点から解釈しないと、おそらく講演の最後に村上さんが述べている「希望」がなぜ「希望」たりうるのかが分からなくなってしまうでしょう。

 私がきょう皆さんにお伝えしたいことはたったひとつのことです。私たちはみな、国籍や人種や宗教を超えた個であり、そういった意味での人間であり、私たちはみな、《システム》と呼ばれる固い壁に直面している壊れやすい卵だということです。どう見ても、私たちに勝ち目はありません。壁はあまりにも高く、あまりにも強固で、そしてあまりにも冷たいものです。ただ、もし私たちにいくばくかの勝利の希望があるとしたら、それは、私たち自身と他者たちの魂の完全な唯一無二性と代替不可能性を信じること、そして魂を互いにつなぎあわせることで得られる温かみを信じることから生まれるものでしかないでしょう。
 そのことについて少しのあいだ考えてみてください。私たち一人一人は、手に触れることのできる、生きた魂をもっています。《システム》にはそのようなものはありません。ですから、《システム》が私たちを食い物にすることを許してはなりません。《システム》がそれ自身の生命をもつかのようにふるまうことを許してはなりません。《システム》が私たちを作ったのではなく、私たちが《システム》を作ったのです。
 これが、私が皆さんに言いたいことのすべてです。


I have only one thing I hope to convey to you today. We are all human beings, individuals transcending nationality and race and religion, and we are all fragile eggs faced with a solid wall called The System. To all appearances, we have no hope of winning. The wall is too high, too strong--and too cold. If we have any hope of victory at all, it will have to come from our believing in the utter uniqueness and irreplaceability of our own and others’ souls and from our believing in the warmth we gain by joining souls together.
Take a moment to think about this. Each of us possesses a tangible, living soul. The System has no such thing. We must not allow the System to exploit us. We must not allow the System to take on a life of its own. The System did not make us: we made the System.
That is all I have to say to you.

 高く堅固な壁の「冷たさ」に対抗するには、「唯一無二の代替不可能な(かけがえのない)魂」をつなぎ合わせることによってのみ得られる「温かさ」が必要であり、そこにしか希望がないというわけです。その「温かさ」は、一人の個人の魂からは生じてきません。代替不可能な魂のつながり=関係からしか生じないのです。そのつながりは、《システム》とは別のもうひとつの社会、真正な社会のことだといってもいいでしょう。そのことからも、村上さんが「個人と社会制度」といった一面的な対立のことを言っているのではないことがわかります。
 もうひとつのポイントは、「私たち自身と他者たちの魂の完全な唯一無二性と代替不可能性 the utter uniqueness and irreplaceability of our own and others’ souls」ということでしょう。‘uniqueness’を「個性」と訳した日本語訳がありましたが*4、ここでの誰もが持つ比較不可能な唯一無二性(uniqueness)やかけがえのなさ・代替不可能性(irreplaceability)は、「個性」とは関係ありません。「個性」は他の人との比較によるものです。個々のかけがえのなさ代替不可能性は、比較によって規定されるものではなく、たとえ一卵性双生児であっても、そしてなんのとりえもなくても、個々人は唯一無二で代替不可能なものです。「世界に一つだけの花」という歌の「オンリー・ワン」を「個性」と読み違えて、個性批判をする人が、歌が流行った当時もいまもいますが*5、「オンリー・ワン」は文字通り比較不可能な「唯一性」ということでしょう。それは「個性」とは対立するものです。「個性」とは「キャラ」や「役割」や「能力」と同様に、比較可能で代替可能なものですから。
 そして、そのような個の代替不可能性は、真正な社会の〈顔〉のあるつながりにおいてのみ現れます。たとえば、親にとって子どもは、かわいくなくて賢くなくてなんのとりえのない子どもでも「唯一無二で代替不可能」な存在です。そのような代替不可能性を村上さんは「魂 soul」と呼んでいるのでしょう。そして、〈顔〉もまた、そのような代替不可能性の呼び名の一つです。教員にとって学生は、そして学生にとって教員は、〈顔〉さえ見なければ、教員-学生という「役割」だけの関係で、比較可能で代替可能な存在です。じっさい入れ替わります。けれども、ゼミなどでは、教員にとっても学生にとっても、入替え不可能=代替不可能な関係になることがあります。それは能力や個性とは関係がありません。文化人類学をもっと上手に教えることのできる教員はいくらでもいるでしょう。たとえ「ナンバー・ワン」の能力を持っていたとしても、それは比較によって規定されるものであり、入替わり可能で代替可能です。「ナンバー・ワン」は相対的な比較ですから、代わりはいくらでもいますからね(その代替可能性を「競争」と呼ぶわけです)。でも、「魂」あるいは〈顔〉のある関係は、そうではありません。そして、何が正しくて何が間違っているかという「正義」とは別の、「倫理」は(そして「自己責任」とはまったく正反対の「応答可能性」という意味での「責任」も)、そのような代替不可能な関係にあるものです*6
 村上さんは、そのような「代替不可能な魂のつながり」の例として、去年90歳で亡くなられた、村上さん自身の「父親」とのつながりの話をしています。村上さんのお父さんは、京都の大学院生だったときに徴兵されて、中国の戦場に送られました。戦後、お父さんは朝食前に家の小さな仏壇の前で長く読経したそうです。なぜ祈っているのかを村上さんが尋ねると、お父さんは、戦場で死んだ敵と味方両方の人々のために祈っているのだと答えたという話です。

 父は亡くなり、私がもはやけっして知りえない記憶、父の記憶を父とともに持ち去ってしまいました。しかし、父のまわりに潜んでいた死の現れは、私自身の記憶のなかに留まっています。それは、私が父から引き継いだ数少ないものの一つであり、最も大切なものの一つなのです。

My father died, and with him he took his memories, memories that I can never know. But the presence of death that lurked about him remains in my own memory. It is one of the few things I carry on from him, and one of the most important.

 もうずいぶん長くなってしまいましたが、最後に、村上さんが明確にイスラエル批判をしなかったことに対する批判もたくさん出されていることについて触れておきたいと思います*7。批判は、要するに、もっと明確にパレスチナ人の側に立って、「イスラエルはガザでの虐殺を止めよ」といった発言をするか、そうでなければ受賞を拒否すべきだったというものでしょう*8
 しかし、そのようなイスラエル批判は、《システム》と同じ平面に立った批判であり、もう一つ別の《システム》に依存した批判です。私も「左翼」ですから、《システム》と同じ地平に立った批判や対抗が必要であると思っています。村上さんの言葉でいえば、「《システム》が私たちを食い物にすること」を許さず、「《システム》がそれ自身の生命をもつかのようにふるまう」(「《システム》が独り歩きする」と訳してもいいでしょう)ことのないような《システム》を設計すること、そしてそのような《システム》に改革していくことの重要性を認めています。けれども、それだけでは、じつは別の《システム》に変えていくこと自体ができないのです。《システム》が(それがいくら正しい《システム》であっても)真正な社会での代替不可能な関係を踏みにじっていること(踏みにじられてもそれが必然的に生き延びること、それが人間の普遍性であることに「希望」があるのですが)に光を当てないと、《システム》を飼い馴らすこともできません。それには、「いつでも卵の側に立つ」ことが必要なのです。「卵の側に立つ」ことは、「パレスチナ人の側に立つ」こととは違います。「誰もが卵」なのですから。しかし、「卵の側に立つ」ことなしに、「パレスチナ人の側に立つ」ことは、自分が「政治的に正しい」立場にいるんだという、自分自身のアイデンティティ・ポリティクスのために、パレスチナ人を利用しているだけ、パレスチナ人を自分の代弁者にしてしまっているだけになってしまう恐れが出てきます。それは、「《システム》がそれ自身の生命をもつかのようにふるまうこと」を許すことにほかなりません。そうならないためにも、私たちの誰もが「勝ち目のない卵」であるという立場にたつことが必要なのです。
 《システム》に対抗する「社会運動」は、「代替可能な関係」からなる《システム》を作ることによってしか成り立ちません。代替可能な役割があって入替え可能でなければ、「社会運動」は維持できません。それは「新しい社会運動」でも同じことです。しかし、それだけでは「社会運動」は、《システム》そのものが自身の生命をもつようになってしまうことを防ぐことができません。社会運動の論理や正義を、真正な社会(生活の場)に持ち込むことは、《システム》の側、壁の側に立つことになります。
 念のため繰り返せば、私にとっては「社会運動」は必要です。しかし、それは非真正な社会における「論理と正義」が必要であるという意味です。それとは異なる社会の層である真正な社会にそれを持ち込むのは誤りです。そこでは、代替不可能な関係、「かけがえのない魂」が必要だからです。つまり、両方とも必要だということ、それを認めれば、《システム》に対抗する「社会運動」を是とする人たちが村上さんの受賞講演を批判する理由はほとんどなくなるでしょう。

 村上さんの受賞講演を読んだとき、これは大切なことを言っていると思ったので、つい長く書いてしまいました。誰も最後まで読んでくれない長さになったかな。

*1:最初にことわっておけば、私は村上春樹さんの良い読者ではありません。『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』『』『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』あたりまでは読んでいたのですが、それ以降はまったく読んでいません。村上さんの小説を読まなくなったというより、その頃から小説というものをほとんど読まなくなったからです。『アンダーグラウンド』は地下鉄サリン事件をめぐるインタヴュー集というノンフィクションということで買ったのですが、実は今日にいたるまで読みそびれています。

*2:http://www.47news.jp/47topics/e/93880.php

*3:「個人とシステムの対立」といったような解釈が平凡な解釈の例です。

*4:たとえば、47NEWS のサイト(http://www.47news.jp/47topics/e/93879.php)の日本語訳では、‘the uniqueness of each individual soul’を「個々の精神の個性」と訳しています。

*5:社会学者の土井隆義さんが『「個性」を煽られる子どもたち』のなかでそのような批判をしていましたし、最近もはてなブログでそのようなエントリーがありました。

*6:もちろん、役割関係は「真正な社会」の層にもあります。たとえば「親子関係」での「父親」とか「息子」も役割がきめられている、代替可能な役割関係です。そうでなければ、親がいなくなったときに代わりが誰もできないという困ったことになります。しかし、真正な社会での代替可能な役割関係は、その基盤として代替不可能な関係があります。「養父」も、父親という役割を代わりにするのですが(その意味では代替可能なのですが)、しかし、その養父も「代替不可能な関係」が子どもたちとの間になければその役割をはたすことができないのです。それは、《システム》での代替可能な役割関係とは違います。《システム》においては誰でも入れ替われる関係だけで成り立っていることが肝要だからです。その意味で、内田樹さんが、ブログの「壁と卵(つづき)」(http://blog.tatsuru.com/2009/02/20_1543.php)という文章の中で、「System というのは端的には『言語』あるいは『記号体系』のことだ」と言っているのは言いすぎでしょう。《システム》は国家権力とか資本主義体制とかのことではないということを強調したかったのかもしれませんが。そこには「卵=かけがえのない魂」の側の「希望」は見えなくなってしまいます。たしかに、真正な社会においても社会関係は代替可能なものとしてあります。それを「記号体系」と呼ぶことはできます。しかし、重要なことは、真正な社会における〈顔〉のある関係では、その代替可能性は代替不可能な関係と相互に変換可能であり、そのような変換を通じて、社会をつくることができるのだという点にあります。

*7:はてなブログでも、mojimojiさん(「もじもじ君の日記。みたいな。」)が、そのような批判に対して孤軍奮闘して擁護しています。「代弁の問題」を扱ったエントリー(http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20090220/p1)はお勧めです

*8:ひとつだけ、ちょっと別の批判として、村上さんが、「《システム》が私たちを作ったのではなく、私たちが《システム》を作ったのです」と言っているのに対して、「実際にはレヴィ=ストロースが指摘しているように、『人間』が『社会構造を作る』のではなく『社会構造』が『人間を作る』、というのが今日的状況です。(もしそれが論理的に誤りであるならばサルトルが否定されることは無かったでしょう)このレヴィ=ストロースの論理は、上記に引用した村上春樹の言葉を木っ端微塵に粉砕するほど強力です」という批判があったので、ひとこと触れておきましょう。レヴィ=ストロースのいう「構造」は《システム》とはまったく違いますし、「社会構造」ですらありません。村上さんの言葉でいえば、レヴィ=ストロースの「構造」は、《システム》ではなく「代替不可能な魂のつながり」のほうにあります。それが「人間」を作るのです。

水村美苗『日本語が亡びるとき』を読む

 悪い癖でもあるのですが、ベストセラーや話題となっている本にはどうも食指が動きません。『バカの壁』はついこの間読んだばかりですし、『生物と無生物のあいだ』や『悩む力』は買う気もまだ起こりません。養老孟司さんや姜尚中さんの本は『バカの壁』や『悩む力』以前の本はたいてい買っていたのですから、ベストセラーに対する偏見としかいいようがないのですが。みんなが買っているものを読むのがいやなのか、いろいろ書評やコメントが出ているともう読んだ気になるのか、やっかみなのか。ただ、いちおう自分なりの理屈はあります。
 『バカの壁』(それなりに面白かったです)のように、話題にならなくなってから機会があれば読むこともありますし、それでもっと早く読めばよかったと後悔することもほとんどありません。ひとそれぞれにその本と出会ういい時期というかタイミングというものがあるわけで、そのときが来たら自然と読むべきものは読むことになりますし、それがその本を理解したりその本でものを考えたりするのにも一番いいと思っています。ベストセラーや話題になったときに読むというのは、その時期じゃないことが多く、不幸な出会いとなってしまうことになります。
 さて、ベストセラーや話題の本を私はなせ読まないかという言い訳から入ったのは、取り上げる本がベストセラーであり話題の本だからです。信条(言い訳を書いているうちに「悪い癖」が「信条」まで昇格したようです)に反して、話題の本を買ったのは、ウェブ上の書評かコメントに、水村美苗さん*1の『日本語が亡びるとき』は、夫君である岩井克人さんの貨幣論と同じ図式を言語ないし文学に適用したものという評があったからです。ちょうど書いている原稿の一部分で、岩井さんの「貨幣や資本主義のように純粋に形式的な論理によっているものに抵抗するのであれば、同じように純粋に形式的な論理によるのでなければ勝てない」という議論を批判的に入口にして、「敗北の場所としての人類学的場所」という議論を書いていたので、なにか思考の糸口になるかなと思ったからでした。去年の暮に買ったのですが、刊行後2か月もたたないのに第四刷になっていました。ようやく今月になって読み始めたというわけです(信条に義理立てして買ってすぐには読まなかった、というわけではなく、原稿の締切りに追われていたからで、2月2日にいちおう締切りのある原稿書きが終わったので読み始めたということです)。
 この読書ノートを書くにあたって、話題の本を遅れてレヴューする者としては、すでに言われていることだけを並べる愚を避けたいと思い、先行するレヴューを見るために「日本語が亡びるとき 書評」でグーグル検索してみました(ちなみに約158,000件で、「日本語が亡びるとき」で検索すると約404,000件でした)。80番目くらいまでつまみ読みをしましたが、印象としては、英語圏で暮らしたり赴いたりして、英語という「普遍語」を使いながらブラヴェートで日本語を使用している「二重言語者」に賛同者が多いようです。まあ、「分かる〜、私のことだわ」という実感以外に、この本では「二重言語者」を〈叡智を求める人〉と同一としているので、賛同すると自分も〈叡智を求める人〉だと勘違いできるということもあるのかもしれません。
 それはともかく、当然のことながら、賛否両方のレヴューともその大半がどこをどう読んだのだろうというものでした。「当然のことながら」というのは、ベストセラーや話題の本は話題になっているから読んだのでしょうから、読むべき人が読むべき時期に読んだわけではなく、そのような読む必要のない人が読む必要のないときに読んでの感想やコメントは当然のことながら「書く必要のない」ものになっているわけです。
 たとえば、ウェブ上のレヴューや感想で反発をもって最も多く引用されていたのが、第一章の最後のパラグラフでした。

 もちろん、今、日本で広く読まれている文学を評価する人は、日本にも外国にもたくさんいるであろう。私が、日本文学の現状に、幼稚な光景を見いだしたりするのが、わからない人、そんなことを言い出すこと自体に不快を覚える人もたくさんいるであろう。実際、そういう人の方が多いかもしれない。だが、この本は、そのような人に向かって、私と同じようにものを見て下さいと訴えかける本ではない。文学も芸術であり、芸術のよしあしほど、人を納得させるのに困難なことはない。この本は、この先の日本文学そして日本語の運命を、孤独の中でひっそりと憂える人たちに向けて書かれている。そして、究極的には、今、日本語で何が書かれているかなどはどうでもよい、少なくとも日本文学が「文学」という名に値したころの日本語さえもっと読まれていたらと、絶望と諦念が錯綜するなかで、ため息まじりに思っている人たちに向けて書かれているのである。(59頁)

 これに対して、どうして「幼稚な光景」というのか説明がないとか、「今、日本語で何が書かれているかが大事なのだ」と反発しても仕方がないでしょう。ここは、この本が誰に向けて書かれているのかを述べているところなのだから、この本は自分に向けて書かれていないのだと思って本を閉じるのが正解でしょう。お金を払って買った本であれば、自分向けじゃなかったんだとがっかりするのはわかりますが、仕事やレポートのために読まなくちゃならない人以外は、自分が間違って買ったのだと諦めるしかないところです。消費社会は「成熟」すると「幼稚」になるものですが、売っているすべてのモノが「自分向け」であるべきだと思っている消費者がなんで自分向けに書いていないのだというクレイムをつけているのに近いように思います。
 その意味では、この本がウェブ上で話題となるきっかけを作ったとされる梅田望夫さんがこの本をお勧めしたエントリー(書評でもレヴューでもなく、推薦ですが)のタイトルが「水村美苗日本語が亡びるとき』は、すべての日本人がいま読むべき本だと思う。」となっているのは、推薦した本の内容自体を裏切っているものでした。すべての日本人がこの本を読んで感動するくらいなら、この本は書かれなかったでしょうし、「すべての日本人」に勧めてベストセラーになった結果、自分向けでないと書いてあるのに、それを非難する人たちが多く出てきてしまったわけですから*2
 私はといえば、ここまで読んだとき、「あ、これは自分に向けて書かれているんじゃないんだ」とわかったわけですが(「この先の日本文学そして日本語の運命を、孤独の中でひっそりと憂え」たことはありませんから)、そういうときは、たとえ著者の「問題意識」が自分のものとは大きく違っていても、よほどそれがあほらしく思えて理解不能でないかぎり(そういう場合は高価な本でも時間の無駄ですから読むのをやめます)、ひとまず自分の「問題」とし、その本が想定する読者になって読むという方針で臨むことにしています*3
 また、水村さんの言っていることに賛同すると書いてあるレヴューのなかに不思議なことに、「誰にでも書けるような」たんなる感想文のようなものがけっこうあります。水村さんがこの本の七章で言っていることのひとつは、学校教育では、すべての生徒に、分からなくてもいいから日本語の〈読まれるべき言葉〉を読ませて、〈読まれるべき言葉〉を読むことに慣れさせるべきなのに、現状は「誰にでも読めるだけでなく、誰にでも書けるような文章を教科書に載せるという馬鹿げたことをするようになった」というものでした。つまり、誰にでも読めるような文章を読ませて、「誰でも書ける」ことに主眼を置くことが〈国語〉としての日本語を亡ぼしていくと書いているのに、それに賛同すると「誰にでも書ける文章」をブログに書くこと自体、水村さんのいう「読む」ことの衰退を象徴的に表しているのでしょう*4
 逆に、批判する側に多いのが、専門家の書いた研究書であるかのように批判しているものです。この本で「母語」と「国語」の違いがはじめてわかったと書いている人もいる一方で、国語や言語について別に新しいことは何も書かれていないとコメントする人も。けれども、社会言語学や言語史の研究者が書いた本ではないのだから、「新しい史実」が書かれていなくても当然で、それを求めるのは無いものねだりでしょう。実際、この本の注に挙げられている文献は専門書ではなく、読書人向けに書かれたものがほとんどですから、専門家でなくても知っていることばかりだというのは十分ありえることです。そういった事実を啓蒙するためのテキストブックならば、この本よりもいい本がいくらでもあります。だからといって、この本が無意味になるわけではありません。水村さん自身が社会言語学者や言語史の専門家が書いた一般読書人向けの本を読んで知ったつまみ食いの事実からどのような問題を引き出してきたのかを検討するべきでしょう。
 ただ、水村さんがつぎのように書いているところは、社会言語学に通じている人が批判するのもわかります。

 言語の専門家である言語学者の多くは、私のこのような恐れ(普遍語となった英語と母語の二重使用が続けば、英語以外の言葉が影響を受けずにはいられないということ−引用者注記)を、素人のたわごととして聞き流すにちがいない。私が理解するかぎりにおいて、今の言語学の主流は、音声を中心に言葉の体系を理解することにある。それは、文字を得ていない言葉も文字を得た言葉も、まったく同じ価値をもったものとして考察するということであり、〈書き言葉〉そのものに上下があるなどという考えは逆立ちしても入りこむ余地がない。(51頁)

 水村さんが扱っているような「国語」や「言語接触」や「多言語使用」や「言語政策」といった言語の問題の専門家は社会言語学者なのですが(水村さん自身もその成果を使っています)、言語の力の上下関係を問題にしているのですから、言語の流通力や政治的力に違いがないなどという社会言語学者はいないでしょう。それとそれぞれの言語が「同じ価値をもつ」という言語学者の立場は矛盾しません*5。以下の引用文は、私が「敗北の場所としての人類学的場所」という議論で引用しようと思っている社会言語学者のことばです(市村弘正さんの本からの孫引きですが)。

 「世界文学」イデオロギーは「国民文学」を介して世界を制覇したのである。言うまでもなく現代では、ある言語共同体の言語作品が世界文学に参与するために前提となる資格は、それが国民文学、あるいは国家文学として認知されることによって得られるからである。
 「国民文学」を通じての「世界文学」の普及は、もはやそこに参与することが絶望的となった文学的落伍者を作り出した。その文学的落伍者とは、まず何よりも言語的少数者、あるいは少数者言語の話し手としてあらわれる。言語的少数者は、圧倒的な国家語からの絶え間のない圧力に抗しきれずに、かれらの伝統的文学活動の要具である母語を放棄するよう迫られているのである。(田中克彦「大きな言語・小さな言語」)

 このように、社会言語学者である田中さんは、小さな言語はたとえ文字を得たとしても「国民文学」を介した「世界文学」に参与できずに、敗れ去っていくと述べていたのでした。
 さて、前置きはこれくらいにして(えっ、ここまで前置きだったの!)、本題に入りましょう(きょうのエントリーは長くなりますから、忙しい人やウェブ上での「論争」(?)や「話題」に興味のある人はここまででけっこうですよ)。
 水村さんが、社会言語学や言語史学の成果や、ベネディクト・アンダーソンの本から得た知見(それは誰にでも簡単に手に入るものです)から自分の「問題」を引き出すのに用いた視点は、「〈叡智を求める人〉が引きつけられる〈普遍語〉の〈図書館〉」という視点でした。その中心となる〈普遍語〉という概念は、社会言語学者なら「媒介言語」と呼ぶものに含まれてしまいますが、水村さんの〈普遍語〉は、ベネディクト・アンダーソンのいう「聖なる言語」と、夫君である岩井克人さんの貨幣論(資本主義論)の「基軸通貨」の議論とを合わせたようなユニークなものとなっています。でも、そのユニークさに問題点もあります。つまり、近代以前の大文明の正典=聖典の言語である「聖なる言語」(漢語やパーリ語サンスクリット語や、ギリシア語・ラテン語アラビア語など)と、現代の英語のように「基軸言語」でしかないものとを同じ〈普遍語〉という概念でまとめてしまうことに、水村さんの議論のユニークさと同時に弱点があるということです。
 外部からやってきた「書き言葉」である「聖なる言語」は、少数の〈叡智を求める人〉にとって引きつけられる「正典=聖典」の言語であり、それは、たしかに〈読まれるべき言葉〉でした*6。そして、少数の〈叡智を求める人〉たる「二重言語者」の「読む」という「翻訳」の実践を通して、多くの周辺の言語も「書き言葉」を獲得しました。言語史学でも指摘されていることですが、「書き言葉」は「話し言葉」を書き写したものとして成立したのではなく、「翻訳」という実践によって成立したのだという水村さんの指摘は正しいでしょう。そして、その「聖なる言葉」の翻訳を通して「口語俗語」が「書き言葉」を獲得し、それが近代以降の〈国語〉(国家語)のもととなっていきます。しかし、それだけでは「口語俗語」は〈国語〉にはなりません。アンダーソンや田中さんやその他大勢の人たちが繰り返し指摘してきたように、それは「印刷資本主義」(「出版語」)と「国民文学」との成立が不可欠でした。書評には、水村さんが国語の問題と文学の問題を混同しているという評がありましたが、アンダーソンや田中さんの本を読んでいれば、そのような評は出なかったでしょう。こうして、「聖なる言語」としての〈普遍語〉の時代から〈国語〉の時代へと移っていき、水村さんのいう〈普遍語〉〈国語〉〈現地語〉という三層構造が成立するわけですが、重要なことは、このとき中心にあったのは〈国語〉であり、「世界文学」というものが「国民文学」を介してしか成立しなかったように、〈国語〉の世紀が続いていたということです。
 水村さんの「問題意識」というか「危機感」は、現在、英語が再び〈普遍語〉の位置を占めるようになり、続いていた「〈国語〉=〈国民文学〉の世紀」が終わるということでしょう。しかし、現在、英語が〈普遍語〉となりつつあるのは、英語が、〈国語〉の世紀以前の「聖なる言語」のように〈読まれるべき言葉〉という実質があるからではなく、ドルが基軸通貨(通貨の通貨)となったのと同じく、英語それ自体に根拠があるわけではありません。つまり、ドルが基軸通貨であるのはたまたま基軸通貨になったからであるのと同じく、英語がたまたま基軸言語になったから基軸言語であるということです。英語が「言語の言語」としての基軸通貨となり、ウェブ上に「基軸通貨としての英語の〈大図書館〉」が仮にできたとしても、そこにはすでに、〈国語〉の世紀以前のような、「〈叡智を求める人〉が引きつけられる〈普遍語〉の〈図書館〉」という図式はなくなっています。たしかに、英語は基軸言語であり、日本の人類学者たちも英語で論文や本を出版するようになっていますし、その傾向はますます進むでしょう。でも、少数の〈叡智を求める人〉たちは、現地語を含めた多言語的状況のなかで「翻訳」の作業をするという知的実践をやめないでしょうし、夏目漱石レヴィ=ストロースレヴィナスといったような〈叡智を求める人〉たちが、これから英語だけで書くという実践のなかで生まれたり〈叡智を求める人〉となったりできるなんてことは逆にありえないでしょう。
 もちろん、英語という基軸言語に比べて「小さな言語」である他の〈国語〉や、ましてもっと小さな言語である〈現地語〉は、基軸言語との争いに負け続けるでしょう。学者は研究成果を英語で発表しなければ、学者として認められなくなるでしょう。しかし、市村弘正さんがいうように、「敗北の場所はまた思考の場所でもある」のであり、〈叡智〉もまた敗北の場所にあります。基軸言語への抵抗は、「勝つ」ために行うのであれば、基軸言語と同等の普遍性を獲得しなければ勝てないのは道理です。もし、そうでなければ(水村さんもまた「勝つ」ためにと思ってはいないのであれば)、大事なのは、かつての〈普遍語〉に対抗し得た〈国語〉の世紀の「国民文学」を「正典=聖典」として護ることではなく(つまり「大きい言語」の「大きさ」を守ることではなく)、「小ささ」ゆえの「翻訳」という実践の中の〈叡智〉を守ることでしょう。「翻訳」という作業はその〈叡智〉を求める手段ではなくて、〈叡智を求める〉ことそのもの、もっといえば〈叡智〉をつくり出す実践であるはずです。

*1:水村さんの本を最初に読んだのは『續明暗』が文庫になったときで、ケニアで読んだのでした。また、はじめてお名前を見たときに、「美笛」と見間違えて、「なんて読むんだろう、みふえ?」と思ったのを覚えています。

*2:でも、水村さんも『新潮』で梅田さんと対談しているところを見ると(読んではいませんが)、そのおかげでベストセラーになったことを喜んでおられるようですから、私が文句をいう筋合いのものではないようです。

*3:院生たちにテキストを読ませると、どうも「批判的に読め」と学部で教わってきているせいか、テキストをまず批判します。そういう院生たちにはよく、「批判的に読む」ことをやめよと言います。批判的に読むなんて誰にでも出来ますし、いずれ論文を書くときには批判するしかないのですから(論文に誰々の言っていることに賛同するとだけ書いたら、じゃあ改めて君が書く必要はないといわれるだけです)、まずは共感しながら読めと。自分と問題意識が異なっているテキストに「共感」できるかどうかが、唯一、自分の「問題意識」を高めることにつながるのですから、批判するのはそのあとですればいいことです。

*4:もちろん、これは自分のことを棚に上げて書いていますが。

*5:人類学者も、すべての文化は同じ価値をもつと言いますが、それは、各文化に力の上下関係がないということではありません。そうでなければ植民地文化の研究などできないでしょう。

*6:水村さんへの批判として、何が〈読まれるべき言語〉なのかは決まっていないし、だれがそれを決めるのか、というものが多く出されていますが、「聖なる言語」としての〈普遍語〉の時代においては、「正典=聖典」が決まっており、当然、〈読まれるべき言語〉がそれぞれの文明圏で決まっていたわけです。